兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

うしろめたい

  昨日、某メディアで某ミュージシャンにインタビューしたのだが、編集部のスタッフがインターン中だという女の子を伴って現れた。京都の大学生。くるりの曲名ですね。

  で、今日、某社で打ち合わせがあって、いろんな企業がいっぱい入っている某ビルに行ったら、エレベーターホールがスーツ姿の若い男女であふれていた。就活中の大学生。

  ああごめんなさいごめんなさい本当に申し訳ないです。都内のあちこちで彼ら彼女らを見かけるたびに、そう心の中で唱えながらすごす季節が今年も始まったなあ、と、実感した。

 

  すごくうしろめたいのだ、あのように懸命に就活をがんばっている、つまり己の人生に真剣に向き合っている学生さんたちを見ると。

  自分も会社員だった2年前まではまだマシだったが、会社をやめてフリーライターのようなフリーターのような仕事しているような無職のような働いているような遊んでいるような暮らしになってから、そのうしろめたさがスーパーカーセカンド・アルバムのようにジャンプアップした。「あなたの就職の希望がかないますように」「あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように。」と中村一義のように心で祈ったりもするが、「おまえみたいな奴に祈られても」と思われること必至だし。

 

  僕が大学を出る頃はまだぎりぎりバブルの時代で、4回生になったあたりからハウス食品とかNTTとかの一流企業に進んだ面識のないOBたちからばんばん電話がかかってくるような、今では信じられない、空前の売り手市場だった。

  にもかかわらず、僕は就職する気がなかった。高校生の頃は広島で、大学生になってからは京都で、地元の年上のバンドマンとばかり遊んでいて、彼らから「大人になっても就職しなくていい」「バイトしながらバンドやっていていい」ということを学んでしまったのだった。

  そういうのが許されるのは、専門学校をやめてバイト&バンド生活に入るや否やプロデビューが決まって東京に行き、まんまとバンドブームの寵児になって、それから30年くらい経つ現在でも第一線で活躍しておられるOTさんという先輩のように、特別な才能がある人だけですよ。当時の自分にそう伝えたい。

 

  一緒にバンドをやっていたメンバーたち(全員大学生だった)は、留年したり休学したりして4回生になるのを引き伸ばしながら活動していたのだが、世の中バンドブームだというのにこれだけやってさっぱり動員が上がらないということは、どうも我々はダメらしい、と見切りをつけ、僕が4回生になるタイミングで「あきらめて解散」ということになった。

  で、僕以外の3人は就活を始めたが、僕はローソンの夜勤のバイトをしながら、次のバンドを探していた。

  人の紹介で音を合わせてみて「こいつらとやってもダメだ」と判断して断ったり、逆にあっちから断られたり、ものすごくやる気がある奴がいるというので会ってみたら、(当時はそんな言葉なかったが)V系の人で「これは無理だ、合わん」と思ってばっくれたり、ドラムがいない知り合いのバンドのヘルプをやったりしながら、暮らしていた。

  音楽業界志望の同級生にくっついて、ソニーとキティだけ受けてみたが、ソニーは大阪営業所での一次面接で落ち、キティは最終面接のひとつ前くらいまで行ったが、そこで落ちた。そもそも受かるわけないと思っていたので、さしてがっかりもしなかった。

  ちなみにその同級生は、キョードー大阪に就職してブレイク前のウルフルズなどを担当、その数年後に斉藤和義に請われて東京に移り、彼のマネージャーになった。で、数年間務めたあとに大阪へ戻り、以降、吉本興業で長く働いている。

 

  で、フラフラしながら4回生の夏になった頃。

  ロッキング・オンだったかロッキング・オン・ジャパンだったか、いずれも毎号買っていたので先にどちらで目にしたのか忘れたが、ページを開いたら社員募集が載っていた。熱心な読者だったので、編集部に行けたらラッキー、生で渋谷陽一とか山崎洋一郎とか見れたらラッキー、ぐらいの気持ちで履歴書と課題作文を書いて応募したら、面接に呼ばれた。

  東京まで行ったら、2回の面接で合格してしまった。すでに秋になっていた。大学、ダブってもいいやと思っていたので単位が大量に残っており、そこからあわてて勉強してなんとかギリギリで卒業した。あれから26年が経つ今でも、原稿のしめきりに追われたりすると、大学を卒業できなさそうであせりまくっている夢を見ます。

  当時、つまり1990年頃のロッキング・オンは、定期採用も行っていない、社員十数人の小さな出版社で、採用するにしても一回の試験でひとりかふたりというのが普通だったが、この時だけいっぺんに6人も採ったことを、後日知った。ロッキング・オンもバブルだったんだなあ、と思う。そうじゃなかったら落ちていたことはあきらかだ。

 

  そして。その24年後に会社をやめる時も、転職活動するわけでも起業するわけでも今後の仕事のプランニングを考えるわけでもなく、「フリーでライターの仕事をもらえて食っていければいいなあ」と漠然と希望しながら、ただ単にやめた。

  で、それからまもなく2年が経つが、どうも、なんとか食えている様子である。

  もちろん儲かってるわけないが、友人知人にカネを借りたり、消費者金融に手を出したりしなくていい状態が、とりあえず現在までは続いている。

 

  というふうに、「職に就く」ということに対して、人生なめきった態度のままでこの歳まで来ていることが、どうも申し訳ないというか、うしろめたいわけです。普段はそんなこと気にしてないが、就活でがんばっている学生さんたちを見ると。

  ロッキング・オンが定期採用を始めてから、おそろしいことに、そんなバカが履歴書の下読みをしたり、試験問題を作ったり、面接に参加したりしている時期もあったのだが、受験者たちのびっしり書かれたエントリーシートや、ずらっと問題が並んだ試験用紙を見るたびに「俺だったら間違いなく落ちる」と思っていた。

  ペーパーテストでひどい点数で落ちるのはもちろん、そもそもまずあのエントリーシートを書くのが無理。しかも彼ら彼女らは、それを何十社分も書いているわけで。うわあ。大変。絶対できないわ、俺。

  という、そんな奴に面接されていた皆様に心からお詫び申し上げたくもなるわけです、この季節になると。

 

  「だからどうした」以外の何ものでもないことを書いてしまった。

  みなさんの就活がうまくいくことを、心より願っております。

  就活してるくらいの年代の子は俺のブログなんか読まねえよ。という問題もあるが。

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2/12広島クラブクアトロ、フラワーカンパニーズ vs The Birthdayに行きました

  フラカンのイベント『シリーズ・人間の爆発』、今回は名古屋広島大阪のクラブクアトロを対バンで回る企画。名古屋はホフディラン、広島と大阪はThe Birthday

  私、広島出身で、年末年始に帰れなかったのもあって、帰省がてら観てきました。

 

  まずThe Birthday。おっそろしくかっこよかった。なんかどんどんすごくなってないか、チバ。昔より余裕も貫禄もあるし、楽しそうだったりもするのに、同時にヒリヒリするくらいソリッドかつシャープになってもいる、なんか矛盾した存在に化けつつあるというか。

  とにかく歌が届く。言葉とメロディのこっちの耳へのぶっ刺さりっぷりが、あきらかに昔より鋭くなっている。

  中盤の、来月出るニューシングルの曲2連発と、そこからのライブ・アンセムたたみかけが特にヤバかった。特にシングルの1曲目「抱きしめたい」の、「俺は決めたんだ あのクズどもから 世界を奪い返すって」という直球きわまりないラインが印象的でした。

 

  で、フラカン。この日がひっさびさの新音源、4曲入りニューシングル「あまくない」のライブ会場先行販売のスタート日だったので、その告知をしつつ、その中から「すべての若さなき野郎ども」と「あまくない」を披露。

  「すべての若さなき野郎ども」は昨年秋頃からライブでやっていたけど、鈴木圭介曰く「あまくない」はライブでやるのこれが初めて、とのこと。フラカンにはめずらしく、と言うと失礼だけど、しっかりとでっかいサビのあるミドルチューン。歌詞も、今の圭介まんまなんだろうなと思わせるよい仕上がり。

  あと、すごく久々に「人間の爆発」をやったんだけど、これがやたらよかった。重くて暗くてドロドロしていて。この曲に限らずトラッシュレコード時代、こういう重暗ドロドロ方向のいい曲、いっぱいある。もっとライブでやってもいいのに、と思いました。新しくそういう曲を書いてくれてもいいけど。

 

  そして、アンコールでサプライズあり。「フラカンは、長い付き合いです。個人的には、加入したいと思ったこともあります」とMCで言っていたキュウちゃんが参加、ツインドラムで「真冬の盆踊り」を披露。

  曲に入る前のグレートの「ミュージシャンには『ヨサホイ』やる人とやっちゃいけない人がいるから」という説明に、お客さん、大笑い。「あとの3人は出て来ないから! もし出てきたら俺全力で止めるわ!」。確かに。

 

  というの、大阪でもやるんだろうな、と思ったので、大阪が終わるのを待ってから書きました。

 

  余談。

  フラカンが広島でライブをやると、そのあとスリムチャンススタジオという鷹野橋にあるクラブで、グレートマエカワがDJをやるのが定例化しているのですが、「広島帰るならDJもやればいいじゃん」とお誘いいただいたので、行きました。DJは最初は地元の方、途中からグレート、私、キュウちゃん。

  で、自分の時間になったと思ったらほどなくして、キュウちゃんとバック・トゥ・バック(1曲交代でかけるやつ)を命じられ、レベッカをかけまくるキュウちゃん、私がかけてる間に次の曲を選ぶ、という状態になりました。で、相手が途中でグレートに替わりました。

  結局何曲かけたっけ、ってくらい長いことやった末、ネタが尽きてグレートにまかせてブースを下り、5時には終わるかなと思って聴きながら待っていたんだけど、5時20分を超えてもグレート、一向にシメる気配がないので、先に帰りました。

  翌日、すごい二日酔いでした。楽しかったけど。

1/24渋谷WWW、黒猫チェルシーとフラワーカンパニーズ

   黒猫チェルシーの対バン企画『ネコのコネ』東名阪3本の1本目の東京編。大阪と名古屋の対バンはプププランドで、東京はフラワーカンパニーズ

  MCでグレートマエカワが「自分らの倍くらいの歳のバンド、よくゲストで呼ぶよな」と喜んでいたが、「確かに」とも「でも黒猫チェルシー、そういうバンドだしなあ」とも思いました。

  以下、それぞれちょっとだけレポ。

 

フラワーカンパニーズ

  1恋をしましょう 2消えぞこない 3ロックンロール 4ビューティフルドリーマー 5すべての若さなき野郎ども 6感じてくれ 7東京タワー 8三十三年寝太郎BOP 9終わらないツアー 10真冬の盆踊り

  という、選曲も並びも、最近のフラカン的にはちょっとめずらしいセットリストだった。特にレアなのは6曲目の「感じてくれ」かな。5曲目は昨年10月くらいからライブでやっている新曲。あと私はいつも「ビューティフルドリーマー」もっとやればいいのに、と思っているので、そこもいいポイント。

  というわけでこっちはうれしかったし、内容的には黒猫ファンもしっかり楽しんでくれたようにお見受けしたが、あとで鈴木圭介がブログに「またしても反省点の多いライブだったな・・。」と書いていたのも、まあうなずける内容ではありました。

  圭介のノド、久々に本調子じゃなかったし(2016年は風邪でコンディション悪いライブが奇跡的なくらいなかったのです)。新曲で竹安、ギター間違えてたし。

 

黒猫チェルシー

  1夜更けのトリップ 2恋はPEACH PUNK 3アナグラ 4雲の列車 5涙のふたり 6LIFE IS A MIRACLE 7青のララバイ 8ベリーゲリーギャング 9海沿いの街 10ロンリーローリン アンコール 11ロックバラード 12東京

  5、6、7、9、11が2/22に出るニューアルバム『LIFE IS A MIRACLE』収録曲で、5と7はシングルで出ているので6、9、11がリリース前の曲。ということになるのだが、それらがもうすばらしくよかった。

  「恋はPEACH PUNK」あたりの、数限りなく演奏されてきたライブ・アンセムにまったくひけをとっていない。特に「LIFE IS A MIRACLE」とか(ギター・リフが超かっこいいのです)。

  あと、「涙のふたり」、最初にNHK連続テレビ小説『まれ』で聴いた時は「このドラマとこの役に合わせて書いたんだろうな、素直でかわいい曲だなあ」くらいの感想だったが、その後ライブで聴くたびに「あれ? こんなにいい曲だったっけ?」と驚く。こっちの耳のせいもあるんだけど、バンドによって曲が育っているということでもあるんじゃないかと思う。

  にしても黒猫チェルシー、やってる音楽と世代が全然合っていない、というのは最初からだけど、最近とみに「90年代王道ニッポンロック」感がぐんぐん上がっていて、それとともに演奏もメロディも堂々としてきているのがとてもいい。

  で、彼らが好きだというイエモンウルフルズエレファントカシマシからの影響が感じられるだけじゃなくて、たとえばRCサクセションやなんかの、そのもうひとつ前の世代の、ウルフルズエレカシが影響を受けたロックの匂いまであるのも、とてもよかったりする。

  彼らより上の世代は「そう、この感じ!」ってうれしく聴けるし、下の世代は新鮮にとってはとても新鮮に響くんじゃないかと思う。

 

余談

  終演後にフラカンの楽屋に行ったら、竹安がひとりでギターを弾いていた。

  「なんでライブ終わってから弾いてんの?」「いや、新曲で弾き間違えたから」

  まじめか! と思いました。まあ、まじめなんだけど。

  なお竹安、日本武道館以来定番になったジレをこの日は着ていなかった。着ると暑くて大変で、年も明けたことだし着るのをやめてみたそうです。

  「着た方がいいんじゃない? 身体が締まって見えるよ」と言ったのですが、次のライブでどうなるかは未定。

真心ブラザーズと忌野清志郎の歌詞改変曲について

ファンはご存知だと思うが、真心ブラザーズには2曲、ライブで歌詞を変えて歌われている曲がある。

 ひとつは彼らが最初に世に知られた曲であり、「サマーヌード」と共にもっとも広く親しまれてきた曲、「どかーん」。

 ライブでYO-KINGは、あの曲の歌い出しを「どかーんと一発やってみようよ」と歌うのだ。

 オリジナルは「どかーんと景気よくやってみようよ」だ。音源では、曲の後半の最後の一回では「どかーんと一発」になるが、それ以外、つまり最初の二回は「どかーんと景気よく」だ。

  僕はこの曲が入っているファースト・アルバム『ねじれの位置』のツアーは観れていないが、セカンドの『勝訴』以降のツアーはほとんど観ていると思う。思うが、いつから「景気よく」が「一発」に変わったのか記憶していない。活動休止をはさんで変わったのかもしれないし、もっと前に、しばらく「どかーん」を歌わない時期があって、また歌うようになったら変わっていたのかもしれない。

 

 でも、いずれにせよだ。

「どかーんと景気よくやってみようよ」の方がよくない? 僕はそっちの方が好きなんですが。「ふっとやなことが頭をかすめて ゆううつな気持ちが広がってゆく そんな気持ちをぐっと押えて」からつながる歌詞なんだから、「景気よく」の方が、コントラストはっきり出ていて素敵じゃない?

 と、本人に問うてみたことがあるのだが、「ええ? そうだっけ? まあいいじゃん、だって『どかーんと一発』の方がよくない?」くらいのリアクションだった。

 まあ確かに、あの箇所のメロディにはめるには「景気よく」と6文字詰め込むよりも、「一発」と4文字である方が歌いやすいんだろうな、というのはわかるが。

 

 そしてもう1曲は、彼らのデビューシングルである「うみ」。

 1番のBメロ。「君は僕の腕をつかんで 早くおいでよといわんばかりに先を行くのさ」を、今のYO-KINGはこう歌う。

 「君は僕の前を歩いて 早くおいでよといわんばかりに先を行くのさ」

 どうだろう。これはもうあきらかに、元のバージョンの方がしっくりこないだろうか。 だって今のバージョン、「前を歩いて」と「先を行くのさ」が、意味的にかぶっちゃってるじゃないですか。それに「僕の腕をつかんで」の方が、「早くおいでよ」感が出てるじゃないですか。

 これに関しては、もう本人に訊かなかったが。訊いたところでどうなるものでもないことがわかったし、そもそも「どかーん」ほどライブで頻繁に歌われる曲でもないので。

 

 それに、そもそもこの「リリースした曲の歌詞をあとから変える問題」に関しては、昔、忌野清志郎が、「俺が作った歌だから俺が歌ったとおりが正しいんだ、今作り変えたんだ」という名言を残している。

  確かこれ、ライブで歌詞を間違えた時かなんかの発言だったように記憶しているが、清志郎、これだけではなくて、もっとも有名な曲でも意識的に歌詞を改変していることは、よく知られていますね。

 そう、「雨あがりの夜空に」の1番のサビだ。RCサクセションのブレイクのきっかけとなった1980年リリースのライブアルバム(というか、新作をライブ盤で出したもの)『ラプソディー』では、

 「Oh どうぞ勝手に降ってくれ ポシャるまで Woo いつまで続くのか 見せてもらうさ」

 と歌っているが、清志郎はいつからかそう歌わなくなった。1番のその部分では2番の歌詞を歌い、2番のその部分では3番の歌詞を歌い、3番は「Oh 雨あがりの夜空に吹く風が Woo 早くこいよと俺たちを呼んでる」という歌詞を新たに足して歌っていた。

 

 この1番の歌詞、当時レコード会社のスタッフから言われてこうしたが、本人は納得しておらず、だからライブでそう歌うのに抵抗があって変えた、というのは、のちにインタビューで話していたことなので、ファンにとって周知の事実である。

 で、僕もすっかり「1番歌わないバージョン」に慣れてしまっていて、最初は違う歌詞だったこと自体忘れていたんだけど、2年ほど前に、それを思い出す出来事があったのだった。

 入江悠が監督、主演野村周平、古舘佑太郎や黒猫チェルシー岡本啓佑などが出演した映画『日々ロック』(2014年11月公開)。

 二階堂ふみ演じるヒロイン、宇田川咲が、主人公たちのバンドがライブをやっているところに殴りこんでステージをジャックし、ギターを弾きながら「雨あがりの夜空に」を歌うシーンで、彼女は1番のサビを『ラプソディー』のとおりに歌うのだ。

 「Oh どうぞ勝手に降ってくれ ポシャるまで Woo いつまで続くのか 見せてもらうさ」

と。

 思わず「あ!」ってなった、映画を観ていて。で、これはどっちなんだろう、と考えた。

 宇田川咲の年齡からすると、清志郎が亡くなった時はまだ小学校高学年か中学生くらいだったわけで、ゆえに「雨あがりの夜空に」に最初に触れたのはCD再発盤の『ラプソディー』だった、だから歌詞もオリジナルの方で覚えた、という設定でそう歌わせたのだとしたら、入江悠(もしくは共同脚本の吹原幸太)、大したもんだと思う。

 で、あの『SRサイタマノラッパー』シリーズ(大好きです)の監督なので、ありえなくもないと思う、それ。

 

 その「雨あがりの夜空に」の話と、真心の2曲の話をくっつけて、なんか書けたらおもしろいかも、と思ったはいいが、思ったままで時がすぎてしまっていたのでした。

 そして、こないだCDを整理していて、『ラプソディー』を聴き直して「あ、そういえば」と思いだしたので、こうして書いてみたのですが、書いたからといってどこへも行き着かないのでした。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

「ユニコーンツアー2016『第三パラダイス』」のアンコールは「勝手にシンドバッド」だった

  12月17・18日沖縄コンベンション劇場でファイナルを迎えた、ユニコーンのニューアルバム『ゅ 13-14』のリリース・ツアー、「ユニコーンツアー2016『第三パラダイス』」。

  追加公演合わせて全34本のうち、8本観た。9/7市川市文化会館大ホール、9/16大宮ソニックシティ大ホール、10/15神戸国際会館こくさいホール、10/23オリンパスホール八王子、11/24中野サンプラザ、12/9東京国際フォーラムホールA、12/17・18沖縄コンベンション劇場、以上。

  パシフィコ横浜と地元広島を観れなかったのは悔やまれるが、個人的に、同じバンドの同じツアーをこんなに観たのは初めてだった。ROCKIN’ON JAPAN誌が地方でのインタビュー&レポを振ってくれたり、レーベルからオフィシャルニュース原稿のライブレポをご依頼いただいたりして仕事になったから、というのもあったが、単に観たいのもあって。

 

 12/9東京国際フォーラムホールA、オフィシャルニュースのライブレポ(がSPICEにアップされたやつ)と、DI:GA online用のレポ、2本書きました。

両方貼っておきます。 

spice.eplus.jp

digaonline.jp

  で。

  ROCKIN’ON JAPAN誌の記事にも書いたし、上に貼ったレポの中でも触れているが、このツアー(に限ったことじゃないが)、スタート時点からファイナルまでの間で、アンコールがどんどん変わっていき、かつどんどん長くなっていった。ユニコーンのアンコールの定番、いわば「ABEDONショー」的なコーナーが、です。

 

①アンコールの2曲目で「WAO!」をやり、途中で曲がブレイクする。OTはトラックを出す機材のとこにスタンバる。

②ABEDONがメンバーひとりずつ「この方、とっても踊りが上手なんです」と振ると、そのメンバーがOTの出すトラックに合わせて踊ったり芸を披露したりする。

③OTはダンスの代わりにモノマネを強要される。

④最後にABEDONタイム。ツアー途中からマイケル・ジャクソンダンス・ショーになった。

⑤お客さん、ABEDONの指示に合わせ、ツアー後半にようやく完成したグッズ「おどるたいやきくんのタタキ」を赤く光らせつつ&ビビビと振動させつつ、「WAO!」のサビをアカペラで大合唱。

⑥曲に戻る。

 

  追加公演あたりでは、だいたいそのような流れに仕上がっていました。⑤がない時もありましたが。

  ざっくり言うと、音楽に合わせて踊るんだけど、その音楽が頻繁に切り替わるので、それに合わせてアタフタと踊りも切り替えるというネタ。音楽を切り替える役がOT。

  たとえばテッシーだと、「安来節」「白鳥の湖」「映画『雨に唄えば』のテーマ」の3つが切り替わり、それに合わせてバタバタ踊る。EBIは「ローディとふたりでバンビーノのネタからパラパラダンス」という流れだったが、たまにOT、パラパラに入る前にほかの曲を混ぜたりもしていた。

  川西さんの「リアルフェイスマスクのダンサー8人と共に『RUNNNING MANダンス』」は、曲の切り替えはなかったが、ダンスが終わってメンバー同士でハイタッチとかしてたらまた曲が始まってあわてて踊りだす、というギャグになっていた。

  ABEDONのMJ風ショーも同じ構造。「Smooth Criminal」が流れる中、OTが「パン!」「茶!」「ひょっとこ!」というサンプル音を出すとそれに合わせてABEDONやテッシーがパンや茶やひょっとこを指差す、OTが「ワハハハ」と笑い声を出すとそれに合わせたジェスチャー、「ゴキゴキゴキッ」という音を出すと腰を押さえてかがみこむ、という。

 

  こういった「音に合わせて動く」もしくは「途中でいきなり音楽が変わって混乱しつつ必死についていく」というの、昔からテレビのコントとかでよくあった手法である。ユニコーンの面々も子供の頃観ていると思う、きっと。

  それこそドリフターズの『8時だョ! 全員集合』とか。そうだ、観てたはずだ。そういえばアンコールのそのコーナーで、ヒゲダンスの曲も使ってたし──。

 

  と、そこまで考えてから、思い出した。

  そうだ。「勝手にシンドバッド」だ、まさにこれ。

  サザンオールスターズの曲名ではなく、その元になったドリフのギャグの方です。当時大ヒットしていた、沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンクレディーの「渚のシンドバッド」の2曲がばんばん切り替わり、志村けんがパニックになりつつそれに合わせて必死に踊る、というヒットギャグがあったのです。

  で、そのヒットギャグを曲名にそのままいただいてデビューしたのがサザンだった、というわけです。

  関口和之が書いた『突然ですがキリギリス』という本に、桑田がこの曲をバンドに持ってきた時の記述がある。「曲名は?」ときいたら桑田が「勝手にシンドバッド」と答えてメンバーがワッと笑った、原坊も一緒に笑ってたが意味がよくわかっていないようだったので解説してあげた、というような。

   要はめっちゃ安直につけたタイトルだったわけだが、サザンがデビューしてから38年が経ち、そのギャグのことなど誰も知らない世の中になっても曲は残っている、というのは、なんかいい話な気がしないでもありません。

  で、もちろんユニコーンはそんなことひとつも意識してないと思うが、その、40年近く前の志村けんのギャグとシンクロしているというのも、なんかいい話な気がしないでもありません。

 

  ではよいお年を。

ユニコーン、真心ブラザーズ、ふくろうずのオフィシャルライブレポ

  レコード会社が配信する、オフィシャルニュースのライブレポを書く、という仕事が、時々ある。

   レーベルって普段から、リリースとかのたびに宣伝ニュースみたいなのを、音楽関係のウェブメディアの編集部とかライターとかに、BCCでばーっと送るところが多いのですが、「初の武道館大成功!」とか「ツアーファイナル大盛況!」とかであちこちで取り上げてほしい、という時、ライブレポ的な文章と写真を各メディアに送ることがあるのですね。

  で、そのような宣伝方法が始まった頃は、そのレーベルのウェブ宣伝担当が書いていたりしたんだけど……いや、今でも書いてる人、多いと思うけど、最近はそのレポを外部のライターに委託する、ということもあって、その依頼をいただいて書いたりする、ということです。

   という仕事を、最近3本やったので、ここにまとめて残しておこうと。

  なお、こういうのって、レーベルからの宣伝資料として送られるものなので、基本的に「この文章を抜粋しても要約しても編集してもいいです、文末にライターの名前入ってなくてもいいです、ご自由にどうぞ」というものなのですが、文章いじらずそのままアップして、かつ名前も入れてくれる、というところもあるので、それを貼っておきます。

 

 まずユニコーン、12月9日(金)東京国際フォーラムホールA。ツアー『第三パラダイス』のセミファイナル。メディアはSPICEです。

spice.eplus.jp

次、真心ブラザーズ。『GREAT ADVENTURE』リリースから20年なのでその再現ツアーの東京公演、12月6日(火)赤坂BLITZのレポです。

これもSPICE。

spice.eplus.jp

で、次はちょっと前、ふくろうず。11月23日(水・祝)渋谷クラブクアトロ、ニューアルバムの東名阪ツアーのファイナルのレポ。

これはエンタメステーションです。

entertainmentstation.jp

 

  以上です。

  こういう仕事、以前から時々あって、そのたびに「どこにアップされてもいいという発注で書いてるってことは自分のブログにアップしてもいいんだな」と思って、ひととおり音楽メディアに出たあとでここに文章貼ったりしていたんだけど、そのままリンク貼った方がいいな、写真とかも見れるし、と、今さらですが思って、そうしたのでした。

 

12/2(金)リキッドルーム『奥野真哉50年祭 今宵限りの雑種天国』が激豪華だった

  12/2(金)リキッドルームで行われた、『奥野真哉50年祭 今宵限りの雑種天国』に行きました。

  これが公式サイト。

奥野真哉 生誕50年祭『今宵かぎりの雑種天国』特設サイト

 

  で、あまりに楽しくて現場から何度かツイートしたのをここにまとめて貼って、ちょっと補足も入れておこうと。

  では以下、ツイートと補足。

  このツイートをしたあと、BONNIE PINK中川敬と奥野さんのご両親のお祝いコメントも流れました。

  渡辺美里斉藤由貴は、今年3月~4月に仙台・東京・大阪で行われた、1966年生まれ(つまり今年で50歳)ミュージシャン大集合イベント『ROOTS 66』の時、そのバンマンスを奥野さんが務めた縁だと思います。

  ちなみに、『ROOTS 66』3/27日本武道館のレポはこちら。

ro69.jp

 「バンドはYOKOLOCO」というのは、奥野さんがメンバーであるうつみようことYOKOLOCO BAND(ギター:竹安堅一・ベース:グレートマエカワ・ドラム: クハラカズユキ)のことです。このバンドに上記のメンツが曲によって加わったり加わらなかったり、というのが第一部のバンド編成でした。

  1曲目はYOKOLOCOの持ちネタのひとつ、ディープ・パープル「Burn」のカバーでした。後半に派手な鍵盤ソロがあるので、ふさわしい選曲でした。(注:ここ、曲名間違えて最初「Highway Star」って書いてしまっていました。ご指摘いただいて訂正しました。大変失礼いたしました。パープル死ぬほど聴いてる世代のくせに、穴があったら入りたいです)

  なお、「ウエノ『なんで俺MCなの?』」というのは、奥野さんにこの日のスケジュールをきかれて快諾したが、後日「ごめん、グレートに全部頼んでもうてたわ」と電話がかかってきてこうなった、とのこと。

  地球三兄弟はグレートに替わってOTがベースを弾き、おなじみ(でもたぶん『奥田民生50祭』以来だから1年半ぶりくらい)桜井秀俊がギンギンの衣装でハンドマイクで「傷だらけのローラ」を熱唱、のパターンでした。もちろん「♪ローラ~」の部分を「♪真哉~」に変えて。

  ここ、真心→OT加わって地球三兄弟、という流れだったんだけど、奥野さん、「民生くんそれだけで帰るのなんやし」と呼び込んだのが布袋寅泰。事前告知なしだったので場内騒然。前日と前々日がツアーの東京公演=NHKホールで、奥野さん、ツアーのメンバーとして参加している縁で、急遽決まった様子。

  というわけで、ベースがウエノコウジでドラムがクハラカズユキ奥田民生がギター弾きながら歌う横で布袋が弾きまくる「20th Century Boy」、という激レアなことになったのでした。

  「そして休憩」というのは、ここで第1部が終わって、インターバルが入ったということです。

   ここでバンドメンバーが上記のようにチェンジ。で、PESの出演は告知されていたし、ソロアルバムに奥野さんが関わった縁があるので納得だけど、リップの他の3人の登場にびっくりでした。奥野さんのラップという貴重なものも聴けた。あ、志磨遼平と大森靖子のラップも貴重か。

  ちわきまゆみが当時の衣装(ほんとに当時のものを持参されたらしい)で歌う!というのもレアだったし、トータスが昔奥野プロデュースで子供向けに作った歌を歌ったのもレアだったし、シシド・カフカ大森靖子ツインボーカルもレアだったが、それに続いた「3/4毛皮のマリーズシシド・カフカ+勝手ホーンズ+奥野真哉」が「愛のテーマ」と「コミック・ジェネレイション」をやる、というのが、もうこの上もなく激レアでした。僕の隣りのお客さん、あまりのことに泣いておられました。

  このへんに至るともう出てくるゲスト出てくるゲスト、決まって「押してる」「ヤバい」「早くやろう」とおっしゃる状態。タイジさんもおっしゃってました。

  押していた理由は、誰もが指摘していたように、MCのたびに奥野さんが長くしゃべろうとすることだったのですが(彼がサポートしているバンドのライブでMCを振られた時の、長々としゃべって爆笑をさらうあの感じです)、唯一ニートビーツだけは彼らがしゃべりすぎて奥野さんを焦らせる、という一幕あり。

  レピッシュの時は、奥野さん、この日初めて2曲ともサックスを吹く。「鍵盤でサックス」姿に上田現感あり、アガりながらついしみじみ。

  で、アンコールの「ダンシング・クイーン」もYOKOLOCOの定番曲。真城&ようこが金髪ヅラでABBAに扮して歌う。曲が始まる前に奥野さんが「残ってる人出てきてください」と言ったら何人か出てきて、始まってからもゾロゾロ増えていって、最終的には「これ布袋さん以外全員では?」みたいなことになっていた。みんな残ってたのね。

 

  というわけです。4時間オーバー。最初の頃のMCで「これから3時間、お付き合いください」みたいなことを言っていたので、1時間のびたらしい。

  自分の50歳にかこつけてありえないメンバーを集めてありえないセッションを見せてくれた、つまり単にお客さんにありえないくらい心血注いでサービスした、要はそういう時間だったことが、終わってわかりました。

  ありがとうございました。楽しかったー。