兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

うしろめたい

  昨日、某メディアで某ミュージシャンにインタビューしたのだが、編集部のスタッフがインターン中だという女の子を伴って現れた。京都の大学生。くるりの曲名ですね。

  で、今日、某社で打ち合わせがあって、いろんな企業がいっぱい入っている某ビルに行ったら、エレベーターホールがスーツ姿の若い男女であふれていた。就活中の大学生。

  ああごめんなさいごめんなさい本当に申し訳ないです。都内のあちこちで彼ら彼女らを見かけるたびに、そう心の中で唱えながらすごす季節が今年も始まったなあ、と、実感した。

 

  すごくうしろめたいのだ、あのように懸命に就活をがんばっている、つまり己の人生に真剣に向き合っている学生さんたちを見ると。

  自分も会社員だった2年前まではまだマシだったが、会社をやめてフリーライターのようなフリーターのような仕事しているような無職のような働いているような遊んでいるような暮らしになってから、そのうしろめたさがスーパーカーセカンド・アルバムのようにジャンプアップした。「あなたの就職の希望がかないますように」「あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように。」と中村一義のように心で祈ったりもするが、「おまえみたいな奴に祈られても」と思われること必至だし。

 

  僕が大学を出る頃はまだぎりぎりバブルの時代で、4回生になったあたりからハウス食品とかNTTとかの一流企業に進んだ面識のないOBたちからばんばん電話がかかってくるような、今では信じられない、空前の売り手市場だった。

  にもかかわらず、僕は就職する気がなかった。高校生の頃は広島で、大学生になってからは京都で、地元の年上のバンドマンとばかり遊んでいて、彼らから「大人になっても就職しなくていい」「バイトしながらバンドやっていていい」ということを学んでしまったのだった。

  そういうのが許されるのは、専門学校をやめてバイト&バンド生活に入るや否やプロデビューが決まって東京に行き、まんまとバンドブームの寵児になって、それから30年くらい経つ現在でも第一線で活躍しておられるOTさんという先輩のように、特別な才能がある人だけですよ。当時の自分にそう伝えたい。

 

  一緒にバンドをやっていたメンバーたち(全員大学生だった)は、留年したり休学したりして4回生になるのを引き伸ばしながら活動していたのだが、世の中バンドブームだというのにこれだけやってさっぱり動員が上がらないということは、どうも我々はダメらしい、と見切りをつけ、僕が4回生になるタイミングで「あきらめて解散」ということになった。

  で、僕以外の3人は就活を始めたが、僕はローソンの夜勤のバイトをしながら、次のバンドを探していた。

  人の紹介で音を合わせてみて「こいつらとやってもダメだ」と判断して断ったり、逆にあっちから断られたり、ものすごくやる気がある奴がいるというので会ってみたら、(当時はそんな言葉なかったが)V系の人で「これは無理だ、合わん」と思ってばっくれたり、ドラムがいない知り合いのバンドのヘルプをやったりしながら、暮らしていた。

  音楽業界志望の同級生にくっついて、ソニーとキティだけ受けてみたが、ソニーは大阪営業所での一次面接で落ち、キティは最終面接のひとつ前くらいまで行ったが、そこで落ちた。そもそも受かるわけないと思っていたので、さしてがっかりもしなかった。

  ちなみにその同級生は、キョードー大阪に就職してブレイク前のウルフルズなどを担当、その数年後に斉藤和義に請われて東京に移り、彼のマネージャーになった。で、数年間務めたあとに大阪へ戻り、以降、吉本興業で長く働いている。

 

  で、フラフラしながら4回生の夏になった頃。

  ロッキング・オンだったかロッキング・オン・ジャパンだったか、いずれも毎号買っていたので先にどちらで目にしたのか忘れたが、ページを開いたら社員募集が載っていた。熱心な読者だったので、編集部に行けたらラッキー、生で渋谷陽一とか山崎洋一郎とか見れたらラッキー、ぐらいの気持ちで履歴書と課題作文を書いて応募したら、面接に呼ばれた。

  東京まで行ったら、2回の面接で合格してしまった。すでに秋になっていた。大学、ダブってもいいやと思っていたので単位が大量に残っており、そこからあわてて勉強してなんとかギリギリで卒業した。あれから26年が経つ今でも、原稿のしめきりに追われたりすると、大学を卒業できなさそうであせりまくっている夢を見ます。

  当時、つまり1990年頃のロッキング・オンは、定期採用も行っていない、社員十数人の小さな出版社で、採用するにしても一回の試験でひとりかふたりというのが普通だったが、この時だけいっぺんに6人も採ったことを、後日知った。ロッキング・オンもバブルだったんだなあ、と思う。そうじゃなかったら落ちていたことはあきらかだ。

 

  そして。その24年後に会社をやめる時も、転職活動するわけでも起業するわけでも今後の仕事のプランニングを考えるわけでもなく、「フリーでライターの仕事をもらえて食っていければいいなあ」と漠然と希望しながら、ただ単にやめた。

  で、それからまもなく2年が経つが、どうも、なんとか食えている様子である。

  もちろん儲かってるわけないが、友人知人にカネを借りたり、消費者金融に手を出したりしなくていい状態が、とりあえず現在までは続いている。

 

  というふうに、「職に就く」ということに対して、人生なめきった態度のままでこの歳まで来ていることが、どうも申し訳ないというか、うしろめたいわけです。普段はそんなこと気にしてないが、就活でがんばっている学生さんたちを見ると。

  ロッキング・オンが定期採用を始めてから、おそろしいことに、そんなバカが履歴書の下読みをしたり、試験問題を作ったり、面接に参加したりしている時期もあったのだが、受験者たちのびっしり書かれたエントリーシートや、ずらっと問題が並んだ試験用紙を見るたびに「俺だったら間違いなく落ちる」と思っていた。

  ペーパーテストでひどい点数で落ちるのはもちろん、そもそもまずあのエントリーシートを書くのが無理。しかも彼ら彼女らは、それを何十社分も書いているわけで。うわあ。大変。絶対できないわ、俺。

  という、そんな奴に面接されていた皆様に心からお詫び申し上げたくもなるわけです、この季節になると。

 

  「だからどうした」以外の何ものでもないことを書いてしまった。

  みなさんの就活がうまくいくことを、心より願っております。

  就活してるくらいの年代の子は俺のブログなんか読まねえよ。という問題もあるが。