兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

盗撮の話

  2017年4月12日夜、飲んだ帰りの神奈川県警警部補が、駅の階段で女子高生のスカートの中を携帯で盗撮して捕まった、という事件。

  これ。

www.jiji.co.jp

  今朝(4月13日)、ジョギング中に聴いていた『伊集院光とらじお』のニュースコーナーでこの事件を知った。で、急に思い出した、この本のことを。

www.amazon.co.jp

  僕が中学の頃のベストセラー。1981年1月に出ているので、中学に上がる直前に発売されたってことか。

  当時売れに売れたこの本、「盗撮のすすめ」なのです。

スカートの中とか胸元とか、街のこういう場所ではこんなエロい写真が撮れますよ、というのを、モデルを使って実践している。

  あまりにも売れたので、パート2とパート3も出た。3は別のカメラマンだった気がするが。

 

  このカメラマン、確かこのあと石川さゆりと結婚したんじゃなかったっけ。

  と思い出して、調べてみた。正解だった。というか、この馬場憲治という方、もともとホリプロの社員で、フリーライターになってその延長でこの本を出したらしい。で、そのあとタレントっぽくなってテレビとかに出ていた記憶もある。

  高校時代に坂本龍一と共に学生運動をしていた、という記述もウィキにありました。へえー。

 

  自分で持っていたんだか、友達に借りたんだか忘れたが、もちろん僕も読んだ。

  というか、同年代の当時中学生男子で、「読んでない」「知らない」という人を探す方が難しいと思う。

  で、読んだからといって実践する勇気はなかったが、実践した人もいっぱいいただろう。

  この何年かあと、アイドルとかが出るイベントで素人が撮った、胸元やパンチラのセクシーショットを投稿するタイプの雑誌が増えたが、あれのそもそものルーツもこの本だったのかも、という気もする。

 

  これがベストセラーっていうぐらい売れて、その著者がタレント化するくらいメジャーになったってことは、当時これに対して「けしからん」って声は、あったんだろうけど、少なかったってことですよね。

  ほんの十数年前までは道路が駐車中のクルマだらけだったり、道端に自転車を停めておいても平気だったり、それこそ道で普通にタバコが吸えたりする世の中だった、でも今は全部ダメ、というのは、正しいんだけどちょっと息苦しいなあ、と思うことも、なくもない。

  が、この案件に関しては、素直に、昔の日本ってむちゃくちゃだったんだなあと思います。

  当時は自分もなんにも疑問を感じてなかったけど、という事実まで含めて。

 

  だって、これがOKな世の中だったら、田代まさしの最初のつまずきだってスルーされたかもしれないし。

  2000年1月の出来事でした。現場が東横線都立大学駅、という、自分の生活範囲内の駅だったことに驚いたものです。

  で、田代まさし好きだったので、当時所属していたbuzzという音楽雑誌の中のカルチャーコーナーみたいなページで、後輩とふたりで「マーシーを擁護する!」という趣旨の対談を行ったのを、今思い出しました。

  いったい何をどう擁護したのかは憶えていませんが。

  というか、どう擁護すんだよ俺、と、今になると思いますが。

田中貴プレゼンツ『Such A Night』のこと

  サニーデイ・サービスのベーシスト、田中貴プレゼンツの「Such A Night」という夜中のDJイベント(この「DJイベント」という呼称、おっさんくさくてイヤなんだけど、『パーティー』という呼び方では伝わらない人には伝わらないのでやむを得ずそう書きます)を、彼と一緒に続けている。

  最初は3ヵ月にいっぺんくらいのペースで、途中で2ヵ月に1回になって、今は、本来は2ヵ月に1回やりたいんだけど田中の本業が忙しくて、なかなかそうもいかなくなってきて、「2ヵ月か3ヵ月か4ヵ月に1回」みたいな、不定期のイベントになっている。

  いちばん最近やったのは2月25日で、通算35回目でした。

 

  そもそもの発端は2008年までさかのぼる。

  フラワーカンパニーズのグレートマエカワは、当時フェスとかでよくDJをやっていたのだが、それは「みんなでラジオ体操をやる」とか「坂本九の『ジェンカ』かけてグレートもフロアに下りてみんなと一緒にジェンカをやる」というような、パフォーマンスDJとでも呼ぶんでしょうか、そんなスタイルだった。

  で、一緒に飲んでいる時に、あれはあれでいいけど、ああいうんじゃなくて、踊れなくてもいいから飲みながら自分が好きな曲をかけるようなDJもやりたい、お客さんも聴いてても聴いてなくてもいいようなゆるいやつがいい、とか言うので、「じゃあやろうよ」と答えた。

  当時、曽我部恵一が下北沢で始めたばかりだった、中古レコードショップ&カフェ、CITY COUNTRY CITYが、ライブやDJイベントもやっているお店だったので、相談してみた。入場無料の代わりにチャージバックもなしという形ならできますよ、ということだったので、それでお願いした。そのイベントの日は、普段はもっと遅くまでやっている通常営業を23時でいったん終わらせて、フロアのテーブルをどけたりして準備して、0時から5時までやりましょう、ということになった。

 

  ただ、グレートと僕、ふたりだけで5時間というのはちょっとしんどい、どうしよう?という話をしている時に、グレートが「田中呼ぶ?」と発案した。

  当時の田中は、スネオヘアーのマネージャーのようなディレクターのようなプロデューサーのようなライブ制作のような仕事をしながら、ちょこちょこベーシストとしての仕事も再開している時期だった。ような気がするが、声をかけたら「やる」と言うので、3人で始めた。

  スタンディングで50人も入れば満員の店で、入場無料だったので、毎回大盛況になった。

  ただ、グレートのDJは、当初言っていたような「ゆるいやつ」では全然なかったけど。結局1回目からジェンカやってたし。

 

  ちなみにその1回目の開催、2008年7月18日だったんだけど、それ、今考えるとサニーデイ・サービスが『RISING SUN ROCK FESTIVAL』で再結成ライブをやります、という発表の1週間前だった。

  で、その夜、イベントやってたら曽我部恵一丸山晴茂が来て、明け方4時くらいに3人ともいないことに気がついて外の非常階段を見たら、そこで3人が話していて、「これは……もしかして……」と、非常にドキドキモヤモヤしたのを、今でも憶えています。

  やはり、そこで再結成の具体的な話をしていたそうです。その時は教えてくれませんでしたが。あたりまえか。

  2016年の夏にSPICEで行った、フラカン×サニーデイ座談会でその話もしたので、詳しくはそちらをどうぞ。

spice.eplus.jp

   で。そのまま何回か続けていて、メジャー復帰して忙しくなったグレートの都合が合わない時は、アナログフィッシュ佐々木健太郎を招いて「Bar健太郎」として行ったりもしていたんだけど、CCCで充分な音量でイベントをやることが、だんだん難しくなってきた。

  という頃に、田中貴は自分で『Such A Night』というイベントをやった。三宿Webに「イベントやりません?」と誘われて、ラーメン屋仲間(って田中はラーメン屋ではないが)とかで集まって、とりあえず1回やってみた、というような感じだったらしい。

  それで、2回目どうしよう、お店には続けるとも1回だけとも言ってないし、みたいな話をするので、「あ、じゃあ俺とやる?」と持ちかけた。

 

  その『Such A Night Vol.2』を行ったのが、2009年10月16日。

  今、記録を見たら、田中と僕のほかにゲストDJで、ホフディラン小宮山雄飛と、当時活動休止中だったウルフルズサンコンJr.に来てもらっている。

  以降、田中と僕はレギュラー、グレートは「なるべく」レギュラー、プラスゲストDJ、という形で、2017年現在まで続いている。

 

  過去ゲストDJで来てくれた方、書き出してみます。敬称略。

 

  松尾スズキ/河井克夫/タカイチ★ヤング/曽我部恵一/ウルフルケイスケ/RAM RIDER/大根仁/森山未來(シークレットで)/やついいちろう/佐々木健太郎/スネオヘアー/渡辺祐/ぶどう from OKAMOTO’S(オカモトレイジハマ・オカモト)/Super Benjamin(福岡晃子&菊地美佐子)/西浦謙助/IMALU/オクイシュージ/村上純/小里誠/大谷ノブ彦/松本素生/新井仁/セミノスキ(村杉蝉之介)/長谷川プリティ敬祐/ナガイケジョー/ウエノコウジ/奥野真哉/小田島等/ジェットセイヤ

 

  複数回お願いした方も多い。特に曽我部さんや松尾さんは、何度も出てくださっている。

  にしても、田中と私とグレートの誰かがツテあった方を誘いまくってここまで来たのだなあ、ということがわかります、こうしてお名前を並べてみると。

  ミュージシャン、DJ、俳優、編集者、監督。芸能人もいる。芸人さんも、やついいちろうダイノジ大谷はほぼ本業状態でDJやってるけど、しずる村上純はレアだと思う。

あと、IMALUはやついくんに紹介してもらったんだった。まだ今ほどテレビに出ていなかった頃です。

 

  2017年2月25日の『Vol.35』は、go!go!vanillasの長谷川プリティ敬祐&ジェットセイヤが出てくれた。セイヤは人生初DJ。プリティには2年前にも来てもらったんだけど、その頃とはファンの集まり方と盛り上がり方が全然違って、そうかあ、バニラズ売れたんだなあ、と、しみじみと思ったりもしました。

  あと、プリティはフラカン好きで、デビュー前の頃『Barグレート』に遊びに来てくれたことがあるそうです。という話にも、そうか、もうそんな年月が経っているんだなあ……と、しみじみします。

 

  そんなふうに続いている『Such A Night』、次回は2017年4月1日土曜日に行います。

  23時スタート、三宿Webにて。ゲストは、久々のアナログフィッシュ佐々木健太郎と、初登場のART-SCHOOL木下理樹

  健太郎に「最近リッキーと飲んだんですけど、誘いません?」と言われて、「あ、そういえば声かけたことなかった!」と気がついた。

  楽しみです。ふたりとも飲み始めると終わりがない、そして際限なく酔っぱらっていくタイプなのが、ちょっとだけ気がかりですが。

 

  あと、このラインナップで行うことを発表した時に、アナログフィッシュ、新しい作品を作るために4月9日を区切りにしばらくライブ活動休止期間に入るのに、いいのかなあ? みたいなツイートを見かけた。

  確かにそう宣言している。バンドだけではなく、健太郎の弾き語りライブも休むと。

 

  でも健太郎さん、ライブ活動を休んでいようが、曲作りを進めていようが、毎夜お酒はお飲みになるわけですよね。そのお飲みになる場所が、下北沢あたりの居酒屋から三宿Webになる、というだけなのでは? ならばお願いしてもいいのでは?

  と思い、マネージャー氏におうかがいを立てたら「いいですよ」ということだったので、お願いしたのでした。

 

  ただ、ひとつ心配なことがある。

  健太郎、前回来てもらったのは1年前、2016年4月8日だったのだが、その夜彼は、三宿Webにアコースティック・ギターを背負って現れたのだ。

  「あ、練習帰りだったの?」「いや……歌おうかなと思って」 

   「えっ? ここで?」「……はい」

  で。歌いました。急だったもんでギターのPA出しも歌用のマイクのセットも間に合わず、「ごめん、生でやって」と言ったら、ギター抱えてフロアに下りていき、ねり歩きながら生声&生ギターで熱唱しまくり。

  とてもよかった。そして、ウケていた。遊びに来ていた私の知人などは、それまで健太郎のことを「田中さんのイベントにたまに来てDJやって飲んで踊り狂って酔いつぶれる人」としてしか認識していなかったが、それですっかりハマってしまい、アナログフィッシュはもちろん彼の弾き語りライブにも行くようになったという。

 

  なので、「健太郎、今回もギター持ってくるかもな」「でもライブお休み宣言をしている時期にここで歌うのってどうなのかしら」「かと言って歌うなって言うのもおかしいしなあ」「あ、4月9日より前だからいいのかなあ」などと、心配なような楽しみなようなやっぱり心配なような思いが交差しながら、当日を待っているわけなのでした。

 

  とりあえず、健太郎には、歌うなとも歌ってくれとも言っていません。

  言わずに当日を迎えようと思います。

  アナログ、アート、サニーデイのファンの皆様、どれでもなくても音楽やお酒が好きな方、ぜひ。

 

 

田中貴プレゼンツ 『Such A Night Vol.36』

2017.4.1(Sat) @ 三宿Web

OPEN/23:00 2,000円(1ドリンク付)

【DJ's】木下理樹(ART-SCHOOL,killingBoy)/佐々木健太郎(アナログフィッシュ)/田中貴(サニーデイ・サービス)/兵庫慎司

20歳未満入場NG・IDチェックあり

 

三宿Web 154-0051 東京都世田谷区池尻3-30-10 B1F

TEL&FAX:03-3422-1405 http://www.m-web.tv/

電気グルーヴが『TROPICAL LOVE TOUR』でやった人生の曲に関して

 電気グルーヴ「TROPICAL LOVE TOUR」ファイナル、            3/25Zepp Tokyoを観ました、という短いブログをRO69に書きました。

  こちら。

ro69.jp

  で。この中で、アンコールで人生(ZIN-SAY!)の曲、「半分カメレオン人間」をやった、と書いたところ、「曲名が間違っている」「正しくは『恐怖カメレオン人間』だ」「さすが兵庫、呼吸をするように間違える」みたいな内容の、指摘のツイートをいただいた。

  僕もうろ憶えだったのだが、「あれ? こんな曲名だったっけ?」と気になって、念のため検索してみたところ、元は『恐怖カメレオン人間』だったことがわかった。

  でも、レーベルからもらったセットリストには、「半分カメレオン人間」と書いてある。

 

  ってことは、今「スコーピオン」がライブでプレイされる時は、『THE LAST SUPPER』収録の「スコーピオン2001」になる、というのと同じようなもんで、一部改題したのかな、と。

  しかも「人間」に「半分」を付けて「半分人間」って、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのアルバムの邦題なので、そこにかけたんだろうな、と。

 

  というふうに、わりとすんなり素直に納得したのでそのまま書いたのですが、実際どうだったかのかは知りません。一部改題したのか、ただの記憶ミスなのか。

  で、スタッフに確認しようにも、人生当時からついているスタッフなどいないし、ご本人たちに言おうもんなら「どうでもいい」ってまたうっとうしがられるて終わること必至なので、そのままにしとくしかないんだけど、どっちだったんだろう。というのは、ちょっと、気になります。

  明日以降、各音楽ウェブサイトにレポとかがアップされると思うので(僕はどこにも書く予定ないですが)、それにどっちの曲名が書かれているか、見て確かめたいと思います。

 

  で。話がちょっとずれるが、僕は現在、人生の音源は、アナログの『顔として…』しか所持していない。

「LP付きソノシート」として発売された、つまり本体はソノシートでLPはおまけ、そのソノシートの曲「さよならライダーZS 仮面ライダーZS三部作完結編」の方には「宝島見た? あっちゃん」という声と屁の音しか入っていない、あれです。

  キャプテンレコードから出た『バーバパパ』は、のちにCD化されたのを買ったのだが、誰かに貸したら返ってこなくて行方不明に。

  で、人生解散後で電気が人気が出始めていた頃=1992年にリリースされた『SUBSTANCE Ⅲ』という、シングルや未発表曲が大量に収録された編集盤、30曲ぐらい入っていてお得だったのだが(「恐怖カメレオン人間」も入っているし)、これも借りパクされてしまった。

  ただし、こっちは、誰に貸したかを憶えている。

  確か、僕の記憶では、山崎洋一郎に貸したのだ。

  電気のインタビューの前に、参考資料として聴きたいから貸してくれ、みたいな話で、上司だし仕事だしで当然貸したわけだが、そのまま返してもらえずに、軽く20年以上が経過。

  心底返してほしいが、先方はまず間違いなく借りたことすら忘れているだろうし。とか思いながらamazon.co.jpで探したら、『SUBSTANCE Ⅲ』も『バーバパパ』も、さして高くない値段で出ていたので、今買ったところです。

   こんな夜中に俺は何をやってるんだろう。と、自分でも思います。

めしの問題

  お昼時、会社の休憩室に弁当を食べに行ったら、入社1年目くらいの若い女子が、ふたりで食事していた。

  そのうちのひとりが、千切りキャベツの入ったビニール袋にドレッシングをダバダバと流し入れ、ガシャガシャ振ってから、その袋に箸をつっこんで食べ始めた。

  うわ! なんだその食い方! ロッテリアとかのシャカシャカポテトか!

  と、びっくりしたが、もうひとりの子が「あーそれあたしもやるー」と言ったので、さらにびっくりした。

 「ね。ワイルドだよね」

  って。それ、「キャベツの千切りの袋にドレッシングかけて振り回して、直で食ってやったぜぇー。ワイルドだろぉー?」ってほんとにスギちゃんが言いそうじゃないか。

 

  というのは僕ではなく知人の体験だが、これ、たぶん、世代とかの問題じゃないと思う。

 で、こういうのの、どこまでがセーフでどこからがアウトなのか、どこまでが行儀よくてどこからが行儀悪いのかみたいな境界線って、人によって全然違って、本当に難しいとも思う。

  なので、ちょっとこの件について考えてみたくなった。

 

  たとえば「シャカシャカポテトはセーフなのになんで千切りキャベツはアウトなのか?」と言われると、僕はまったく反論できない。

  それに僕も、インスタントラーメンを丼に移すのが面倒で鍋から直で食ったりする奴なので(人前ではやらないとしても)、その行為と千切りキャベツガシャガシャは「器に移さず直で食う」ということにおいて同じではないか、と問題提起されたら、「そうです」と認めるしかない。

 

  ちょっと話を広げる。昔、景山民夫の小説(確か『トラブル・バスター』シリーズのどれかだと思う)に、無神経な奴を表す形容として「カレーを食い終わって席を立つ時、残したライスにタバコの吸い殻を突き刺していくような奴」という一文があった。

  とても共感したので読んでから30年くらい経つ今でも憶えているわけだが、これも「何がいけないの?」という人は多いだろう。残ったライスはゴミと同じでしょ? あんた燃えるゴミを出す時に生ゴミと吸い殻をいちいち別の袋に分ける? と言われたら、そんなことはしないわけだし。

 

  この手のことを考えると、いつも思い出すのが、自分の家のことだ。

  実家の食事のしかたが、「みんな揃って食卓を囲む」ではなかったのだ。夕飯ができたら、そこにいる奴がなんとなく食う。朝も同じで、起きる時間や出かける時間によってバラバラ。

  大人になって、何年間かのひとり暮らしを経て、人と一緒にごはんを食べる生活があたりまえになってからすっかり忘れていたのだが、あるきっかけで思い出した。

  20代の中盤ぐらいから、東南アジアの島が好きになって、休みのたびにタイだのセブだのに行くようになって、特にセブは知人が住んでいるので何度も足を運んでいるのだが、あちらの島の村の人たちって、基本、家族揃って食わないのです。

  富裕層がどうなのかは知らないが、あんまり豊かじゃない人たちはみんなそう。主食はトウモロコシの粉を炊いたマイスというもので、それを片手に持って海に入っていって、小魚とか貝とかつかまえて、そのまま海にしゃがんで食っている。家にマイスが炊いてあって、腹がへった奴はおのおのそうしている、ということなのだろう。

  子供が8人とか10人とかいるから揃って食うのが物理的に無理とかいう以前に、そもそも「一緒にメシを食う」という発想自体がない。各自腹がへったらなんか食べて空腹を止める、みたいな感じなのかもしれない。

 

  そのことを知った時に、「あ! うちもそうだった!」と思い出したのだった。

  友達の家とかも、けっこうそういう感じだった気がする。僕の育った1970年代~1980年代の広島ではそれが普通だったのか、うちの近所だけだったのか、社会的なランクのどのへんに位置するかで分かれるのか、たまたまうちの親がそういう人たちだったのか、などに関しては、わからないが。

  トータス松本に2万字インタビューをした時に、彼の家は家族全員揃わないと絶対に夕飯が始まらなかったという話をきいて、「ちゃんとした家庭で育ったんだなあ」と思ったものでした。

 

  どこに着地すればよいのかわからないことを書いてしまった。

  そういえば僕の父親は、晩酌の時に、まずピーナツとかアラレとかの乾き物をつまみにして酒を飲む。目の前に料理があってもそうする。で、後半におかずとめしを食ってシメる。

  それを日常的に見ていたので、子供の頃はなんとも思わなかった。大人になり、自分も酒を飲むようになってから、ようやく「なんちゅうひどい飲み方なんだ」ということがわかった。目の前の料理の立場と、それを作った人の立場!

  と、2月12日のフラワーカンパニーズ vs The Birthday @ 広島クラブクアトロを観がてら帰省した時も、思いました。

うしろめたい

  昨日、某メディアで某ミュージシャンにインタビューしたのだが、編集部のスタッフがインターン中だという女の子を伴って現れた。京都の大学生。くるりの曲名ですね。

  で、今日、某社で打ち合わせがあって、いろんな企業がいっぱい入っている某ビルに行ったら、エレベーターホールがスーツ姿の若い男女であふれていた。就活中の大学生。

  ああごめんなさいごめんなさい本当に申し訳ないです。都内のあちこちで彼ら彼女らを見かけるたびに、そう心の中で唱えながらすごす季節が今年も始まったなあ、と、実感した。

 

  すごくうしろめたいのだ、あのように懸命に就活をがんばっている、つまり己の人生に真剣に向き合っている学生さんたちを見ると。

  自分も会社員だった2年前まではまだマシだったが、会社をやめてフリーライターのようなフリーターのような仕事しているような無職のような働いているような遊んでいるような暮らしになってから、そのうしろめたさがスーパーカーセカンド・アルバムのようにジャンプアップした。「あなたの就職の希望がかないますように」「あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように。」と中村一義のように心で祈ったりもするが、「おまえみたいな奴に祈られても」と思われること必至だし。

 

  僕が大学を出る頃はまだぎりぎりバブルの時代で、4回生になったあたりからハウス食品とかNTTとかの一流企業に進んだ面識のないOBたちからばんばん電話がかかってくるような、今では信じられない、空前の売り手市場だった。

  にもかかわらず、僕は就職する気がなかった。高校生の頃は広島で、大学生になってからは京都で、地元の年上のバンドマンとばかり遊んでいて、彼らから「大人になっても就職しなくていい」「バイトしながらバンドやっていていい」ということを学んでしまったのだった。

  そういうのが許されるのは、専門学校をやめてバイト&バンド生活に入るや否やプロデビューが決まって東京に行き、まんまとバンドブームの寵児になって、それから30年くらい経つ現在でも第一線で活躍しておられるOTさんという先輩のように、特別な才能がある人だけですよ。当時の自分にそう伝えたい。

 

  一緒にバンドをやっていたメンバーたち(全員大学生だった)は、留年したり休学したりして4回生になるのを引き伸ばしながら活動していたのだが、世の中バンドブームだというのにこれだけやってさっぱり動員が上がらないということは、どうも我々はダメらしい、と見切りをつけ、僕が4回生になるタイミングで「あきらめて解散」ということになった。

  で、僕以外の3人は就活を始めたが、僕はローソンの夜勤のバイトをしながら、次のバンドを探していた。

  人の紹介で音を合わせてみて「こいつらとやってもダメだ」と判断して断ったり、逆にあっちから断られたり、ものすごくやる気がある奴がいるというので会ってみたら、(当時はそんな言葉なかったが)V系の人で「これは無理だ、合わん」と思ってばっくれたり、ドラムがいない知り合いのバンドのヘルプをやったりしながら、暮らしていた。

  音楽業界志望の同級生にくっついて、ソニーとキティだけ受けてみたが、ソニーは大阪営業所での一次面接で落ち、キティは最終面接のひとつ前くらいまで行ったが、そこで落ちた。そもそも受かるわけないと思っていたので、さしてがっかりもしなかった。

  ちなみにその同級生は、キョードー大阪に就職してブレイク前のウルフルズなどを担当、その数年後に斉藤和義に請われて東京に移り、彼のマネージャーになった。で、数年間務めたあとに大阪へ戻り、以降、吉本興業で長く働いている。

 

  で、フラフラしながら4回生の夏になった頃。

  ロッキング・オンだったかロッキング・オン・ジャパンだったか、いずれも毎号買っていたので先にどちらで目にしたのか忘れたが、ページを開いたら社員募集が載っていた。熱心な読者だったので、編集部に行けたらラッキー、生で渋谷陽一とか山崎洋一郎とか見れたらラッキー、ぐらいの気持ちで履歴書と課題作文を書いて応募したら、面接に呼ばれた。

  東京まで行ったら、2回の面接で合格してしまった。すでに秋になっていた。大学、ダブってもいいやと思っていたので単位が大量に残っており、そこからあわてて勉強してなんとかギリギリで卒業した。あれから26年が経つ今でも、原稿のしめきりに追われたりすると、大学を卒業できなさそうであせりまくっている夢を見ます。

  当時、つまり1990年頃のロッキング・オンは、定期採用も行っていない、社員十数人の小さな出版社で、採用するにしても一回の試験でひとりかふたりというのが普通だったが、この時だけいっぺんに6人も採ったことを、後日知った。ロッキング・オンもバブルだったんだなあ、と思う。そうじゃなかったら落ちていたことはあきらかだ。

 

  そして。その24年後に会社をやめる時も、転職活動するわけでも起業するわけでも今後の仕事のプランニングを考えるわけでもなく、「フリーでライターの仕事をもらえて食っていければいいなあ」と漠然と希望しながら、ただ単にやめた。

  で、それからまもなく2年が経つが、どうも、なんとか食えている様子である。

  もちろん儲かってるわけないが、友人知人にカネを借りたり、消費者金融に手を出したりしなくていい状態が、とりあえず現在までは続いている。

 

  というふうに、「職に就く」ということに対して、人生なめきった態度のままでこの歳まで来ていることが、どうも申し訳ないというか、うしろめたいわけです。普段はそんなこと気にしてないが、就活でがんばっている学生さんたちを見ると。

  ロッキング・オンが定期採用を始めてから、おそろしいことに、そんなバカが履歴書の下読みをしたり、試験問題を作ったり、面接に参加したりしている時期もあったのだが、受験者たちのびっしり書かれたエントリーシートや、ずらっと問題が並んだ試験用紙を見るたびに「俺だったら間違いなく落ちる」と思っていた。

  ペーパーテストでひどい点数で落ちるのはもちろん、そもそもまずあのエントリーシートを書くのが無理。しかも彼ら彼女らは、それを何十社分も書いているわけで。うわあ。大変。絶対できないわ、俺。

  という、そんな奴に面接されていた皆様に心からお詫び申し上げたくもなるわけです、この季節になると。

 

  「だからどうした」以外の何ものでもないことを書いてしまった。

  みなさんの就活がうまくいくことを、心より願っております。

  就活してるくらいの年代の子は俺のブログなんか読まねえよ。という問題もあるが。

2/12広島クラブクアトロ、フラワーカンパニーズ vs The Birthdayに行きました

  フラカンのイベント『シリーズ・人間の爆発』、今回は名古屋広島大阪のクラブクアトロを対バンで回る企画。名古屋はホフディラン、広島と大阪はThe Birthday

  私、広島出身で、年末年始に帰れなかったのもあって、帰省がてら観てきました。

 

  まずThe Birthday。おっそろしくかっこよかった。なんかどんどんすごくなってないか、チバ。昔より余裕も貫禄もあるし、楽しそうだったりもするのに、同時にヒリヒリするくらいソリッドかつシャープになってもいる、なんか矛盾した存在に化けつつあるというか。

  とにかく歌が届く。言葉とメロディのこっちの耳へのぶっ刺さりっぷりが、あきらかに昔より鋭くなっている。

  中盤の、来月出るニューシングルの曲2連発と、そこからのライブ・アンセムたたみかけが特にヤバかった。特にシングルの1曲目「抱きしめたい」の、「俺は決めたんだ あのクズどもから 世界を奪い返すって」という直球きわまりないラインが印象的でした。

 

  で、フラカン。この日がひっさびさの新音源、4曲入りニューシングル「あまくない」のライブ会場先行販売のスタート日だったので、その告知をしつつ、その中から「すべての若さなき野郎ども」と「あまくない」を披露。

  「すべての若さなき野郎ども」は昨年秋頃からライブでやっていたけど、鈴木圭介曰く「あまくない」はライブでやるのこれが初めて、とのこと。フラカンにはめずらしく、と言うと失礼だけど、しっかりとでっかいサビのあるミドルチューン。歌詞も、今の圭介まんまなんだろうなと思わせるよい仕上がり。

  あと、すごく久々に「人間の爆発」をやったんだけど、これがやたらよかった。重くて暗くてドロドロしていて。この曲に限らずトラッシュレコード時代、こういう重暗ドロドロ方向のいい曲、いっぱいある。もっとライブでやってもいいのに、と思いました。新しくそういう曲を書いてくれてもいいけど。

 

  そして、アンコールでサプライズあり。「フラカンは、長い付き合いです。個人的には、加入したいと思ったこともあります」とMCで言っていたキュウちゃんが参加、ツインドラムで「真冬の盆踊り」を披露。

  曲に入る前のグレートの「ミュージシャンには『ヨサホイ』やる人とやっちゃいけない人がいるから」という説明に、お客さん、大笑い。「あとの3人は出て来ないから! もし出てきたら俺全力で止めるわ!」。確かに。

 

  というの、大阪でもやるんだろうな、と思ったので、大阪が終わるのを待ってから書きました。

 

  余談。

  フラカンが広島でライブをやると、そのあとスリムチャンススタジオという鷹野橋にあるクラブで、グレートマエカワがDJをやるのが定例化しているのですが、「広島帰るならDJもやればいいじゃん」とお誘いいただいたので、行きました。DJは最初は地元の方、途中からグレート、私、キュウちゃん。

  で、自分の時間になったと思ったらほどなくして、キュウちゃんとバック・トゥ・バック(1曲交代でかけるやつ)を命じられ、レベッカをかけまくるキュウちゃん、私がかけてる間に次の曲を選ぶ、という状態になりました。で、相手が途中でグレートに替わりました。

  結局何曲かけたっけ、ってくらい長いことやった末、ネタが尽きてグレートにまかせてブースを下り、5時には終わるかなと思って聴きながら待っていたんだけど、5時20分を超えてもグレート、一向にシメる気配がないので、先に帰りました。

  翌日、すごい二日酔いでした。楽しかったけど。

1/24渋谷WWW、黒猫チェルシーとフラワーカンパニーズ

   黒猫チェルシーの対バン企画『ネコのコネ』東名阪3本の1本目の東京編。大阪と名古屋の対バンはプププランドで、東京はフラワーカンパニーズ

  MCでグレートマエカワが「自分らの倍くらいの歳のバンド、よくゲストで呼ぶよな」と喜んでいたが、「確かに」とも「でも黒猫チェルシー、そういうバンドだしなあ」とも思いました。

  以下、それぞれちょっとだけレポ。

 

フラワーカンパニーズ

  1恋をしましょう 2消えぞこない 3ロックンロール 4ビューティフルドリーマー 5すべての若さなき野郎ども 6感じてくれ 7東京タワー 8三十三年寝太郎BOP 9終わらないツアー 10真冬の盆踊り

  という、選曲も並びも、最近のフラカン的にはちょっとめずらしいセットリストだった。特にレアなのは6曲目の「感じてくれ」かな。5曲目は昨年10月くらいからライブでやっている新曲。あと私はいつも「ビューティフルドリーマー」もっとやればいいのに、と思っているので、そこもいいポイント。

  というわけでこっちはうれしかったし、内容的には黒猫ファンもしっかり楽しんでくれたようにお見受けしたが、あとで鈴木圭介がブログに「またしても反省点の多いライブだったな・・。」と書いていたのも、まあうなずける内容ではありました。

  圭介のノド、久々に本調子じゃなかったし(2016年は風邪でコンディション悪いライブが奇跡的なくらいなかったのです)。新曲で竹安、ギター間違えてたし。

 

黒猫チェルシー

  1夜更けのトリップ 2恋はPEACH PUNK 3アナグラ 4雲の列車 5涙のふたり 6LIFE IS A MIRACLE 7青のララバイ 8ベリーゲリーギャング 9海沿いの街 10ロンリーローリン アンコール 11ロックバラード 12東京

  5、6、7、9、11が2/22に出るニューアルバム『LIFE IS A MIRACLE』収録曲で、5と7はシングルで出ているので6、9、11がリリース前の曲。ということになるのだが、それらがもうすばらしくよかった。

  「恋はPEACH PUNK」あたりの、数限りなく演奏されてきたライブ・アンセムにまったくひけをとっていない。特に「LIFE IS A MIRACLE」とか(ギター・リフが超かっこいいのです)。

  あと、「涙のふたり」、最初にNHK連続テレビ小説『まれ』で聴いた時は「このドラマとこの役に合わせて書いたんだろうな、素直でかわいい曲だなあ」くらいの感想だったが、その後ライブで聴くたびに「あれ? こんなにいい曲だったっけ?」と驚く。こっちの耳のせいもあるんだけど、バンドによって曲が育っているということでもあるんじゃないかと思う。

  にしても黒猫チェルシー、やってる音楽と世代が全然合っていない、というのは最初からだけど、最近とみに「90年代王道ニッポンロック」感がぐんぐん上がっていて、それとともに演奏もメロディも堂々としてきているのがとてもいい。

  で、彼らが好きだというイエモンウルフルズエレファントカシマシからの影響が感じられるだけじゃなくて、たとえばRCサクセションやなんかの、そのもうひとつ前の世代の、ウルフルズエレカシが影響を受けたロックの匂いまであるのも、とてもよかったりする。

  彼らより上の世代は「そう、この感じ!」ってうれしく聴けるし、下の世代は新鮮にとってはとても新鮮に響くんじゃないかと思う。

 

余談

  終演後にフラカンの楽屋に行ったら、竹安がひとりでギターを弾いていた。

  「なんでライブ終わってから弾いてんの?」「いや、新曲で弾き間違えたから」

  まじめか! と思いました。まあ、まじめなんだけど。

  なお竹安、日本武道館以来定番になったジレをこの日は着ていなかった。着ると暑くて大変で、年も明けたことだし着るのをやめてみたそうです。

  「着た方がいいんじゃない? 身体が締まって見えるよ」と言ったのですが、次のライブでどうなるかは未定。