兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

三島タカユキさんが亡くなった

  カメラマンの三島タカユキさんが亡くなったことを、昨夜(11月30日)知った。

  今年4月に食道がんであることがわかり、手術し、闘病を続けられていた。

 

  昔、ROCKIN’ON JAPANなどで何度か撮影をお願いし、一緒に仕事した。

  また、ここ数年は、フジ・ロックに行く時、僕がレンタカーを借りて、三島さんとカメラマン岸田哲平を乗せて苗場まで行って(ふたりとも免許がないのだ)、月曜の朝にまたふたりを乗せて、東京まで帰って来るのが恒例になっていた。

  苗場に着くと乾杯して、それぞれ会場へ散って行って(彼らは仕事だけど僕は遊びなので)、GREEN STAGEのトリが終わるとグリーン・オアシスに集まってちょっと飲みながら、その日観たアクトの話をするのが楽しみだった。

  今年は三島さんが欠けてしまったが、来年はまた同じメンツで行けると思っていた。

 

  ビデオデッキ普及前でライブ映像などそうそう観られる時代ではなかった子供の頃、海外の雑誌や日本の洋楽雑誌に載っている欧米のバンドたちのモノクロのライブ写真を、いつもドキドキしながら観ていた。

  それから十数年経って、三島タカユキという人のライブ写真を知った時、「俺があの頃観てた写真と同じのを撮る人が日本にいるんだ!」と、驚いたのを憶えている。

 

  自分より先に亡くなってしまった人に対して唯一できることは、その人のことを忘れないことだと、僕は思っている。

  お世話になりました。ありがとう。忘れません。と、三島さんに伝えたい。

 

  生前最後に出た、彼の写真を観られる本=三島さんと岸田哲平が中心になって作った『SQUAD』のリンクを貼っておきます。

http://squad-zine.com/

どうやって食ってるのかわからない人

 音楽業界・出版業界に入って26年目、フリーのライターになって3年目になるが、入ってわりとすぐに気がついた、きっとこの業界が他の業界と違うところのひとつなんだろうなあ、と思うポイントに、

 

どうやって食ってるのかわからない人がけっこういる

 

というのがあった。

 

マネージメントで、セールス・動員がこれくらいのバンドがひとつしか所属していないのに、社長・社員・メンバーみんななんで食えてるんだろう?みたいなわかりやすい例もあったし(レコード会社から育成金とかが出ていてそこから給料を払う、というシステムだったことをのちに知る)、「この人、本当になんでおカネを得ているのか全然わからない」というわかりにくい例もあった。

で。気がついたのですが。

今の自分、限りなくその後者に近いことになってないか?

 

音楽を中心にしたフリーのライター、と名乗っているし、実際にその界隈で仕事しているが、この間も「ライターとしてメインの媒体ってどこなんですか?」と訊かれて、「ないです」としか答えられなかったし。

そのように、「このライター、ここの仕事が中心なんだな」ということがわかるくらいいっぱい書いているメディア、ない。

連載のとかのレギュラー仕事、ないことはないけど、少ない。単発の仕事が多い。

著書もない。「フラワーカンパニーズの本、著書でしょ」と知り合いの作家は言ってくれたが、あれ、あきらかに僕の本じゃなくてフラカンの本だし。

「このバンドが動く時は兵庫に書かせよう」みたいな感じで、レーベルなりマネージメントなりからいただくオフィシャル・ライター的な仕事、ありがたいことにいくつかあるが、それももちろん「必ず」というわけではないし。

 

そんなにいっぱい仕事してるっけ? 食えるくらい書いてるっけ?

えーと、私、基本的に、雑誌もウェブも、記事が世に出るとツイッターで宣伝するようにしているのですね。それを1ヵ月分全部見ていただくと、まあまあの量になりますよね。

プラス、たとえば、エレファントカシマシフラワーカンパニーズのファンクラブの会報からよく仕事をいただいているのですが、それ、ツイートするのやめたのですね。宣伝したところでファンクラブの会員しか読みようがないし。

というふうに、ツイートしていない仕事もちょっとあります。というところまで含めると、なんとか生活していけるくらいの月収になりません?

 

というところまで、僕の仕事のことを把握している人は、まあ、いないと思う。というか、僕しかわからないと思う。

なので、ハタから見ると、「週刊SPA! に月にいっぺんくらいCDレビュー書いてるだけなのに、なんで食えてんの?」「ROCKIN’ON JAPANでちょっとインタビューしてるだけでなんで生活できんの?」「kaminogeのコラムって、それだけで食えるくらいおカネくれるの?」みたいなふうに見えるだろうなあ、という話です。

 

ただ、自分でも「なんで俺、食えてるんだろう?」とは、よく思う。

まだ2年半食えてるだけだが、フリーになる時は、もっと苦労するだろうと思っていた。

僕は自分の名刺の肩書に「ライターなど」と入れているんだけど、その「など」というのも、ライターだけで食うのが無理になった場合のためにつけたんだと思う。

「ライター・編集」とか名乗るほど編集に自信あるわけじゃないが、「ライター」だけだと「ライターの仕事以外やりません」みたいに見えるかも、という弱腰な理由です、おそらく。

それこそ、フリーになった当初は、コンビニの店員が自分と同じ年齢くらいの風貌だと「よし! 俺も雇ってもらえる!」って安心したりしていたし。

いや、「当初は」じゃないな。今でもけっこうそうだな。

 

この間、「なんで食えてたんですか?」と訊いて、「それで食えてたんだ!」と本当にびっくりさせられた、知人の例があった。

初めて会った二十数年前は、誰でも知っている大人気バンドのマネージャーだった。

そのあと、ロック・ファンなら知っている人気バンドを発掘し、世に送り出した。

で、そこから先は、自分で事務所を立ち上げたりとかいろいろしていたんだけど、いつの間にか会う機会がなくなっていて、先日、久々に顔を合わせたのだった。

 

「ここ数年、何やってたんですか?」と訊いたら、業界内の某大手の会社の偉い人と親しくて、「新人を発掘してよ」ということで、毎月「発掘代」みたいなおカネが、それだけで食えるくらいの額、振り込まれていたという。

で、実際の仕事は、月に一回「今月はこうでした」というレポートを出すだけで、そのまま数年間が経過したという。

 

「毎日何してたんですか?」

「んー、何もしてなかったねえ」

「……」

 

さすがに「もう無理」みたいなことになって、それが終わって、だから新しい仕事を始めていて、その関係で僕も会ったわけなんだけど、「そんなことあるんだあ」と、とてもびっくりしました。

いいなあ、俺にもないかなあ、という気もするが、「もしあってものっかったら絶対ヤバいことになる」という気もする。あ、その人は、特にヤバいことにはなっていませんが。

のんとテレキャスターの話

  リアルサウンドのこの記事。のんが、10月29日に女子美術大学・相模原キャンパスの学祭に出演、自身のバンドとともにライブをやった、そのレポート。

 

 http://realsound.jp/2017/10/post-123362.html

 

 これを読んで、というか写真を見て、思い出した。

 4年くらい前のことです。のんが……いや、当時は能年玲奈でしたが、とにかく、彼女が雑誌の撮影で弾くギターを、手配したことがある。

 

あまちゃん』が終わった直後くらいの頃。僕が編集部にいた雑誌で、表紙巻頭でのんの特集をすることになった。

 その特集には僕は関わっていなかったんだけど、編集部のスタッフ何人かが、撮影でギターを使いたいけどどこで借りればいいんだろうとか、どの形がいいんだろうとか相談しているのが、耳に入った。どうも、楽器まわりの知識がある人がいないっぽい。

 

 要は、「日本のメーカーよりもフェンダーとかギブソンとかの方がいいだろうな」とか、「女の子だからストラトテレキャスかSGかな、体格的にレスポールは重いから避けた方がいい」とか、あるじゃないですか。

 そうか、そういうの、バンドとかやったことない人は知らないのか、と気がついて、大きなお世話だが「それ、俺が借りて来てあげる」と口をはさんだのだった。

 

 で。知ってる楽器レンタル屋とかに借りてもいいけどギター1本だしな、弾きもしないのにギブソンとかフェンダーとかいっぱい持ってる知り合いいないかな、と考えた結果、フラワーカンパニーズの竹安堅一に電話をした。

 

「あのさあ、テレキャス持ってない?」

「持ってるけど」

「色は?」

「サンバースト」

「ちゃんとしたやつ?」

「うん。フェンダーUSAの1969年」

「おお、いいねえ。貸してくんない? 雑誌の撮影で使うんだわ」

「いいけど、誰を撮るの?」

能年玲奈

 

「えーーーーっ!!!!」

 

 熱心に『あまちゃん』を観ていた竹安、大興奮。

 当日、自分で撮影現場に持って来たい! と主張するのを「俺も現場には行かないんだからダメ」とはねのけ、そのギターを後輩のバンドマンに貸しっぱなしだというので翌日彼と会って引き取り、一件落着、と思ったら、そのまた翌日、竹安から電話が。

 

 もう1本テレキャスを持っていたと。この間買ったフェンダー・メキシコの赤いテレキャスで、機材倉庫に置きっぱなしで忘れていたと。アキちゃん(『あまちゃん』での彼女の役名)、赤の方が気に入るかもしれないからそっちも貸す、と。

 

 正直「いらねえよ」と思いました。

 高校の時、バンドやってた子だぞ。プロフィールの好きなバンドのところにGO!GO!7188つしまみれを書く子だぞ。そんな子、1969年のフェンダーUSAと最近買ったフェンダー・メキシコがあったら、USAを取るに決まってるじゃねえか。

 

 でもあまりにも熱心なので、借りに行きました。待ち合わせて、お礼に酒おごって、ふたりともベロベロで帰りました。

 

 撮影後にきいたところ、2本ギターを出された彼女は、迷いなくUSAを手に取ったそうです。

 

 このリアルサウンドの写真の彼女、赤いテレキャス弾いてますよね。それを見て、この件を思い出したのでした。

 そのフェンダー・メキシコは、こういう明るい赤じゃなくて、ワインレッドでしたが。

 

 そういえば、1本目のギターを借りた時、竹安に「ギターにサインしてもらえない?」と言われた。

 もちろん断りました。どこの世界に、自分のビンテージ・ギターに若い女優のサインをほしがるプロのギタリストがおるか、と。

「このギター、いくらしたの?」

「40万円ぐらいだったと思う」

 彼女も引くわ、そんなギターにサインさせられたら。

ハガキ職人だった話

  大学を出て株式会社ロッキング・オンに入社した時、最初に驚いたことのひとつに、「世の中にはこんなに文章を書いている人がいるのか」というのがあった。

  仕事として、ではなく、その前の段階の話です。学生時代から自分でディスク・レビューを書いたり、もっと長いやつを書いてロッキング・オン(洋楽の)に投稿したり、ミニコミを作ったり、小説やなんかを書いてみたり──つまり、職業ではなく趣味で、あるいは将来的に職業にしたいという気持ちで、文章を書く人ってこんなに多いのか、と、びっくりしたのだった。

  今ならブログとかSNSとかあるが、インターネットが普及するよりはるか前の時代のことです。

 

  つまり、自分は全然そうではなかった、ということだ。

  本を読むのは好きだったし、学校の作文とかはさして苦労せずに書けたので、そのへんのジャンルは苦手ではないという意識はあったが、それも理数系よりは得意という程度で、とりたてて好きとか、それで食いたいとかは思っていなかった。

  というか、まず無理だと思っていた。中3ぐらいでロッキング・オンを買い始めた頃、この本文原稿の投稿というものをやってみようと思って書こうとしたことはあるが、原稿用紙3枚くらいで「ああ無理、長い文章書けないわ俺」ってギブアップしたし。

 

  ただ、ひとつだけ、勉強とは別のところで日常的に何かを書いていたことがある。ラジオ番組へのネタの投稿だ。

  最初は中学に入った頃、地元広島のRCCラジオで、ローカルタレントの西田篤史がやっていた番組に送っていた。そしたら、わりとあっさり読まれることに驚いた。ならばと思い、中2で聴き始めた『ビートたけしオールナイトニッポン』に送るようになったのだが、これがまあおそろしく読まれない。毎週何通書いてもダメ。

  それでもずっと続けていると、たまーに読まれるようになった。最初に読まれた時の興奮と歓喜は今でも忘れない。

  すぐに、起きている間は1日中ネタを考えている生活になった。で、メモをとって、家に帰ってハガキに書いては毎週何通も送り続けるが、やはりそうそうは読まれない。

  3週続けて読まれたことが一度だけあるが、それがピークだった。あまりにも読まれないので、試しに月曜の『中島みゆきオールナイトニッポン』と、火曜の『桑田佳祐オールナイトニッポン』に出してみたら、どちらも一発で読まれて、そうか、やっぱりたけしの木曜はレベル高いんだな、と納得したりもしたものです。

   で、高校生活の半ばくらいから、バンドをやったりすることにのめり込んでいって、だんだんラジオは「聴くだけ」になっていった。

 

  6月末に出た初の小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が大ヒット中の燃え殻のインタビューを読んだら、ツイッターハガキ職人の親和性の高さについてよく話していて、とても共感した。

  会社員だった頃、ロッキング・オンのウェブサイトでブログを持たされていた時、そして今自分がツイッターをやっている時の感覚って、「1日中ハガキのネタを考えている」中学高校の頃のあの感じと、完全に同じだなあといつも思っているので。

  今は1日中ネタを考えてはいないが、なんかの拍子に「あ、これ、ネタになる」と思う瞬間の感じが、一緒なのです。

 

  なんでこんなことを書いているのかというと、ちょっと前に買った(というかcakesでの連載時から読んでいた)ツチヤタカユキの『笑いのカイブツ』と、つい先日買ったせきしろの『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』という2冊が、どちらもハガキ職人(前者はハガキじゃなくてメールだが)の話だったからなのでした。

  ただし、おふたりとも笑いに人生を賭ける度合いが全然違うレベルなので、僕なんかが共感するというのは、ずうずうしいが。

  でも、最初にネタが読まれた時の感覚とか、「ああ、わかるわかる」とやっぱり思う。

 

  燃え殻、あんなにおもしろい処女作を書いちゃって、次はどうするんだろう。と思っていたが、そうか、ハガキ職人だった頃の話を書く、というのはありますよね。

  いかがでしょうか。『ボクたちは~』にはそのへんの話、一切出てこないし。インタビューでしゃべっているようなことを書けばいいじゃないですか。ねえ。って誰に言っているのか。

 

  なお、今は、ラジオにネタを送る気には、まったくなれません。『伊集院光 深夜の馬鹿力』の投稿とか、超絶にレベルが高すぎて、自分にも書ける気がまったくしないので。

  「なんでこんなこと思いつくんだろう」「この人の脳ミソどうなってるんだ」と、笑うのを通り越して感心してしまうことが、毎週あります。

 

バンドの復活や解散について、2017年6月に思ったこと

  もうアップされてけっこう経っていますが、DI:GA onlineで、SPARTA LOCALS安部コウセイ×フジファブリック山内総一郎×group_inou・imaiの鼎談というのをやりました。

  前後編あります。こちらです。

 

www.diskgarage.com

www.diskgarage.com

 

  要は、7月22日に渋谷クラブクアトロSPARTA LOCALS仕切りのイベントがあって、その前アオリで、ゲストで出てくれるおふたりと語りましょう、ってことだったわけなんだけど、この話がとてもおもしろかった。

  特に、山内総一郎とimaiの口から出る、SPARTA LOCALS復活に関するコメントが。

  この1ヵ月前に、スパルタ復活について安部コウセイに訊くインタビューもやったのですが、その時よりも、何か私、納得させられるものがありました。

  あ、その安部コウセイのインタビューはこちら。

www.diskgarage.com

  山内総一郎とimai、おふたりともスパルタ復活について、捉え方が一致していた。あの、HINTOとドラマーだけ違うスパルタを再結成して、しかもHINTOを止めるわけでもなく、どっちも並行して活動していく、という状態に対して、おふたりとも、

 

「そういうこともあるよね」

「とにかく、スパルタの曲をまたライブで聴けるのはうれしいよね」

 

  というスタンスだった。

 

  それから、「そのバンドのことはそのバンドしかわからない」というのも、ふたりとも同じ見解だった。

  バンドマン同士だから俺たちにはわかるよ、ということではない。バンドマン同士だから、解散とか再結成とかに関するバンドの中のことはそのバンドにしかわからない、ということがわかるよ、という話だ。

  誰もが納得できる回答なんかない、というか。で、そんなのないんだから、外野がこだわってもしかたない、と。またスパルタの曲をライブで体験できることがうれしいかうれしくないか、それだけで判断して、観たければ行けばいいし、観たくなければ行かなければいい、と。

 

  って、ちょっと簡単に書きすぎか。ちゃんと読むと、おふたりとももっと深いことを言っているんだけど、まあ、ざっとまとめるとそんなようなことになる。

  で、今group_inouの活動を休んでいるimaiと、ギタリストだったのがボーカル&ギターになってフジファブリックを続けることを選んだ山内総一郎が言うと、それは説得力ありますよね。ありました、とても。

  安部コウセイ、喜んでました。やっぱりきみたちはわかってくれている!と。

 

  話をききながら、昔読んだ、ザ・ブルーハーツ時代の甲本ヒロトのインタビューを思い出した。

  曰く、みんな本当にブルーハーツを好きで、本当にブルーハーツのことを考えて、いろいろ言ってくれているのはわかるんだ、と。でも、誰よりも長い時間、誰よりも一生懸命ブルーハーツのことを考えているのは、ブルーハーツなんだ。だから、僕らにまかせてほしい、みたいな内容だった。

  で、それを読んだ時、「そらそうだよなあ」と素直に納得したことも、思い出した。

 

  6月2日に、plentyのラストツアー『蒼き日々』の初日、リキッドルームを観た。

  びっくりするくらいいいライブで、なんでこんなライブやれるのに解散なんだ、いや解散を決めたからこんなライブができるのか、いや、でも……と、相当に頭の中がグルグルなりながら、観ていた。

  その途中で、山内総一郎とimaiが言っていたことが、何度も頭をよぎった。

 

  だからすんなり納得して落ち着いた気持ちになれるのかというと、もちろんそんなことはないし、ラストの日比谷野音を観たら絶対また複雑な思いに包まれまくるだろうけど、もういいと。思うさま包まれてやろうじゃないかと。

  そんな気持ちになった、終わったあと。

 

  それから。もうひとつ思い出したこと。

  あれ1年くらい前だっけ、大槻ケンヂにインタビューした時の話。

 彼曰く、

「最近、若手のバンドから相談を受けたりして、バンドを解散したいと言っていても、止めなくなりました」

  なんで。どうせ絶対再結成するんだから、と。

 

「僕らもしたでしょ?」

  確かに。

  でもほんと、気がつけば、僕が高校生の頃から現在に至るまでの間で、ちゃんと成功したバンドで、再結成していないのって、BOØWYJUDY AND MARY、あとフリッパーズ・ギターぐらいしか思いつかない。あとはたいてい再結成している、確かに。

  あ、ヒロトマーシーみたいに、解散後に違うバンドで一緒にやっている、もしくは一緒にやったことがある例は除きます。あと、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのように、再結成が不可能なバンドも除きます。

 

  とにかく。ユニコーンも、THE YELLOW MONKEYも、再結成はないと僕は思っていた。それ言ったら筋少だって、凍結した時のゴタゴタっぷり、けっこうなもんだったし、挙句 特撮でオーケン内田雄一郎がもめて内田さんやめちゃったし、「ここまでこじれたら筋少復活はないだろうなあ」と思っていた。

  ザ・ルースターズだって、大江慎也が戻って再結成なんて、ありえないと思っていた。

  ましてや、一時的な再結成とはいえ、bridgeがあの6人で再びステージに上がる日が来るなんて。

 Hi-STANDARDの時も、本当にびっくりしたし。

 

  じゃあ今後、たとえばSUPER BUTTER DOGが再結成する可能性はあるか、SAKEROCKはどうか、ELLEGARDENは? と考えたら、現時点では「全然ねえ」としか思えないが、ユニコーンだってイエモンだって「全然ねえ」と思っていたわけだし、僕は。

  ってことは、何があるかわからない、ということだ。

 

  plentyも、いつかあるかもしれない、と思います。

  いや、あると思います、くらい言っといた方がいいか。

Theピーズ6/9日本武道館、の余談

  Theピーズ6月9日結成30周年日本武道館の、レポというか、考察というか、あの場を体験して考えたことというか、とにかくそんなような文章を書きました。

  6月18日に、リアルサウンドにアップされました。まだの方、ぜひ。

  こちらです。

realsound.jp

 

  で、以下、そのTheピーズ日本武道館の余談。

 

  現役のファンだけでなく、今はファンとは言えないが、Theピーズにまだ気持ちが残っている、Theピーズと共に生きた時期が確かに自分にあったことを忘れない人たちが全国各地から集まった、だから日本武道館は満員になった、みたいなことを、リアルサウンドのレポで僕は書いたが、これ、個人的にも、とても実感したことだった。

  僕の場合、日本中というよりも、音楽業界とか出版業界とかになるのだが、その界隈の知人に、やたらと出くわしたのだ。

  レコード会社とか。マネージメントとか。出版社とか。イベント会社兼出版社とか。ライターとか。

 

  みんな、ビクターでもキングレコードでもフライングパブリッシャーズでもないし、Theピーズと近しいバンドのスタッフだったりもしない人たち(そういう人たちはそういう人たちで出くわしたけど)。

  つまり、過去に仕事でTheピーズに関わったことはないし、今も関わっていない人たち。普通にチケットを買ってきた人たち、ということだ。

  で、彼ら彼女らがTheピーズを好きであることを僕も知らなくて、出くわすたびに「え、ピーズ好きなの?」って驚くような人たち。

 

  って、べつにいちいち驚くこたあないんだけど、でも本当にそうだった。あ、ビクターはひとり会ったか。でもピーズがビクターのバンドではなくなってずいぶん経ってから入社している歳だ、彼も。

 

  開演前、長い付き合いの大手出版社の編集者とばったり会った。一緒に飲んで音楽の話をしたこともあるし、何かのライブとかで出くわしたこともあったのに、彼女がピーズを好きだということを、僕は知らなかった。

  武道館グッズのTシャツを着ていた。半休をとって物販の列に1時間半並んで、買ったそうだ。

 

  というようなことにも、何か、ああそうか、そうなんだなあ、やっぱりそうだよなあ、などと、しみじみと思ったりしたのでした。

 

  あと、この当日、僕は、レポを書くためにリハから入らせてもらったりして(そのくせそのへんのことは一切レポに書いていない、という結果については本当にすみませんマネージャー。書いたらバカ長くなったので削りました)、気持ちが完全に仕事モードだったので、普段酒飲みなのに、アルコールのことは全然考えなかった。

  なので、「武道館の売店も近隣のコンビニもアルコール全部売り切れ」「お客さんも集まったバンドマンも阿鼻叫喚」状態だったことも、ライブが終わってから初めて知った。

  これも、何か、「ああ、ピーズだなあ」と思いました。

 

  この武道館の2日後の6月11日、フラワーカンパニーズはツアーでHEAVEN’S ROCK熊谷VJ-1ワンマンだったんだけど、4人とも「Theピーズ武道館ロス」、すごかった。というか、THE COLLECTORSも含めてのロスか。

  開演前に楽屋に行ったら「これから何を張り合いにしていけばいいんだ」と、それぞれ寂しさに包まれていて、ステージに出て行ったあとも、MCでそれをそのまま言っていた。

  レポに書いた「竹安の提供した缶ビールが一口ずつ減りながらバンドマンの間を回っていく」「当人は水筒に白ワイン入れて持ち込んでいたので無事」というのは、この熊谷でのMCで、本人が話していたことです。

 

  もうひとつ余談。

  そのTheピーズ武道館の打ち上げ、竹安と私、終電で帰ろうと途中で抜けて、駅に向かいました。

  ふたりとも最寄駅までは帰れないけど、いちばん近いターミナル駅までは行ける時間。

  駅に着いて「じゃあね」って別れてホームにダッシュ、ギリ終電に間に合ったのですが、その後、私、駅員さんに起こされました。終点で電車が停まっていました。

  竹安くんはちゃんと下りたそうです。「座るからだよ。座っちゃダメ」とたしなめられました、後日。

岡崎体育「感情のピクセル」に怒っている人は、何がそんなにカチンときたのか

  ご存知だろうが、岡崎体育の新曲、というか新曲「感情のピクセル」とそのMVが炎上している。

  5月11日にYoutubeの公式チャンネルにアップされ、5月17日17時の時点で再生回数は1,884,000回を超えている。僕はファースト・アルバムのリリース・タイミングで、週刊SPA!で彼にインタビューする機会に恵まれたのだが、その時は「MUSIC VIDEO」の次にセカンドインパクトを引き起こせる自信があるからこそあれをやった、一発屋で終わるつもりは毛頭ない、あれを撮る以前から2発目3発目の構想は完全に頭の中にある、と言っていた。それを現実に証明してみせた、ということなのだが。

  これが、曲もMVもいわゆる今人気のラウド・ロック・バンドの王道フォーマットを模していて、すべてお手本どおりに高性能に作った上で、歌詞だけばかばかしくおもしろくしたものだったことで、「ラウド・ロック・シーンをディスっている」「特定のバンドを笑いものにしている」という非難の声が殺到しているようなのだ。

  P.T.P等で活躍してきたギタリストでありプロデューサーであるPABLOの参加により、クオリティがいっそう本物になっていることが、さらに火に油を注いだ、という見方もできる。

 

www.youtube.com

   ご本人は当初、ツイッター

「なんか、ラウドロックシーンをディスってるやんけみたいな書き込みとかつぶやきめっちゃあるけど ディスってたら半年かけて曲書いたりMV撮影したりしようとは僕は思わないです」

   と、冷静に正論で返していたが、

 「今作に批判や風刺はないと弁明したけど、僕の思いや考えとは違った解釈をしている人たちがまだたくさんいる。最初はこれ以上は触れずにいようと思っていたけど、ついにその人たちが特定のアーティストやバンドに迷惑をかけにいってる事をさっき知って、流石に僕も黙っていられなくなった。」

 「僕のやっていることが不愉快だったら僕にだけその気持ちを向けてほしい。他のアーティストに迷惑がかかるのなら、僕は製作の自由度について今後考える必要がある。迷惑をかけてしまったアーティストの方、本当にごめんなさい。」

   と、なんというか、大変に気の毒なことになっている。

  僕は岡崎体育が好きなので、やっぱり胸が痛む。「気にしすぎ!」「相手にするな!」と、肩を持ちたい。持ちたいが、ただ持たれたって却って迷惑、というような可能性もあるので、勝手ながら、ちょっと踏み込んで考えてみたい。

  というか、考えてみることが、彼の「ディスじゃない」という気持ちが真実であることを示す結果になればいいなあと思う。

 

  少し前に、この「感情のピクセル」のMVの共同制作者である映像作家、寿司くんことこやまたくやのバンド、ヤバイTシャツ屋さんROCKIN’ON JAPANでインタビューした時に、今回のこれと近い話になった。

  曰く、ヤバTの「メロコアバンドのアルバムの3曲目ぐらいによく収録されてる感じの曲」に代表されるような曲は、よく「メロコアをバカにしてる」とか言われるけど、そんなつもりはない、と。自分が観て聴いてきたかっこいいものを自分もやってみたい、という思いでそういう曲を書いているんだけど、恥ずかしがり屋なので歌詞まではマネできなかった、そこに自分の人間性が加わったらこんな歌詞になってしまった、と。

  かっこいいのが好きだけど、自分がそのかっこいいのをやったら気持ち悪い、という思いで、その代わりに自分が歌えるものを探したらこうなった、という。

  でもそれをやったら、歌詞も含めてかっこいいことをやっているほかのバンドへの批評として成立してしまう結果になりますよね。たとえば「歌詞が英語であること」をネタにした「ヤバみ」も、「じゃあ、普通に英語で歌ってる他の日本のバンドってなんなわけ?」っていうふうに機能しちゃいますよね。

  と言ったら、「そうなんですよ!」と答えられた。やはり、そこが悩みのタネらしい。ただ、「でも僕らのそれは、下からの目線、かっこいいことができない負け惜しみの目線だからいいんじゃないかと思ってるんです」とも言っていた。それ、素直な気持ちなのだろうと思う。

 

  にしても、さすが同志というか、岡崎体育のこのたびの葛藤と一緒だと思う。

  では。岡崎体育に、あるいはヤバイTシャツ屋さんに怒っている人たちは、彼らのやっていることの、何がそんなにカチンとくるのか。

 

  まず、岡崎体育にとってのラウド・ロック、こやまたくやにとってのパンクは、純粋に好きな音楽のひとつだからやっているわけだが、ただ、「好きじゃなかったらここまでクオリティの高いものを作れないでしょ」という反論は、あんまり芯を食ってないと思う。

  好きでなくても、作れる人は作れる。2011年にマキシマム ザ ホルモンが曲とMVを作ってリリースしなかった「小さな君の手」を思い出せばよくわかる。

  あれ、当時人気を博していた、前向きな清い心で愛や幸せを高らかに歌う健全なJ-POP、そのお手本みたいな曲を作って、最後にそのMVが映っているテレビにマキシマムザ亮君がゲーッてゲロかけて新曲「maximum the hormone」が始まる、というものだった。

  「そういう曲」として本当によくできていたし、MVも然りで、ホルモンを知らない人なら素直に信じるだろうな、というレベルだった。

  あれは明確に悪意だと受け取っていいだろうし、ご本人たちも望むところだろうと思う。で、岡崎体育やヤバTはそれと同じか? という話だ。違いますよね、どう見ても。

 

  じゃあ何と一緒なのでしょうか。たとえば清水ミチコの一連のネタ、「スピッツ作曲法」「ドリカム作曲法」「松任谷由実作曲法」「ミスチル作曲法」と同じなのではないか、という考え方はどうだろう。

  スピッツ風のアレンジで、スピッツ風のコード進行で、マサムネ風のメロディにのせて「後半はいつも伸ばしがち ゆっくりとテンポ下げる」とか歌うあれ。先日『ARABAKI ROCK FEST.17』で新ネタ「サカナクション作曲法」を観て、血を吐くほど笑いました。「丁寧」とかサビにばんばん出てきて。

  つまり。音楽は「型」である。その音楽を好きであるということは、その型を好きだということである。で、「型」なんだから、その「型」をなぞれば、つまりマニュアルに従えば、能力のあるミュージシャンなら、それなりのクオリティのものが作れてしまう。

  という事実を突きつけてくるから、カチンとくるのではないか。どちらかというと、自分の好きなバンドとかジャンルとかをバカにされたからカチンとくるというよりも、その「型」を好きな自分をバカにされたような気分になる、だから頭にくるのではないかと思う。

  現に岡崎体育、ネタにされた(と言われている)バンドたちは誰も怒っていない、むしろおもしろがったり彼を擁護したりしているあたりも、それを示しているのではないかと思う。

 

  思うに、「型」が好き、というのを、音楽好きとしてあまりうれしいことだと捉えていない人がいる、ということなのではないだろうか。

  そのアーティストのキャラクターが好き、考えていることが好き、伝えてくることが好き、曲が好き、というのはいいけど、「型」はなんかイヤ、自分がカテゴライズされやすいその他大勢人間みたいな好みだってことになるので。という抵抗感が、無意識にあるのではないか、と。

  しかも清水ミチコ的に、個別のアーティストそれぞれの「型」をネタにされている分にはまだいいけど、ジャンルでくくって「型」にされてしまうと、自分はアーティストのファンじゃなくてその「型」のファン、みたいなことになってしまうし。

  もちろん、みんながそうだ、というわけではない。俺メタル好き、私テクノ好き、みたいに、ジャンルが好き、「型」が好きであることを自分で普通に認めている人が大多数なんだけど、自分はそうじゃないと思っているから、そこをつつかれると怒り出す少数派がいるんじゃないか、と。

  もしくは、自分の中にある「型」好き要素自体に無自覚だからこそカチンとくる、というのもあるかもしれない。

 

  なんにせよ。「型」を提示されることで、その分自分の好きな音楽のマジックが下がってしまった、魔法のカラクリを見せられてしまった、そんな気持ちになるから腹が立つのではないか、という推測です。

  あ、「怒ってる人たちはみんなこれが理由なのでは」ということではありません。「こういう理由の人もいるのでは」という、ひとつの可能性の推測です。

 

  と、他人事みたいに書いているが、最近自分がそういう思いをしたから、このことに思い当たったのだった。腹が立ったわけではないけど。

  ダンス・ミュージックが好き、テクノよりもハウスが好き、ハウスなら歌もので生音も入ったものが好き……みたいな、自覚しているものとはまた別に、好きな音楽の「型」が自分にあったことに、気づかされたのだ。

  僕はCaravanがとても好きだ。仕事での接点がなくなっていたここ数年はチケットを買ってライブに通っていた、ワンマンはもちろん弾き語りでちょっと出るみたいなイベントまで足を運んでいたくらいのファンだ。最近また仕事での接点ができたので、招待で入れてもらったりしているのだが、Caravan本人は、僕の音楽ライターとしての得意ジャンルをうっすらご存知だったようで、Theピーズとかフラワーカンパニーズとか、ウルフルズとかフラワーカンパニーズとか、ユニコーンとかフラワーカンパニーズとか、電気グルーヴとかフラワーカンパニーズとかを日々追っかけているこの人が、なんで俺の音楽にそんなに熱心なんだ? と、素朴に不思議だったようだ。

  これまでに二度、面と向かって訊かれたことがある。「なんで好きなんですか? どこが好きなんですか?」と。

  で、一度目に言われた時は「自由で孤独なところじゃないかなあ」とか、「日本語のメロディへの載せ方が自然だからじゃないかなあ」とか、それらしいことを言っていたのだが、二度目に言われた時に、ハタと思い当たった。

 

  もう20年近く前だが、僕はDAY ONEというブリストルの二人組にめちゃめちゃハマったことがある。MASSIVE ATACKの3Dのレーベルから出てきた人たちで、確かアルバム2枚くらいしか出してないんだけど、めったやたらと好きになってしまって、仕事でイギリスに行った時にソーホーのレコード屋を回って彼らの12インチを探したりしていた。

  で、そのDAY ONE、今思うと「型」がCaravanに近いのだ。打ち込み、ただし四つ打ちじゃなくてブレイクビーツ寄り。アコースティック・ギター多用。ラップっぽい抑揚が小さめなメロディ。あんまり声を張らない、会話に近い歌唱法。というあたりが。

  なんで。と言われると、説明しようがない。ただその「型」が好きなのだ、生理的に。ブレイクビーツにアコギでラップっぽい、っていうのを発明したの、ベックじゃん。はい。ベックも好きです。ただ、DAY ONE・Caravanとは入る箱が違うのです、自分の中で。

 

  もう一例。Charisma.com、最初の作品からとても好きなのだが、あれも歌詞の巧みさとかいう以前に、自分の中でRIP SLYMEと同じ箱に入っている、だから好きなのだということに、気がついてしまった。

  ラップもの、好きだけど、ハウス好きとしては普通のヒップホップはBPMが遅すぎる、BMP120~130くらいの幅のハウス寄りの音色のトラックでラップしてくれるとバッチリ、という「型」の好みが自分にはあって、RIP SLYME以来、久々にそこにハマったのがCharisma.comだった、という話です。

  そうか、だから一時期のm-floも好きだったのか、俺は。

 

  しかし、僕の好きな「型」の話になると、「カテゴライズされやすいその他大勢人間みたい」とは言えない。むしろ、「『あーあ、やる気ない、なんであんたなんか相手しなきゃいけないんだろう』みたいな気持ちがにじんだネガティブトークをしながら、おざなりに、それでいて突然あらぬところをいじるなどのオプションを加えたプレイでお願いします」というややこしいオーダーを風俗店でして嬢を困らせる客みたいで、それはそれで恥ずかしい。

  というか、その方がはるかに恥ずかしい。

 

  以上です。長くてすみません。

  いかがでしょう、岡崎体育にお怒りの方。ご自分がなぜそんなに頭にきているかを解析することで、少しクールダウンしていただけたでしょうか。

  そういう人はそもそも俺のブログなんか読まねえよ。という、それ以前の問題が、まだなんにも解決されていないのだった。