兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

7/2・3、フラワーカンパニーズ @ リキッドルーム2デイズのセットリストなど

  フラワーカンパニーズ、1年かけての47都道府県ワンマンツアー『夢のおかわり2016』の東京編、7月2日(土)&3日(日)、リキッドルーム2デイズ。

 

  選曲、構成、各自の演奏(特に小西、調子よかった)、いずれもばっちり。

  圭介のノドも、1日目はほんのちょっとだけヒヤッとした瞬間もあったけど、2日目はありませんでした。

 「MCで圭介ネガティブなこと言いすぎ」も、ほぼなし。「圭介のしゃべりすぎ」に関しては、両日とも危ない瞬間があったが、そのたびにグレートが絶妙に話の腰をブチ折って曲に行った。見事でした。

 

  お客さんも満員。初日、「当日券あり」だったので、ありゃ、リキッド2日売り切れないか、武道館のリバウンドかなあとか思ったが、行ってみたら、ほかのバンドなら関係者スペースにするフロア最後方左の高くなってるとこまでお客を入れるがゆえの「当日券あり」だったことがわかりました。2日目も大盛況だったけど、特に1日目は「ここまで入れるか? 前川社長!」と思うほどでした。

 

  1日目は、サプライズ・ゲストで夏木マリが登場。「深夜高速」が2コーラスめにさしかかる直前で悠然と登場、歌い出した瞬間にお客さんドカーン!でした。続いて、圭介が曲を提供した「マグダラのマリア」も披露。そのあとグレート、オーディエンスに「みんなのことだから『明日はPUFFY来るんじゃないか』とか思うかもしれんけど、明日はゲストないから!」と強調しておられました。

 

  その2日目。アンコールの「夢の列車」の時にふと思いついて、中盤の竹安アコギ長尺ギターソロの時間を計ってみました。メンバー3人がいったんはけ、再び出てくるまでの間、だいたい5分半でした。だからなんだと言われると困るが。

  あ、それから、その2日目の頭、ハープ&アカペラで「マイブルーヘヴン」から「紅色の雲」へ、というのは、アマチュア時代の定番だった始まり方。

  私が初めてフラカンを観た時もそうでした。上京してくる直前の頃、下北沢シェルター。圭介が金髪&両側頭部剃り上げ、ハープを強く押しつけすぎて口の両端から出血していたのを憶えています。今調べたら、1993年9月21日でした。

 

  以下、セットリスト。

 

7 月2日(土)                          

1 馬鹿の最高 

2 この世は好物だらけだぜ

3 恋をしましょう

4 消えぞこない

5 はぐれ者讃歌

6 It’s Only Roc’kyun’ Roll

7 夜空の太陽

8 感じてくれ

9 薄い影

10 唇

11 元少年の歌

12 深夜高速  with 夏木マリ

13 マグダラのマリア with 夏木マリ

14 発熱の男

15 三十三年寝太郎BOP

16 NUDE CORE ROCK’N’ROLL

17 マイ・スウィート・ソウル

18 YES,FUTURE

アンコール

19 青い吐息のように

20 ロックンロール

21 俺たちハタチ族

アンコール2

22 Good Morning This New World

23 サヨナラBABY

 

7月3日(日)

1 マイブルーヘブン

2 紅色の雲

3 脳内百景

4 切符

5 チェスト

6 煮込んでロック

7 short hopes

8 すべてはALRIGHT(YA BABY)

9 無敵の人

10 青い吐息のように

11 東京ルー・リード

12 大人の子守歌

13 エンドロール

14 真赤な太陽

15 くるったバナナ

16 星に見離された男

17 終わらないツアー

18 消えぞこない

アンコール

19 夢の列車

20三十三年寝太郎BOP

アンコール2

21 深夜高速

22 真冬の盆踊り

23 最高の夏

 

でした。

  かぶってるの4曲だけ。今年になって出た配信シングル「青い吐息のように」と、最新ミニアルバム収録曲の「消えぞこない」と「三十三年寝太郎BOP」、あと「深夜高速」。

  フラカン、京都や東京で2デイズやる時は「かぶり曲なしの2日間」と打ち出すことが多いが、今回は全国ツアーの中の2デイズだからか、そんなにアピールしていなかった。でも実際には、2日とも来る人に配慮してほぼかぶらないメニューにした、という感じだった。

  まあ、今は、すぐライブでやれるレパートリーがこんなにいっぱいある、ということなのだろう。だって、これだけ曲があっても、「東京タワー」も「この胸の中だけ」も「ビューティフルドリーマー」もやっていないわけだし。

 

  なお、かぶった4曲のうちの「深夜高速」は、圭介も言っていたが、完全に予定外。本番前にスタッフに配られたセットリストにも入っていなかった。

  ただ、九州でEテレの「ミュージック・ポートレート」を観ていたら、オアシズ大久保佳代子が選んだ曲の中に「深夜高速」が入っていて、泣きたくなった時に聴く、これを聴いて自分をリセットする、という話をしていてびっくりした──という件にMCで触れていたので、「そう言っといてやらないのもなんだから」みたいな感じで、歌うことにしたのではないかと思う。

 

  私、その大久保佳代子の話、知りませんでした。観てなかったので。

  で。「深夜高速」を聴きながら、「『アメトーーク』で『フラカン芸人』やってくんないかなあ」と、つい思った。なので、頭の中でシミュレーションしてみた。

 

  大久保佳代子ダイノジまちゃまちゃ、あとNHKラジオ『すっぴん!』でフラカンかけてゲストに呼ばれる機会を作ってくれたし武道館にも来てくれたやついいちろう

  ほかに誰かいるかな……あ、山里亮太はカラオケに行くと「深夜高速」を歌うんだよな、じゃあ彼も入れて、あと誰だ? ……あ、伊集院光! ……いや、『アメトーーク』には出ない気がする。

 

  うーん。ちょっと足りないかもしれません。サバンナ高橋とかチュート徳井とかが担う、回す役割の人、この中にはいないし。それにこの並び、「フラカン芸人」ってより「深夜高速芸人」なのでは、というフシもあるし。

  そもそも『アメトーーク』のテーマって、「誰でも知ってる人気者」(例:Perfumeドラえもん)か、「知らない人は知らないけど実はすごい人気」(例:グラップラー刃牙、キングダム)のどちらかがセオリーであって、フラカン、正直、どっちでもないしなあ。

  でも、サニーデイ田中貴だって『アウト×デラックス』に出たじゃないか。あ、それ言ったらフラカンも『ゴロウ・デラックス』に出たか。

  むー。ダメかしら。誰に言っているのか。

 

  フラカン47都道府県ワンマンツアー『夢のおかわり 2016』は、次回の7/9(土)那覇・桜坂セントラルで前半戦終了。夏のイベントやフェスへの出演、「フォークの爆発」ツアー6本や地元名古屋での「ドラゴンデラックス」などをはさんで、10/29(土)福島・いわきSONICから再開。

  とりあえず現時点では、沖縄、台風が心配です。

尾崎世界観『祐介』を一気に読んだ

  尾崎世界観が書き下ろした小説『祐介』。

 

祐介

祐介

 

 

  一気に読んだあとで、わりと枚数少なめな作品であることに気がついたが、それだけの理由ではなく、「えっもう終わり?」「ここで?」「続きは?」という気分になった。

  要は、それくらいおもしろかった、ということですが。

 

  ほぼ自伝なんだろうな、実体験がベースなんだろうな、という内容だが、「自分語り大好き」みたいなうっとうしさはきっぱりとゼロ。

  というか、自分を語っていない。自分を書いているんだけど。これ説明難しいが、でも本当にそういう感じがする。

  強い筆力で、読み手をみんな当事者にしてしまう。特に、匂いや味や音や温度、つまり五感にまつわることの執拗な描写が、読み手をたちどころにそうさせる。

 

  にしても。cakesで連載されている燃え殻の『ボクたちはみんな大人になれなかった』もそうだし、尾崎のこの小説もそうだが、何か、これまでの私小説とは違う、新しい私小説のすぐれた書き手が、小説家とかコラムニストとかを本業にしていない人たちの中から、つまり他ジャンルから次々と現れる、みたいな現象がすでにあるってことなんだろうか、これは。

  又吉直樹の『火花』も、大きくいえばそれかもしれないし。

 

  何か、あせります。僕は作家ではないし、そんな能力も書く気もないし、そもそも求められてもいないが、「何か書いてカネもらって食っている」というジャンルの仕事ではあるので。

  本業じゃない人たちにこんなすばらしいものを書かれると、立場がないというか、「俺は何やってんだ」というか、「やめたら?」みたいな気分になるというか。やめませんが。

 

  メンバーがいなくなり、ひとりになってしまった祐介は、もうバンドをやめようと思っている時にライブハウスでフラワーカンパニーズを観て、「吐きたくなる ほど愛されたい」で涙が止まらなくなって、「もう少しバンドをやってみよう」と決意する……ことになるはずだ、現実に即して物語が続くのなら。 

  早くそこまで書いてほしいです。で、さらにその先も書いてほしいです。

  というか、とにかく続きが早く読みたいです。

「下北沢にも楽器屋はあった」話と「秋山のネタ観て我が振り直せ」の話

 前回のこのブログで、下北沢、ライブハウスもスタジオもいっぱいあってバンドマン多いのに、なぜ楽器屋はないんだろう、ということを書きました。

これです。

shinjihyogo.hateblo.jp

そしたら、知人がふたり、回答してくださいました。

 

ひとりは河井克夫さん。twitterで、「昔ありましたよ。ディスクユニオンの裏のへんに」と教えてくれました。

そうなのか。知らなかったです。ありがとうございました。ってことは、つぶれたってことですよね。

 

もうひとりは、下北沢にある音楽関係の会社に長年勤めているKさん。こちらはメール。

「下北沢のMUSICAのビルの1Fに、イシバシ楽器か何かが15年くらい前までありましたが、つぶれました。たぶん、下北沢を拠点に活動してるバンドは金がないから、あまり楽器を買わないせいだと思います。

買うにしても、店を回って安い所で買うから高額商品は売れない。弦やピックが売れても、高騰した家賃を払えないから撤退したのだと思います」

 

読んで思い出した。ああっ、あった、あったわ楽器屋。今MUSICAやCAVE-BEが入っていて、昔スペースシャワーブランチやハイラインレコードやアーロンフィールド(MUSICAが入っているフロアにあった事務所兼インディーレーベル。Caravanの最初のリリースはここでした)が入っていた、あのビルに。

完全に忘れてました。でも言われて思い出しました。

あの店、確かにいつも閑散としていたような印象がある。なので、撤退したのもうなずける気がする。

バンドマンって貧乏でもギブソンとかフェンダーUSAとか持ってたりするので、高額商品も買うんじゃないかとなんとなく思ってたんだけど、そうか、あちこち回って探し回って買う、と考えると、確かに下北では買わない気がします。

 

というわけで納得。ありがとうございました。

 

 

で、ここから全然違う話です。

 

昨日入った居酒屋、隣のテーブルが、ロック寄りの音楽業界で働いている男女3名だった。

面識ない人たちだけど、「あ、あそこの会社の人か」ということが耳をそばだてていなくてもわかるくらい、大きな声だったのでした。

業界について、個別のバンドや事務所やレコード会社について、ロックフェスについて、などなど、それはもう熱く語っておられる。知っているバンドの名前や、僕の知り合いでもある業界人の名前などが、ばんばん出てくる。

で、「この語り、ロバート秋山にマネされそうだなあ」と思ってから、急にすごく恥ずかしくなった。

彼らを恥ずかしいと思ったのではなくて、「俺も飲み屋とかでしてるわ、こういう話」ということに気がついて。

いつもしているわけではない、と信じたいが、少なくとも「あいつと飲んだ時はだいたいこういう話だよなあ」みたいに、リアルに思い当たるフシがある。

 

honto+でやっている、そして今各方面から大絶賛を浴びている、あの「秋山竜次のクリエイターズ・ファイル」。

「いるいるこういう奴」とか「おもしろすぎる」とか「秋山ほんと天才」とかもちろん僕も思うし、笑うのを超えて「すげえなあ」と感嘆もするが、それ以上に、

「やべえこれ。俺も同じ箱に入ってるかも、秋山がネタにしている人たちと」

という恐怖を覚えるわけです、観るたびに。

そういえば大根仁監督も、「TVプロデューサー・唐沢佐吉×構成作家・成安タロウ」編を観て、「ほんとにこういう人いるし、下手すりゃ自分も危ういし。気をつけよ」とツイートしていた。

 

で、それ、業界人とかに限らないのではないかと思う。

ここで秋山が演じている「クリエイター」って、「トータル・ウェディング・プロデューサー」とか「湯どころ旅館『銀風の塔』グループCEOの女将」とかまで入っているし。

「自分の仕事について、自分について語りたい人」全員ではないかと。秋山の俎上にのっかるのは。

仕事って、ただやっていればいいことであって、「それについて語る」のは……まあ、ミュージシャンとか映画監督とか俳優とか小説家とか、つまり表現者だと、プロモーションのために「仕事について語る」ことが求められることがあるわけだけど(で、僕は、語ってもらってそれをテキストにすることが仕事なわけだけど)、確かにここ10年くらい、いやもっと前からか、「情熱大陸」とか「プロフェッショナル 仕事の流儀」みたいな形で、それ以外の人たちも、そのような形でスポットが当たることが増えている、という現状そのものなのか。秋山が「これ使える」と、ネタにしているのは。

 

まあ、どこまでが表現者でどこからか表現者じゃないのか、というと難しいが。

というか、たとえ表現者であっても、松尾スズキさんがよく言う「表現するのは恥ずかしいことだ」という意識がないと、秋山にネタにされるようなことになる、というか。

現に「俳優 桐乃 祐」編もあるし(ネーミングの時点でもう勝ってますよね、これ)。

 

などとグルグル考えてしまうのでした。秋山のこのシリーズの、「観る者が傍観者でいることを許さなさ」がすばらしすぎて。

とりあえず、飲み屋でもそれ以外の場でも、伊集院光のラジオがいかにおもしろいかとか、誰それのライブがすげえよかったとか、そういう話だけをするよう、自分を語らないよう、気をつけたいと思います。

なぜ下北沢には楽器屋がないんだろう

  東京に住んで25年経つのに、今まで気がついていなかったことがあった。

 

  下北沢って、なんで楽器屋がないんだろう。

 

  6月26日日曜日、下北沢GARDENで黒猫チェルシーを観ている時、ギターの澤竜次はメインの白いストラトのほかにセミアコとテレキャスター、ベースの宮田岳はメインの水色のジャズベースのほかにSGも使っていて、あ、持ち替えた、SGベース使ってる若いミュージシャンめずらしいな、SGベースつうと佐藤研二だよな……とか思っているうちに、「……あれ? そういえば下北、楽器屋、ないよなあ」と、唐突に気がついたのだった。

 

  下北沢、言うまでもなく、ライブハウスはいっぱいある。渋谷、新宿に次ぐ多さ、いや、ヘタしたら新宿よりも多いかもしれない。

  で、リハーサルスタジオやレコーディングスタジオも、いくつもある。なので、楽器を持って歩いているバンドマン、いっぱいいる。

  にもかかわらず。何ゆえに楽器屋はないんだろう。中古楽器店はあるが、渋谷みたいにKEYとイケベとイシバシがひしめき合う、みたいなことにはなっていない。というか、そういう大手楽器店チェーンの類い、ひとつもない。

  試しに「渋谷 楽器店」で検索かけるとばんばんひっかかるのに、「下北沢 楽器店」だと、やはり、中古楽器屋とかしか出てこない。

 

  下北沢、よく「音楽と演劇の街」と言われるが、僕が東京に来た頃は、まだ屋根裏と下北沢ロフトぐらいしかなかったと思う。

  そのちょっとあとにシェルターができ、さらに2~3年後にCLUB Queがオープンした頃から、CLUB 251、ガレージ……と、どんどん増え始めて現在に至る、というような印象がある。

  今、調べてみたら、シェルターは1991年、CLUB 251は1993年、CLUB Queとガレージは1994年のオープンだった。そうか、Queより251の方が早いのか。

  シェルターは、「新宿ロフトが入っているビルが建て替わるからそのつなぎで下北沢にライブハウスを作るらしい」みたいな情報を事前に知っていて、オープン記念イベントシリーズが何日かあった中の1日に、行った記憶があります。ロッテンハッツを観ました。

  最初にCLUB Queに行ったのは、桜井秀俊がやっていたびっくりしたな、もう……で合ってるよな、パイオニアコンボじゃないよな、メンバー3人だったから。当時ROCKIN’ON JAPANで行っていた「下北沢バンド紳士録」という連載コーナーの取材で、Queの楽屋でインタビューさせてもらったんじゃなかったっけ。

  パイオニアコンボの方は、同じ連載の中で、笹塚あたりのファミレスで取材したような気がする。その頃のJAPAN、とうに持っていないので、確認のしようがないのですが。

  ガレージに初めて行ったのは、これは覚えている。デビュー前、なので1994年くらいかな、上京してきたばかりのフラワーカンパニーズだった。当時フラカンは都内でめったやたらとライブをやっていて、僕はそれを全部追いかけていた。なので、当時、フラカンのおかげで初めて行きました、というライブハウス、多かったです。

 

  話がそれた。戻します。

  にもかかわらず楽器店がないというのは、ちょっとどうなのか。

  いや、どうなのかってことはないが、楽器屋作れば商売になると思いません? 素朴に不思議です。ライブハウスにしろスタジオにしろ、「あ、替えの弦がない」とか「スネアのヘッドが破れた」とかいうので、日常的に需要、ありそうなのに。

  近々、ミュージシャンに会う予定があるので、そのあたりどうなのか、訊いてみようと思います。

  あと、リットーミュージックのギター・マガジン編集部に、去年一緒にフラカンの単行本を作った編集者がいるので、メールで教えを乞いたい気持ちもあるのですが、「久々にメール送ってきたと思ったら、なんなんだその用件はあんた」と、僕と同い歳の彼に思われそうなので、躊躇しているところです。

 

  あ。僕が東京に来た時にはすでに下北沢に事務所があった、UKプロジェクトの人に訊けばわかるか。

  わかるかもしれないが、それと同時に「わざわざこんなこときいてきて、こいつヒマなのかな」「ヒマなんだろうな」「フリーになって1年経って、ご祝儀仕事もひととおり終わってすっかり干上がってるんだろうな」とか思われそうなので、やめておきます。

2016年の『YATSUI FESTIVAL』について

  2016年6月17・18日、渋谷のO-EASTO-WESTやDUOなどの11会場(増えたなー)で行われた、DJやついいちろうプレゼンツの『YATSUI FESTIVAL 2016』で、DJをしました。

 

  ありがたいことに、ほぼ毎年呼んでいただいている。1回出てないくらいだと思う。

  一応出演者であるにもかかわらず、毎年、オープニングの開会宣言の時間からラストのフィナーレまでいないと気がすまなくて、自分が出ない日も頭から最後まで遊びに行っていたが、今年は2日とも声をかけていただき、O-nestのラウンジで、1時間ずつDJをした。

 

  フェス自体は、今年もすばらしかった。基本的にやついいちろうは、お客さんの快適さや観やすさを何よりも優先するオーガナイザーで、そのことは去年もこのブログに書いたが(こちらです http://shinjihyogo.hateblo.jp/entry/2015/06/22/111255 )、今年もやはりそうだった。

  このフェスのことを言葉にする時は、ステージ上もそうじゃない時も、今年は入場がスムーズに行って一切クレームがなかったとか、1日目の開演前に暑くて倒れちゃった人がいたんだけどその人はすぐ復調してよかったとか、入場規制についてとか、そういったような、運営に関することしか口にしていなかった。

  去年、入場規制をなるべく減らしたいから次もまた会場を増やす、と言っていたが、確かに入場規制、目に見えて減っていた。そして、全体の快適性、増していた。

 

  2日間で自分が観たもの(全部観てないやつも含みます)。

  1日目:トップのDJやついいちろうから始まって、魔法使いアキット、千秋の歌と開会宣言、渋さ知らズオーケストラ、never young beach、GOING UNDER GROUND、GLIM SPANKY、自分のDJはさんで途中からやついフェススペシャル歌合戦、中村一義を途中まで観て某インタビュー仕事のためいったん会場を離脱(なのでサニーデイ・サービス人間椅子もNOT WONKもカルメラも観れず!)、戻ってきて華原朋美、DJやついいちろうからフィナーレでサニーデイ中村一義松本素生&残っている出演者たちによる、曽我部恵一が作ったこのフェスのテーマ曲「月が今夜笑ってるから、ぼくらそっと東京の空を見上げる」を歌って記念写真を撮るところまで、観ました。カメラマンは元岸田哲平アシスタント、本田本でした。

  2日目:DJやついいちろう、SASUKE軍団、ゆゆん、藤岡みなみ&ザ・モローンズ、堂島孝平清竜人25 、三四郎、ゆってぃ、Czecho No Repblic、初恋の嵐、自分のDJはさんでクリープハイプ、Charisma.com、ちょっとだけ南波志帆堂島孝平のトークショー、ワンダフルボーイズ、古舘佑太郎、Hi-Hi、DJやついいちろう+いとうせいこう+いつか、そしてフィナーレで曽我部が作った(以下略)。この日のカメラマンは本田本ではありませんでした。

 

  自分のDJにまつわる余談。

  1日目。4曲目ぐらいに、アナログフィッシュの「No Rain(No Rainbow)」をかけようと、CDJにセットして、あと20秒くらいで前の曲が終わる、というタイミングで顔を上げたら、下岡晃が入ってきた。

  あまりのタイミングのよさにびっくりした。友達のバンドとかを観に、遊びに来たそうです。プレイボタンを押したら、「恥ずかしい」と、O-nestのライブフロアの方に去って行きました。

  2日目。2日目の僕の持ち時間、18時から19時までの1時間。僕の次の時間は鹿野淳、その次はGETTING BETTERの片平実、という並びだった。

  この3人、17年くらい前に、すぐ隣のCLUB ASIAで「BUZZ NIGHT」というマンスリー・パーティーで、一緒にDJをしていたのです。

  まあ鹿野淳とは、それ以前に、雑誌BUZZやROCKIN’ON JAPANを共に作っていた上司と部下だったんだけど、なんか、すんごいタイムスリップ感でした。さらに、そのあとに古舘祐太郎を観にCLUB ASIAに行ったもんで、「ここで毎月やってたなあ……」と思い出して、クラクラしたしもしました。

  あと、O-nestのラウンジでDJをやる時って、基本、人、ほとんどいないか、いても座ってしゃべってたりスマホいじってたりしてあんまり聴いてないのがデフォルトなのですね

  そういう場だし、そういうものだからいいや、といつも思っていたけど、あとで片平実の時に行ってみたら、お客さんいっぱいで、みんな踊りまくって盛り上がっていて、実力と知名度の違いを思い知る、ということもありました。

 

  エンディングでやついくん、来年は6月17日・18日開催だと発表しておられました。

  呼ばれる呼ばれないにかかわらず、来年も楽しみにしています。

アナログフィッシュ「No Rain(No Rainbow)」のMVについて

   6/6、アナログフィッシュ「No Rain(No Rainbow)」のミュージックビデオが公開された。

 

 この曲が入っているアナログフィッシュの最新アルバム『Almost A Rainbow』、昨年の9月にリリースされたものなので、なんで今さら?とか思ったが、観てみたら、あまりのよさに、なんか書きたくて、いてもたってもいられなくなってしまった。

 

www.youtube.com

 

  ただ、この曲については、正直、あんまり書くことはありません。

  これぞ下岡晃! な、長年このバンドを追ってきた耳で聴いてももうあからさまに大名曲で、現に今のアナログフィッシュのライブのハイライトのひとつになっていて、僕もいつもこの曲が演奏されるのを心待ちにしているのだが、リリースのちょっとあとに知人のライター柴那典が、この曲に関して、腹が立つくらい(なんでよ)的を射たことを書いていたので、それ以上自分がなんか書く気、なくなってしまったのでした。

  こちら。https://note.mu/shiba710/n/n44493fdf3432

 

  でも、今さらだけどあえてちょっと書くなら、柴那典が「愛は“コスパ”じゃない」と書いているように、この曲、確かに、「市場化の圧力」へのプロテストであり、人の行為やものの動きになんらかの対価を求めないと成立しない、今の世の中へのプロテストである。

  最小限の対価や最小限の努力や最小限の負担で、最大級のベネフィットを受け取ることを目指すのが資本主義社会だが、教育や政治というのは本来そのようなメカニズムで動いているものではない。だから、それでは機能しない。なのに、教育や政治にまでその論理を持ち込むから、おかしなことになってしまったし、今もどんどんおかしなことになり続けている──というような記述が、政治家ではないが教育者である内田樹の著書を読むとよく出てくるのだが、大きな意味でそれと同じようなことを表している歌だと思う。

  世の中が楽しく気分よく暮らしにくくなっていく、その原因のひとつを指摘している、というか。

  逆に言うと、楽しく気分よく暮らしていくための、ものの考え方のひとつを、提示しているというか。

 

  で。このMVなのだが、おそろしくカネかかっていない。

  メンバー3人とも一切出てこない。基本的に、東京の城南エリア(って言っていいですよね)の、あちこちの街の風景を撮って、つないだだけのもの。

  下岡晃がどこに住んでいるのか知らないが(佐々木健太郎と斉藤州一郎がどこに住んでいるのかは知っているのに。なんでだろう)、きっとこのへんが彼の生活圏なんだろうな、と思う。

   渋谷駅ハチ公口。渋谷駅南口。渋谷駅そばの桜丘町の桜坂。駒場東大前駅近くの踏切。淡島交差点そばの遊歩道んとこの小さな公園。世田谷線宮の坂駅そばの四つ角。井の頭通りの代々木上原駅に入るあたり。夕暮れの新代田駅、FEVERのそばの、環七の下に井の頭線が走ってるとこ。代々木公園の、代々木八幡駅に入るとこの交差点。などなど。

  強いて言えば、電車、もしくは線路を軸にして作ったのかな、という気はした。井の頭線世田谷線、千代田線、小田急小田原線東横線、銀座線が映っているので。

  あ、そうか。だからくるり岸田繁が絶賛ツイートしてたのか。違うと思います。

 

  ただ、カネはかかっていないが、手間はかかっている。

  特に、そのカットの太陽光の感じや、影の落ち方や、アングルの切り取り方や、そのアングルの中を人やクルマや電車が通るタイミングなど、もう何もかもが絶妙。って、何がどう絶妙なのかとても説明しづらいが、いちいち「そうか!」とか言いたくなる、観ていると。

  そして、それらの積み重ねによって「街の風景を描くことがそのままプロテスト・ソングになる」という、アナログフィッシュ下岡晃楽曲がやりたいことと完璧にシンクロした映像作品に仕上がっているのだ。

  これ、下岡晃が自分で作ったのかな、と思ったが、クレジットを見たら「笹原清明」となっていた。アナログフィッシュの写真をずっと撮っている人だ。げ。別人なのか。なのにこの作品か。本人かあんた。というか、メンバーか。と、言いたくなりました。

 

  何よりも、具体的にはなんにも言っていない映像なのに、何か、とても希望を感じさせるところが、とてもいい。すばらしいと思う。

  あれ、もう20年くらい前かな、佐内正史の写真を初めて観た時に、衝撃を受けつつも意味がわからなかったのを、よく憶えている。

  なんだこのカメラマン、ただ街の風景に向かってシャッター押してるだけなのに、なんでこんなにすごいんだ、と。

   その時の感じを、思い出した。ただ、今は、当時ほど「意味がわからない」とは思わなくなってるな、俺も、とも思った。

 

 このMVも、この曲も、というか今のアナログフィッシュ自体、ミュージシャンやライター等の音楽関係者から絶賛されること、本当に多いけど、特にライターとかの関係者のみなさん、ならば、できればもっとライブにも来ていただきたい、そしてそのすばらしさをどんどん広めていただきたい。

  と、ライターとかの中ではかなり観に行っている頻度の高い(と言っていいと思う)身としては、望みます。

  アナログフィッシュ、新代田FEVERで対バンシリーズをやっていて、1本目は4月24日(日)Alfred Beach Sandolと行った(レポはこちら。http://shinjihyogo.hateblo.jp/entry/2016/04/27/153633 )。

  次は2本目、6月25日(土)、相手はトリプルファイヤーです。

  ぜひ。

 

  ……とか書いていたら、同日同時刻に、仕事が入って観に行けなくなってしまいました。

  がーん。すみません。

  そっちも、仕事させてもらえるなら絶対やりたい、大好きなアーティスト関連の案件なので、やむをえないのですが。

  その次の毎年恒例「Natsufish TOUR」、8月10日(水)渋谷クラブクアトロは、観に行きます。

 

  6月25日(土)新代田FEVER、行ける方はぜひ。

 

なぜ下北沢や三軒茶屋にもキャバクラがあるのか

   下北沢や三軒茶屋にもキャバクラらしきものはあって、連日ワイワイ客引きしておられるが、どういうマインド設定をすればこれらの街でこれらの店で楽しい時間をすごせるのか、というイメージがどうしてもできないまま、早くも25年経過。

 

  というツイートを、先日した。銀座とか六本木は高い、だから新宿歌舞伎町とか渋谷、というのはまだわかるけど、下北とか三茶ってそういう街じゃないじゃん。特に下北ってバンドマンとか演劇人とかがウロウロしてるとこでしょ。来ないよね? そういう店に。なんで?

  と、以前から不思議に思っていて、その日の下北沢にも客引きがいっぱいいたので、なんとなくそうツイートしたのだが、それを見た知人の編集者が、即座にリプライをくれた。

  曰く、

 

  あれです、六本木や新宿などとは違い、近隣に住む女子大生的なより身近な女性が在籍していて、よりあわよくば感が強いというマインドではないでしょうか。

 

  ということです。

  なるほど! と、とても、大変に、それはもうものすごく、納得した。さすがKさん。次々とヒット作・話題作を出している敏腕編集者だけのことはある。

  というのも、僕がいつも前を通る、下北沢の……あそこ、キャバクラじゃなくてガールズバーだけど、よく女の子たちが店の前に出て、客引きをしているのですね。

  で、その子たちが、CLUB Queのビルのファーストキッチンでギャハギャハ笑いながらたむろっていそうな、昔レコファンがあったとこの近くのイタリアントマトで延々とだべっていそうな、曽我部恵一さん経営の素敵なお店CITY COUNTRY CITYには来なさそうな、ライブハウスや劇場にも、うーん、来ないかも、というような、でもビレバンにはいそうな……しつこいですね。そろそろやめますが、とにかくそんな感じの、ごくごく普通の子たちなのです。顔とかスタイルもだけど、着ているものも含めて。

  「え、この子たちと飲むために、普通の飲み屋より高いカネ払うの?」というのも、かねがねから疑問だったのだが、そっちの疑問も一気にとけたのだった。「確かに!」と。

 

  僕は人生で三度だけ、「こういうのをいわゆる高級キャバクラというんだろうな」というような店に行ったことがあるのだが、それ昔某大手マネージメントの偉い人がおごりで連れて行ってくださったのだが、もっと言うと三度ともその同じ人というのが我ながらどうかとも思うし、「あんなにおごっていただいたのになんにもお返しできてなくてとても申し訳ないです」という気持ちを抱えたまま10年以上が経過していたりするのだが、とにかく。

  もう見るからに高そうな店で、出てくるおねえさんたちみんな「まあおきれい!」「ザ・キャバクラ!」みたいな感じで、僕がもともとそういう店が苦手なのは置いといても、「こんな子たちが俺とか相手にするはずがねえ」という確信が、席に着いた瞬間に芽生え放題芽生えて、ゆえに愛想よくされても居心地悪くて、私なんぞがこんなとこに座っていてほんとに申し訳ございません、と四方八方に頭を下げ続けたくなるような、そんな感じだったのでした。

 

  という観点からすると、その下北のガールズバーみたいに「ただのそのへんのねえちゃん」の方が、確かに「あわよくば」感を持てますよね。と、納得したのでした。

  そうか。だから高円寺にも、いっぱいそういう店があるのか。

 

   なお、その人生で三度だけの高級店、二回は六本木で一回は大阪の北新地だったのだが、一回目に六本木の店に行った時、「今日入ったんです」という初々しいおねえさんがいた。

  で、半年くらい経ってまたその店に行ったところ、その同じおねえさんが付いたんだけど、もうあからさまにどかーん!と、胸がでっかくなっていた。どう考えても自然にそうなるはずはない、というのが明白なレベルで。

  何か、もの悲しい気持ちになりました。めっちゃきらびやかな店の中で。

 

  渋谷にBAR BOSSAというワインバーがあって、いい店で、長いこと通っている。そしたら数年前、そこのマスターがcakesでコラムの連載を始めたり、本を出したりするようになった。

  その人、「渋谷の隠れ家的なバーのマスターだから知っている、恋愛についてのいろんな話」みたいなコラムを書いていて、人気を博しているのですね。本人は、既婚者で、浮ついたところのない、品行方正なキャラクターなんだけど。歳は僕のひとつ下です。

  ならば。俺が彼のように、色恋とかおねえちゃんとかの方面のことを書いてみたら、どうなるだろう。

  と思って書いてみたら、こんなことになってしまいました。

  目も当てられないとはまさにこのこと。と、自分でも思います。