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兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

奥田民生のロックについて、11/9渋谷Bunkamuraオーチャードホールを観ながら考えた

たとえば。このギターリフ、かっこいい。このドラムのリズムもかっこいい。この単純なコード進行にたまにフックが入る感じ、すごくかっこいい。でもその三者だけで押し通す、1曲もたせるというのは、日本の音楽風土においては無理がある。というか、退屈がられる。かといって、カラフルなコード進行に変えて、そこにのっかるメロディがおいしくなるように加工すると、最初の「このギターリフ、このコード進行、かっこいい」という衝動とつながらない音楽になる。

あと、あんまり派手なメロディって、恥ずかしい。抑揚がないことはないんだけど、「ドラマチック」という言葉が当てはまるほどは大きくない、ぶっきらぼうだし無愛想だけどちゃんと歌になっている──それくらいの温度のメロディを、前述の、自分がかっこいいと思うシンプルなコードにのっけたい。派手なメロディはかつてさんざん作ったので、もうそういうんじゃない、自分の中で新しいことをやりたい、という動機もある。

 

で、歌詞。言いたいことをたたきつけるような歌詞は歌いたくない。というか、自分の中に「自分が考えていること、感じていることを歌で伝えるんだ」みたいな衝動、そもそもは特になかった。バンドやりたい、ギター弾きたい、曲作りたい、あ、じゃあ歌詞も書かなきゃいけないのか──というわけで、書くようになっただけだし。

ただし、「じゃあ歌詞はなんでもいい」「なんなら人に書いてもらってもいい」というわけではない。サムい歌詞や、自分に合わない言葉は歌いたくないので。あと、言いたいことがないからといって、本当になんにも意味のないことを歌うのも、それはそれでキツい。というか、歌っていておもしろくないし、聴いていても退屈だろう。

というわけで、とっかかりはただの語呂合わせだったりするんだけど、言葉が連なっていくうちになんらかの意味やイメージがわきあがってくる、でもそれを強く主張はしない、くらいの温度の歌詞が望ましい。で、そこで「わきあがってくる」ものは、自分の深層心理にあった、伝えたかったことなのかもしれないし、そうではないのかもしれないが、どっちでもいい。聴き手にまかせる。

 

というふうにして、今の奥田民生のロックって、だんだんできあがっていったのかもしれないなあ。と、『奥田民生 2015年ツアー “秋コレ”』11月9日渋谷・Bunkamuraオーチャードホール2デイズの1日目を観ながら考えた。

ソロになった当初は、シンプルなギター・サウンドに、トリッキーなコード進行や独特な曲展開を詰め込んでいくような感じだったが(初期PUFFYの楽曲もそうだ)、それがだんだん今のような方向に進み始めたのは、そういうことなのかなあ、と。

インタビューで「いい曲を聴かせることよりも、いい演奏を聴かせることをやりたい。そうすると曲は自ずと簡単になっていく」というようなことを話していたのや、「今の若いバンドたちをどう思うか」ときかれて「みんな曲がいい」と答え、続いて「その今の若いバンドたちに何かメッセージを」と頼まれて、「よくない曲もやれ」と言っていたのも、そのへんに理由があるのではないかと思う。

 

そういえば、レッド・ツェッペリンあたりを想起させる70年代ハードロックの要素や、AC/DCなんかに通じるブギーの要素は、OTソロでは前面に出ているが、ユニコーンでもサンフジンズでも、あるいは地球三兄弟でも、そんなに聴かれない。たぶん、ほかのメンバーがそういう指向ではないからだろうな。というようなことも、考えたりした。