兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

高田文夫になりたかった 真面目はいやだ  

 という歌詞が、グループ魂の「高田文夫」という曲の中にある。曲名がすべて人の名前になっている『20名』、2015年リリースのアルバムの収録曲だ。

 宮藤官九郎という表現者について、俺はすごくよく知っているとか、深いところまで理解しているとかは、全然思わないが(僕より100倍詳しい同業者、いくらでもいるので)、ことこの曲に関してだけは、彼の気持ちの芯の部分が俺はわかる。と、聴くたびに思う。今でもライブで聴く機会があるたびに(ってグループ魂、コロナ以前から長いことライブやってないけど)、つい、泣きそうになってしまう。

 それは、宮藤官九郎のファンだから、というよりも、10代の頃『ビートたけしオールナイトニッポン』を聴いて、たけしの次に高田文夫に傾倒して育った、という部分で、彼と同じ人種だからだ、と思う。彼の2学年上の自分が。

 

 ずっと笑っていたい。まじめなことや重たいことや、めんどくさいことやシリアスなことや、シビアなことや悲しいことからは、とにかくもう逃げていたい。逃げて逃げて、逃げ切ったままで、できれば一生を終えたい。

 というメンタリティがわかる人、どれくらいいるのかわからないが、14歳で『ビートたけしオールナイトニッポン』に出会って以降、その感覚は、自分の中の深いところにずっとある。というか、動かしようがないものになっている。

 実際にそんなふうに生きられるわけがないことは、もう何度も思い知ってきた、現在であってもだ。で、そんなふうに生きたいと思うこと自体、どうなのよ? という疑問を、持ち続けていてもだ。

 

 その感覚は、ビートたけし以上に、高田文夫が放っていたものだ。たけしはラジオの中であっても、それと同時に、シリアスな面や重たい面も隠さない人だった。高田文夫も、たとえば著書の中では、シリアスな面を全然出さないわけではないが、でも、限りなく少ない。で、ラジオとかだと、ほぼなくなる。

 とにかく笑っていたい。笑うって素敵。笑うって最高。笑うことで、すべての面倒から逃れてしまいたい……とまでは、ご本人は言っていないが、広島の中学生は、まあ、そんなふうに解釈したわけです。

 なんで。それが都合よかったからだと思う、自分にとって。

 

 「すべてを洒落のめし、決してマジは言わず」

 

 どの本だったか失念してしまったが(なので、たまに探して読み返すんだけど、出くわさなくて困っている)、高田文夫の著書に、そんなようなフレーズを見つけた時、すごく腑に落ちたのを憶えている。ああ、やっぱりそうなんだ、だから俺はこの人に惹かれているんだ、と。

 それは、自分だけじゃなくて、同じように80年代に10代を送って、たけし&高田に出会った、そして多大な影響を受けた、という人たちのうちの何人かには、ずっしりと根を下ろしている感覚らしい。

 ということを、僕はグループ魂の「高田文夫」を初めて聴いた時、知ったのだった。ああ、宮藤さんもそうなんだ、と。

 さっきも書いたが、もちろん人はそんなふうには生きられない。宮藤さんだって、というか高田文夫本人だって、まじめなことや重たいことや、めんどくさいことやシリアスなことや、シビアなことや悲しいことから、逃げ切りながら生きているわけがない。

 あたりまえだ。でも、それでも、という話だ。

 

 当時の高田文夫は、まだ「ぼちぼち本とかも出し始めた売れっ子放送作家で、たけしの前で笑っている人」だったが、その後、景山民夫との『民夫くんと文夫くん』(ニッポン放送)を経て、立川藤志楼として落語を始めたりもしつつ、1989年に昼の帯番組『高田文夫ラジオビバリー昼ズ』(これもニッポン放送)がスタートして以降、その「すべてを洒落のめす」フォースを、さらに全面的に開花させていくことになる。

 

 なんでこんなことを書いているのかというと、今、『高田文夫ラジオビバリー昼ズ』を聴いていると、そのことを思い出すから、なのでした。現在も高田文夫が出演する月曜と金曜、特に金曜。高田文夫&松村邦洋&磯山さやかの日。

 新型コロナウィルス禍で、来る日も来る日も、極めて具体的な心配だらけ、極めてリアルな不安だらけだ。現に僕も、仕事、全然なくなったし。というか、自分が属する業界自体が、本当にピンチに陥っているし。あと、安倍政権の、もはやフィクション? と言いたくなるほどのひどさに、怒りだらけの毎日です、というのも大きい。

 という現在にあっても、『金曜ビバリー』を聴いている90分の間だけは、「すべてのしんどさから笑いで逃げ切る」ことが実現しているのだ、僕の脳内は。

 

 毎週毎週、本当にくだらない。高田文夫の手数が多すぎるまぜっ返しと、松村邦洋の供給過多なモノマネによって、コーナーが全然進行しなくて、磯山さやかが困り果てる『週刊IQクイズ』が、特に僕は大好きなのだが、最近彼女がフワちゃんのモノマネを会得してからというもの、さらに収拾がつかなくなっていて、楽しいったらありゃしない。『木曜ビバリー』の、清水ミチコ野上照代(黒澤映画のスクリプター)のモノマネと、双璧だと思う。

 僕の中のラジオ・パーソナリティのナンバーワンは、もう長いこと伊集院光なのだが、彼はそういう「全面的に笑いで逃げ切る」タイプではない。今の世の中に自分が思うことについてもしゃべるし、時には自分の中の重い部分も言葉にする、そういう意味ではビートたけしに近いトークをする人なので。

 

 しかし、14歳の自分をラジオから救ってくれた人に、51歳の今、またラジオから救われている。しかも、世の中のほとんどの人が直面したことのないような、社会的危機の渦中にあっても。いや、渦中だからこそ、なおいっそう。

 という事実には、何か、「うーん、そうかあ」と思う。

 あと自分に「コロナ禍になってからラジオ聴きすぎ、おまえ。やるべきこともっとあるだろ」とも思う。