読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

真心ブラザーズと忌野清志郎の歌詞改変曲について

ファンはご存知だと思うが、真心ブラザーズには2曲、ライブで歌詞を変えて歌われている曲がある。

 ひとつは彼らが最初に世に知られた曲であり、「サマーヌード」と共にもっとも広く親しまれてきた曲、「どかーん」。

 ライブでYO-KINGは、あの曲の歌い出しを「どかーんと一発やってみようよ」と歌うのだ。

 オリジナルは「どかーんと景気よくやってみようよ」だ。音源では、曲の後半の最後の一回では「どかーんと一発」になるが、それ以外、つまり最初の二回は「どかーんと景気よく」だ。

  僕はこの曲が入っているファースト・アルバム『ねじれの位置』のツアーは観れていないが、セカンドの『勝訴』以降のツアーはほとんど観ていると思う。思うが、いつから「景気よく」が「一発」に変わったのか記憶していない。活動休止をはさんで変わったのかもしれないし、もっと前に、しばらく「どかーん」を歌わない時期があって、また歌うようになったら変わっていたのかもしれない。

 

 でも、いずれにせよだ。

「どかーんと景気よくやってみようよ」の方がよくない? 僕はそっちの方が好きなんですが。「ふっとやなことが頭をかすめて ゆううつな気持ちが広がってゆく そんな気持ちをぐっと押えて」からつながる歌詞なんだから、「景気よく」の方が、コントラストはっきり出ていて素敵じゃない?

 と、本人に問うてみたことがあるのだが、「ええ? そうだっけ? まあいいじゃん、だって『どかーんと一発』の方がよくない?」くらいのリアクションだった。

 まあ確かに、あの箇所のメロディにはめるには「景気よく」と6文字詰め込むよりも、「一発」と4文字である方が歌いやすいんだろうな、というのはわかるが。

 

 そしてもう1曲は、彼らのデビューシングルである「うみ」。

 1番のBメロ。「君は僕の腕をつかんで 早くおいでよといわんばかりに先を行くのさ」を、今のYO-KINGはこう歌う。

 「君は僕の前を歩いて 早くおいでよといわんばかりに先を行くのさ」

 どうだろう。これはもうあきらかに、元のバージョンの方がしっくりこないだろうか。 だって今のバージョン、「前を歩いて」と「先を行くのさ」が、意味的にかぶっちゃってるじゃないですか。それに「僕の腕をつかんで」の方が、「早くおいでよ」感が出てるじゃないですか。

 これに関しては、もう本人に訊かなかったが。訊いたところでどうなるものでもないことがわかったし、そもそも「どかーん」ほどライブで頻繁に歌われる曲でもないので。

 

 それに、そもそもこの「リリースした曲の歌詞をあとから変える問題」に関しては、昔、忌野清志郎が、「俺が作った歌だから俺が歌ったとおりが正しいんだ、今作り変えたんだ」という名言を残している。

  確かこれ、ライブで歌詞を間違えた時かなんかの発言だったように記憶しているが、清志郎、これだけではなくて、もっとも有名な曲でも意識的に歌詞を改変していることは、よく知られていますね。

 そう、「雨あがりの夜空に」の1番のサビだ。RCサクセションのブレイクのきっかけとなった1980年リリースのライブアルバム(というか、新作をライブ盤で出したもの)『ラプソディー』では、

 「Oh どうぞ勝手に降ってくれ ポシャるまで Woo いつまで続くのか 見せてもらうさ」

 と歌っているが、清志郎はいつからかそう歌わなくなった。1番のその部分では2番の歌詞を歌い、2番のその部分では3番の歌詞を歌い、3番は「Oh 雨あがりの夜空に吹く風が Woo 早くこいよと俺たちを呼んでる」という歌詞を新たに足して歌っていた。

 

 この1番の歌詞、当時レコード会社のスタッフから言われてこうしたが、本人は納得しておらず、だからライブでそう歌うのに抵抗があって変えた、というのは、のちにインタビューで話していたことなので、ファンにとって周知の事実である。

 で、僕もすっかり「1番歌わないバージョン」に慣れてしまっていて、最初は違う歌詞だったこと自体忘れていたんだけど、2年ほど前に、それを思い出す出来事があったのだった。

 入江悠が監督、主演野村周平、古舘佑太郎や黒猫チェルシー岡本啓佑などが出演した映画『日々ロック』(2014年11月公開)。

 二階堂ふみ演じるヒロイン、宇田川咲が、主人公たちのバンドがライブをやっているところに殴りこんでステージをジャックし、ギターを弾きながら「雨あがりの夜空に」を歌うシーンで、彼女は1番のサビを『ラプソディー』のとおりに歌うのだ。

 「Oh どうぞ勝手に降ってくれ ポシャるまで Woo いつまで続くのか 見せてもらうさ」

と。

 思わず「あ!」ってなった、映画を観ていて。で、これはどっちなんだろう、と考えた。

 宇田川咲の年齡からすると、清志郎が亡くなった時はまだ小学校高学年か中学生くらいだったわけで、ゆえに「雨あがりの夜空に」に最初に触れたのはCD再発盤の『ラプソディー』だった、だから歌詞もオリジナルの方で覚えた、という設定でそう歌わせたのだとしたら、入江悠(もしくは共同脚本の吹原幸太)、大したもんだと思う。

 で、あの『SRサイタマノラッパー』シリーズ(大好きです)の監督なので、ありえなくもないと思う、それ。

 

 その「雨あがりの夜空に」の話と、真心の2曲の話をくっつけて、なんか書けたらおもしろいかも、と思ったはいいが、思ったままで時がすぎてしまっていたのでした。

 そして、こないだCDを整理していて、『ラプソディー』を聴き直して「あ、そういえば」と思いだしたので、こうして書いてみたのですが、書いたからといってどこへも行き着かないのでした。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。