2021年4月25日(日)からの、三度目の緊急事態宣言が出るまでと、出た直後のエンタメの状況
以下、4月23日(金)までの時刻と見出しは、NHKのウェブニュースのものです。
4月22日(木)11:29
「政府 4都府県に緊急事態宣言で調整 あすにも決定へ」
新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、政府は、各知事からの要請を踏まえ、東京・大阪・兵庫・京都の4都府県に緊急事態宣言を出す方向で検討している、今週中に決定する、という報道が出る。
4月22日(木)12:19
「東京都 緊急事態宣言禍の具体的措置公表へ 政府との調整続く」
22日午前、小池都知事が、昨日の段階で緊急事態宣言を政府に要請したことを、都庁で記者団に明かす。大型商業施設は休業要請の対象とする、飲食店には時短営業の要請を続けた上で、酒の提供はしないように求める、などの案が出ている、とのことで、つまり、二回目の緊急事態宣言よりも、かなりシビアなものになることが、この段階でわかる。
4月22日(木)18:49
「東京都 緊急事態宣言の措置案判明 酒提供の店に休業要請など」
飲食店:酒・カラオケ設備提供の店に休業要請を行う。提供しない場合は20時までの時短営業の要請を行う。
大型商業施設(床面積1,000平方メートルの場合):生活必需品販売エリアを除き、休業への協力を求める。
イベント:社会生活の維持に必要なものを除き、無観客で開催するよう協力を求める。
鉄道・バスなど交通事業者:平日の終電時刻の繰り上げや、週末・休日の減便など、協力の依頼を行う。
4月23日(金)5:22
「4都府県 緊急事態宣言へ 政府 大型連休に合わせ強い対策講じる」
政府は7:00から「基本的対処方針分科会」を開き、感染症の専門家などに意見を求め、了承が得られれば緊急事態宣言の発出等を正式に決定する、と報じられる。東京、大阪、兵庫、京都の4府県を対象に、4月25日(日)から5月11日(火)までの期間。
その結果を受けて、18:30から政府が対策本部を開き、終了後の20時を目処に、菅総理大臣が記者会見をすることが発表になる。
4月23日(金)10:46
「千葉県『まん延防止等重点措置』」対象を5都市から12市拡大で調整
4月20日から「まん延防止等重点措置」が適用され、船橋市・市川市・松戸市・柏市・浦安市が対象地域となっていたが、東京都に3回目の緊急事態宣言が出された場合、適用の対象地域を拡大する方針を固めた。
千葉市・野田市・流山市・我孫子市・鎌ケ谷市・習志野市・八千代市も、対象地域となる。つまり、5月2日〜5日に『JAPAN JAM 2021』が開催される千葉市蘇我スポーツ公園も、対象地域に入る、ということ。
なお、5月1日〜5日に『VIVA LA ROCK 2021』が行われるさいたまスーパーアリーナがあるさいたま市は、既に4月20日から対象区域に適用されている。
4月23日(金)11:26
「東京 大阪 兵庫 京都に緊急事態宣言の方針 政府分科会が了承」
それに加えて、愛媛県松山市に「まん延防止等重点措置」を適用することと、既に「重点措置」が適用されている宮城県と沖縄県について、5月5日までの期限を5月11日まで延長する方針であることも明かされた。
4月23日(金)12:25
「緊急事態宣言 『基本的対処方針』変更 酒提供飲食店に休業要請」
「酒やカラオケ設備を提供する飲食店等に対して休業要請を行う。提供しない場合は20時までの時短要請を行う」だったのが、「休業要請を行う」に変更された。
さらに、公立の施設の閉館や閉園を検討するように求めることもわかった。
4月23日(金)17:52
小池都知事「変異ウイルス 総力戦でギュッと締めてきたい」
小池都知事が記者会見。見出しの言葉とともに、「午後8時以降、明るい看板やネオン、イルミネーションなどを消灯していただくようお願いしたい」という発言が出たのはこの時。
4月23日(金)20:10
「東京 大阪 兵庫 京都に緊急事態宣言」
20:00からの菅総理の会見で、正式に発表になった。
で、ここからは、三度目の緊急事態宣言を受けての、自分が気になっているエンタメ関係の状況。
4月24日(土)8:22
「4月30日〜5月2日の『ARABAKI ROCK FEST.20th×21』が開催中止を発表」
この中止発表前に、会場がある宮城県川崎町の町議会が、開催延期の要望書を町長に提出していたことが、22日(木)6:00に報じられた。
それを報じたのは河北新報だが、この新聞社は、ARABAKIの中止も、公式発表の2時間以上前の4月24日(土)の6:00にすっぱ抜いた。
というわけで、河北新報、今後、敵とみなすことにします。
「TOHOシネマズ、松竹マルチプレックスシアター、109シネマズ・ムービル、ティ・ジョイ、シネマサンシャイン等の大手シネコンが、営業休止を発表」
1,000平方メートル以下の規模で、休業の「協力体制」の対象となっているミニシアター=シネスイッチ銀座や角川シネマ有楽町、渋谷のシネクイント&ホワイトシネクイント、アップリンク吉祥寺等も、休館を発表した。
また、ミニシアターの一部は、営業の継続を決断。たとえば、渋谷のユーロスペースは、20時までの時短・座席は前後左右1席ずつ間隔を開けて販売して営業する。他に渋谷イメージフォーラム、新宿武蔵野館&シネマカリテ、下高井戸シネマ、岩波ホール、新宿ケイズシネマ、ポレポレ東中野など。
VIVA LA ROCK 2021の状況
2021年5月1日〜5日、さいたまスーパーアリーナで開催のロック・フェス『VIVA LA ROCK 2021』は、4月24日(土)21:24(ツイートの時刻)に、「現在の状況を踏まえて、ガイドラインを更に強化しました」と発表。つまり、中止にはしない、ということ。
寄席は営業継続
「【4月25日以降の寄席営業について】東京寄席組合(鈴本演芸場・新宿末廣亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場)及び一般社団法人落語協会・公益社団法人落語芸術協会にて協議の結果『寄席は社会生活の維持に必要なもの』と判断し『4月25日以降の公演についても予定通り有観客開催』と決定いたしました」
ということが、ツイッター界隈で話題になっていて、知った。
そういえば、吉本興業はどうするんだろう。と思ってサイトを見たら、該当の4都府県にある9つの常設劇場=NGK、ルミネ、祇園花月、よしもと漫才劇場、神保町よしもと漫才劇場、ヨシモト∞ホール、ヨシモト∞ドームステージⅠ・Ⅱ、よしもと有楽町シアターとⅠ拠点=森ノ宮よしもと漫才劇場、以上の場所での公演はすべて中止か延期、もしくは無観客での有料オンライン配信に切り替える、と発表されていた。
じゃあ、大宮ラクーンよしもと劇場や、よしもと幕張イオンモール劇場は? 調べたところ、20時以降はオンライン配信のみだが、20時まではやる、というオペレーションにしたことがわかった。
以上、2021年4月25日(日)11:00の時点で、わかっていることをまとめておきました。後で、自分が、必要になりそうなので。
とりあえず、『JAPAN JAM 2021』の今後の動向が気がかりです。開催になってほしいが。
それから、本日4月25日(日)の、GRAPEVINE @ 日比谷野音と、the shes gone @ 中野サンプラザがどうなるか、気がかりでしたが、どちらも開催されるようです。
それから、これでまた、さらにいっそう、飲食店などがあちこちでどんどん潰れると思うと、本当に憂鬱です。
ヤバイTシャツ屋さんの「sweet memories」を聴くと思い出すこと
ヤバイTシャツ屋さんに「sweet memories」という曲がある。
これ。
小学5年の秋頃に、同級生の女の子が、下駄箱で、自分の上履きを食べていた。という、こやまたくやの実体験を歌った曲である。
この曲、1コーラス目でその衝撃の事実を歌い、間奏(ギターソロ→ベースソロ)をはさんで、
「授業中、鉛筆、消しゴム かじったりするタイプの子やし 別に上履き食べるのもわりかしなんか受け入れられた」
と、続く。
いやいやいや、受け入れられないでしょ。引くでしょ普通。と、インタビューで言ったのだが、「いやあ、でもその時は、なんか、そやったんですよねえ。鉛筆とか消しゴムとか、かじる子やったし」と、この歌詞のとおりに答える、こやまたくやさんなのだった。
ちなみに、この歌詞、ちょっと脚色があって、彼女が上履きを食べているところを、実際に目撃したのは、こやまさんではなかったそうです。彼の級友たちがそのさまを見ていて、翌日、数人から「あの子、おまえの上履き、食べてたで」と、報告されたという。
ただし。数日後、そのインタビューのテキストをまとめている時に、「あ!」と、唐突に思い出した。
で、「確かにそういうもんかも、子供って」と、考えを改めた。
自分が、こやまたくやが上履きを食べられたのと同じくらいの年齡だった頃のこと。
小学校への行き帰りに通る通学路は、安全のため「この道を通りなさい」というルールが決められていたが、それを無視して、川沿いの竹藪の中なんかを通って帰る、まさに道草という言葉どおり、みたいなことを、近所の男の子たち数人で、よくやっていた。
で、そうして帰路についたある日、先頭を歩いていたひとりが「あっ!」と、竹藪の奥を指差した。
犬の首が転がっていたのだ。
首輪の下あたりで切断されたやつが。
と、書いて思い出した。そうだ、首輪が付いたままだった。愛玩犬サイズではなく、柴犬くらいの大きさの、黒っぽい雑種だった、ということも、今、思い出した。
竹藪に 切断された 犬の首
どうでしょう。怖いでしょう、五七五にしたところでごまかせないくらい。かなり猟奇的だ、横溝正史感すら漂うほどに。その犬が自然に死んだのか、殺められたのかはわからないが、少なくとも、首を切り落としてそこに放置した誰かが、この近辺に存在しているわけだから。
にもかかわらず。我々小学生男子数名、みんな、「うわ、犬の首だ! 以上」くらいのリアクションだったのだ。
神社でかくれんぼしていて、境内の下に潜ったら猫が死んでた、よくあるよねそういうこと、というのと同じような感じの。
「うわ、犬の首だ! さあ帰ろう」。いやいやいや、「さあ帰ろう」じゃないよ。もっとこう、「おかあさああん!」って泣きわめくとか、走って逃げるとか、この日以降トラウマとして記憶に刻まれてしまったとか、そういうレベルのことでしょ、これ。
なんでそのあと、40年以上忘れっぱなしだったのよ。そして、なんでヤバTきっかけで思い出してるのよ。という。
でも、このような、子供の……いや、子供だけじゃないのかもしれないが、「そういうこともあるよね、と受け入れる」心の働きって、ある種の能力かもしれない、という気がしてきた。「社会通念に囚われない」とか、「偏見を持たない」とか、そういうふうに捉えれば。
まあ、逆に、すごく危険なことである、とも思うが。たとえば、政府があきらかにおかしいことをしている等の、看過してはならない場合でも、「まあでも、そういうもんかも」と受け入てしまう、とか。
とにかく、この日以来、「sweet memories」を聴くたびに、竹藪の犬の首のことを思い出すようになってしまったのだった。
この日も思い出しました。
「元××」の話
「元ロッキング・オンの兵庫さんです」と紹介されるのが、苦手です。
株式会社ロッキング・オンの社員だったことを恥じているわけではないし、隠したいわけでもないし、ロッキング・オンという会社が嫌いになったわけでもない。あと、僕のことをそう紹介する人が、間違っているわけではないし、失礼なわけでもない。むしろ当然だと思う。
じゃあなんでイヤなのかというと、そのたびに、
ロッキング・オンをやめて6年も経つのに、それ以上強いカードを自分が持てていない
という事実を、突きつけられるからです。
たとえば吉田豪さん、「元紙のプロレスの」とは紹介されないじゃないですか。鹿野淳だって、もう元ロッキング・オンとは言われないですよね。「MUSICAを出している会社の社長」とか、「VI VA LA ROCKのプロデューサー」の方が、通りがいいから。
つまり、そう呼ぶ人が悪いわけではなくて、そう呼ぶのがもっともわかりやすい状態に甘んじている自分がダメだ、ああダメだ、という話です。
会社をやめて1~2年ぐらいの頃は、「まあ、まだやめたばっかりだし。吉田豪さんも鹿野さんも、やめてずいぶん経ってるし」という言い訳が自分の中で成立したが、6年も経つと、もうさすがに、ちょっとあれだ。
という中でも、いちばん困るのが、「元ロッキング・オン」が通じない場で、そう紹介されることである。
たとえば、初対面の若いバンドの取材で、僕と以前から面識があるスタッフの方が、メンバーたちに、「ライターの兵庫さん、前は長いことロッキング・オンにいて、ジャパンで書いていた方です」とか、紹介されることがある。それは全然いい、音楽業界の中での話だから。
しかし。たとえば、飲み屋のカウンターで隣になった人に、顔なじみのマスターが「この人すごい有名なんですよ」的な按配で、「元ロッキング・オンの兵庫さんです」と紹介する、みたいなことが、あったりするのだ。
で、かなり高い確率で、知らないのな。僕を知らないのはいいとしても、ロッキング・オンのことも。
という、このパターンがいちばん恥ずかしい。思い出すだけで、立ち上がって「うああああ!」と叫びだしたくなるくらいです。
というのとは関係ないが。別の店で、隣になった男に、店主が僕のことを元ロッキング・オンだと紹介したところ、その男に、SNOOZER読者だったこと、CLUB SNOOZERに通いつめていたことを、数十分にわたって語られて、ほとほと閉口したことがあった。
知らんがな。「え、広島カープの職員だったんですか?」って、ヤクルトスワローズの話を延々と始めるのと同じ、ってことに気づけよ。
この数日前に、伊集院光が、自分のことに気がついたタクシーの運転手に、『ハライチのターン』がおもしろい、という話を45分にわたって語られた、という話を、『深夜の馬鹿力』でしていた。ああ、こういう気持ちになるんだなあ、と、実感したものです。
佐久間宣行がテレビ東京を退社してフリーになることを発表した、2021年3月3日放送の『オールナイトニッポン0』でのこと。退社後に個人事務所を作らなきゃ、という話から端を発して、生放送を聴いているリスナーたちからのメールが「その事務所の名前は何がいいか」という、ちょっとした大喜利状態になった。
で、それらの投稿に、しばらく爆笑した末に、佐久間宣行が言ったひとこと。
「どうしようかな、会社名。……『元テレ東』にしよっか。あっはっは!」
ああ、俺もこれくらいフラットになれたらなあ。と、つくづく思いました。
ライブハウスは安全です
ライブハウスは安全です。
二度目の緊急事態宣言が一都三県で延長になった、2021年3月中旬現在でも、です。飲食店よりも、街中よりも、新型コロナウィルス感染の危険性は低いと思います、明らかに。
今、それくらい感染予防のためのオペレーションを徹底して、どのイベンターも、どのアーティストも、ライブを開催しているので。
2021年1月7日に、二度目の緊急事態宣言が出て以降、急遽開演時間を1時間とか2時間とか早めて終演時刻を20時までにしたり、それで来れなくなったお客さんにはチケット代を払い戻したり、でも多くのお客さんは、それでもなんとかがんばって都合をつけたりして、日々ライブは行われている(開催見合わせになったものもあるが)。
最初からイスがあるホールで、一席飛ばしで座るパターン。
ライブハウスの、普段はオールスタンディングのフロアにイスを並べて、一席飛ばしで座るパターン。
ライブハウスの、普段はオールスタンディングのフロアに、一席飛ばしくらいの間隔を空けて、イスを並べて、座るパターン。
ライブハウスの、オールスタンディングの床に、一席飛ばしくらいの間隔を空けて、席番を貼り付けて、その位置に立つパターン。
この4パターン、すべて体験したが、安全面で不安になったこと、一度もない。「ここまでしなくても安全では?」と思ったことはあるが。
で、立ち上がるのや、身体を揺するのはOKだけど、声を出すこと、立ち位置から離れることは禁止、というルールを、お客さんみんな、本当によく守ってライブを観ている。
バンドが何曲かやって、最初のMCの時、しゃべり出す前にギターのチューニングを直したりして、ちょっと間が空く時も、歓声、一切飛ばない。ちょっと不気味なくらい静か。
同じく、MCでメンバーがおもしろいことを言っても、誰も笑い声をあげない。シーンとしている。3月9日(火)にZepp Tokyoで観たヤバイTシャツ屋さんの時は、それでMCがスベってるみたいに見えて、気の毒やら、そのさまが却っておもしろいやら、でした。
その分、本来のキャパの半数以下の人数しかいないとは思えないくらい、拍手や手拍子は、すんごいボリュームで返ってくる。
で、終演後は規制退場なんだけど、たるいじゃないですか、待たされるの。勝手に出て行っても不思議はないじゃないですか。でも、ちゃんと待つのな、みんな。自分の列が呼ばれるまで。
要は、アーティスト側はもちろんだけど、お客さんも「ライブの現場を守らなくては」という意識が強いのだと思う。
自分の身をコロナから守りたい、という以上に、ライブという文化自体を守りたい。だから、ここで新たな問題が起きる危険性のあることはしない、自分ががまんすればすむことならそうする、という。
日本のお客さんはまじめすぎるとか、同調圧力だとか、そういうような捉え方もあるだろうけど、今のライブハウスのそんな状態を見ていると、「コロナとライブの問題」を「自分の問題」として受け止めている、いいお客さんばっかりだなあ、この国は。と、とても美しいものを感じます。
まあ、こういう状況でもライブに行く、という熱心な人たちだから、よけい当事者意識が高いのかもしれないが。
現に、昨年2月(感染発覚は3月)の、大阪のライブハウスの一件以降、ライブハウスでのクラスター、起きていない。というのは、アーティストとスタッフのがんばりゆえだが、そういうお客さんたちがあってこそ、だとも思う。
2021年1月は4本、2月は9本、ライブに行った。3月は15日までの時点で、5本。
というのは、同業者とかの中では、多い方なのかもしれない。まだみなさん、そこまでライブに行ってないかもしれない。SNSの感じとか、現場で出くわす知り合いの数(少ない!)とかを、見ていると。
じゃあ、俺が言った方がいいかも。と、気がついたので、以上の文章を、書くことにしました。
コロナ禍前なら余裕でチケット即完したサイズの会場で、入場者制限を半分以下にしても、売り切れない。というライブ、まだ、かなりある。ライブ業界に、お客さんが戻って来ていない。
まだ行くのをがまんしている、という人もいるだろうし、「コロナがきっかけでライブに行く習慣自体がなくなってしまった」という人もいると思うが、アーティストとスタッフとお客さんのがんばりのおかげで、今、ライブ会場、安全ですよ。
で、モッシュできなくても、歓声をあげられなくても、ライブってやっぱり、すばらしいですよ。でかい音を生で浴びるって、他の何にも替えがたい体験ですよ。ということは、言いたいです。
あ、さっき例に出したヤバTは、そんな状況でも、チケット、余裕で売り切れていた。さすが。
で、「笑い声なし」の件でもわかるように、そんなふうにお客さんのマナーがいいライブばかりの昨今の中でも、特によかったです。
そのレポはこちら。
「俺たちの明日」の話
エレファントカシマシといえば、「今宵の月のように」と「俺たちの明日」。ということになっている風潮に、実は、ちょっとだけ違和感がある。「今宵の月のように」はいいが、「俺たちの明日」の方に。
なぜこの曲がそういう存在であるのか、については、よくわかっているつもりだが、「今宵の月のように」と比べると、自分の中の「好き度」が負けるというか(「今宵〜」を好きすぎる、という可能性もある)、「確かにいい曲だけど、エレカシには他にもすげえ曲いっぱいあるぞ」的な、己の中の「めんどくさいファン」成分が発動、みたいなところがある、というか。
その理由について、いろいろ考えたこともあったが、答えが出ないので、そのまま放置して幾年月が経過。だったのだが。
2021年3月3日(水)放送の『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』。この数日前に報じられた、3月いっぱいでテレビ東京を退社するということに関して、その理由や、経緯や、今後などを、番組冒頭でリスナーに報告した佐久間宣行が、その話の締めにかけたのが、「俺たちの明日」だった。
めちゃめちゃ感動した。
なんていい曲なんだ! と思った。
曲がアウトロにさしかかるあたりでは、もう、ほとんど、感極まって泣いていた。
で、そういう感情に陥った自分に、びっくりしたのだった。びっくりしたというか、混乱した、と言ってもいい。
なんなんだ、この俺の「感情の掌返し」は。佐久間さんが人生の岐路に立って決断をした、という話をした(笑いを大量に交えながらだけど)、その流れで聴いたら、「ああっ、すげえいい曲!」と大感動。って何? どういうこと? 簡単すぎない? 俺。
べつに佐久間さんの行く末に関して、そこまで親身になって心配していたわけでもなかったのに。いや、興味はあったし、おもしろがってはいたけど、あんな優れたスター・プロデューサーの独立に対して、「心配」とか「共感」とかの気持ち、そもそもあんまり持ちようがないし。
あとでツイッターを見たら、「あの話のあとにあの曲、さすが佐久間さん」とか「あの曲やっぱり最高」みたいな賛辞の言葉が、いくつもツイートされていた。いや、そのとおりです。私もそう感じました。感じましたが。
あと、その退社トークの後半での、佐久間宣行の、この発言。
「サラリーマンをやめた途端に、金髪にする人いるでしょ。石井(玄/ディレクター)もさ、ミックスゾーンをやめてニッポン放送に入社するまでの間、金髪だったよね。俺、あれ、超ダセえと思ってたからな(笑)」
僕は、自分と同じ歳の美容師(男性)に、長年、髪を切ってもらっている。以前から、彼はよく、僕の髪を切りながら「いっそモヒカンにしちゃいます?」とか軽口を叩いていたのだが、6年前、会社を辞めてフリーのライターになって、最初に切ってもらっている時、「あ、べつにもうモヒカンにしてもいいんじゃん!」と思った。その瞬間、無性にそうしたくなり、彼に伝えた。
そしたら「いやあ、ないでしょ」と、すんげえ冷静に却下された。
いやあ、よかった、却下されて。
クラブハウスとラジオの話、というかラジオの話
日常的にラジオをよく聴いている人で、クラブハウスにハマっている人って、少ないんじゃないか、と思う。あくまで僕個人の印象だが。
クラブハウスってラジオみたい、という声があることは、知っている。TBSラジオ『深夜の馬鹿力』2021年2月8日の放送でも、伊集院光が、そのことについて触れていた。
クラブハウスは、招待制だったり、アンドロイド端末では聴けなかったりして、誰もが自由に触れられる音声メディアではない、そこがラジオとは違う、というような話を、彼はしていた。
勝手に補足すると、自分がそこにいて話を聴いていることを、周囲が認識できるようになっていることや、挙手して当てられれば自分も発言ができる、だから面識のない相手と直でコミュニケーションが取れる、つまりSNSであることが、ラジオと違う。というのも、大きいと思う。
しかし。そのへんを全部無視して、単なる「人の話を聴くメディア」として捉えると、もうこれ以上増やしたくないのです、私。
中学高校の頃は、1日中ネタを考えて『ビートたけしのオールナイトニッポン』にハガキを送る日々だった。自ら進んで何かを書く、という行為をしたのは、それが初めてだった。
それから、大学を卒業して就職した先は、長年聴き続けているラジオDJが経営する会社だった。
つまり、ラジオで人生が決まって、今に至っている人間である、自分は。
勤め人になって以降は、『電気グルーヴのオールナイトニッポン』あたりを最後に、いったんラジオから離れた。が、会社を辞めてフリーのライターになる、その数年前から再びラジオを聴くようになった。そして、2015年の4月にフリーになってから、さらに拍車がかかった。
それから1年が経った頃。月〜木の朝8:30〜11:00に、TBSラジオで『伊集院光とらじおと』が始まると知った時の絶望感は、今でも忘れられない。
やめてよ! 聴かなきゃいけないじゃない! せめて勤め人だったらあきらめられるのに!
というわけで、2016年4月11日以降、僕の月〜木の午前中のスケジュールは『らじおと』に縛られることになる。その時間、ラジオを聴きながら働ける職種もあるが(トラックの運転手とか)、ライター業は、それは無理なので。
よって、しばしの試行錯誤期間を経て、その時間を「ランニング、その後ジム」に当てることで落ち着いて、現在に至る。
それ以降は、聴くラジオをとにかく増やさないことを心がけながら、暮らしてきた。それでも、絞りに絞っても、じわじわと増えていく。
高田文夫が出る月金と、清水ミチコとナイツの組み合わせが最高の木曜は、『ラジオビバリー昼ズ』を聴くのをがまんできなくなったり。
自分が大好きな番組、テレビ東京『ゴッドタン』のプロデューサーである佐久間宣行が、『オールナイトニッポン0』を始めたり。
ラジオ書き起こし職人、みやーんZZのサイトで読んでいるうちにがまんできなくなって、『安住紳一郎の日曜天国』を、聴くようになったり。
『ACTION』が終わってホッとしたと思ったら、そこからの派生で『宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど』がスタートしたり。
せめて、TBSラジオとニッポン放送だけで抑えたかったが、ラジオ業界で売れっ子の放送作家、ミラッキこと大村綾人とうっかり知り合ってしまい、彼がbayfmで、出る側としてスージー鈴木とふたりで始めた『9の音粋』月曜が、やたらおもしろくて、聴かざるを得なくなったりもした。
もっと前だが、関西の音楽ライター、鈴木淳史と知り合ってしまったのも、痛かった。彼が編集者の原偉大とふたりで、大阪のABCラジオでやっている『よなよな木曜 なにわ筋カルチャーBOYZ』を、チェックしないと落ち着かなくなったので。
2020年9月から、ナイツがニッポン放送で、月曜〜木曜13:00~15:30で『ナイツ・ザ・ラジオショー』を始めた時は、もう怒りすら覚えた。そして、自分の中ではっきりと「聴きません!」と決めた。
『木曜ビバリー』と、土曜9:00〜13:00の『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』だけで、もう手一杯なんだから、こっちは!
なので木曜は、『ビバリー』が終わったら、心を鬼にしてラジオを切る。しかし、翌日の金曜は、『ビバリー』から、ついそのまま『中川家・ザ・ラジオショー』を聴いてしまったりすることもあるので、まったくもって油断ができない。
がまんしているものは、まだまだある。火曜と日曜の爆笑問題とか。火曜のCreepy Nutsとか。木曜のハライチとか。土曜深夜のエレ片とオードリーと空気階段とか。
本当はジェーン・スーだって、『たまむすび』だって聴きたい。『アトロク』を聴き始めたらおしまいだ、朝も夜もTBSラジオに縛られることになる、と、己に対して固く禁じている。
そもそもの資質として、残りの人生の起きている時間のすべてを「ラジオを聴くだけ」で、余裕で塗りつぶせるような人間なんだから、自分は。
あと、本業は音楽ライターである、というのも、忘れてはならない。音楽も聴かなきゃいけないんだから。
って、なんだ「聴かなきゃいけない」って。義務か。違います。仕事ですが、単に好きで聴くところから始まっているんです、もちろん。
が、それを言ったら、ラジオだって、最近、若干だが、そうなりつつある。この間、三才ブックスが出している『必聴ラジオ2021』というムックから原稿依頼があって、5つの番組について書いたし。
というわけで、聴けば絶対おもしろいことがわかっているラジオを大量にがまんしているのに、素人がしゃべっていて、トークのおもしろさの面でラジオに劣る、クラブハウスに割く時間は、ない。という判断なのでした、僕の場合。
あ、ただし、「自分の好きな人はラジオとかやらない、その人のしゃべりが聴きたい」という動機で、クラブハウスを聴く、というのは、理解できます。
まあ、時間がないとか言い出したら、ラジオやクラブハウスに限らないんだけど。
ネットフリックスやアマゾンプライム等の映像配信サービスといい、Spotifyなんかの音楽配信サービスといい、一流の芸人たちが惜しみなく持ちネタをばんばんアップしているYouTubeといい、スマホでいくらでも読めちゃうマンガといい、もうあきらかに「おもしろいものが供給過多」な世の中なので、現在は。
ついて行けない。もともと、アルバム1枚あれば1週間すごせるような、雑誌は広告ページまで読まないと気がすまないような、買った本は何度も読み返すような、そんな10代を送ってきたんだから、こっちは。
佐久間宣行の「コンテンツ全部観る男」っぷりとか、ほんと、信じられない。間違いなく、俺の何倍も忙しいのに。どうやって時間を作っているんだろう。ちょっとした空き時間とかもフル活用して、常にスマホでなんか観ている、と、ご本人はラジオでおっしゃっていたが。
あと、かつての自分の雇用主のラジオも、最近、聴くようになってしまった。数十年ぶりに。
NHK-FM、日曜17:00からの、渋谷陽一の『ワールドロックナウ』。毎週日曜の夕方は、ほぼ100%ライブに行っていたのが、新型コロナウイルス禍でそうでもなくなった、だから時間ができたのが、直接的なきっかけではある。
が、株式会社ロッキング・オンで働いていた頃の、「会議や取材立ち会いやダメ出しで、毎日毎日会社で聴いている声を、家でも聴く気にはなれません」というメンタルから解き放たれたのも、大きいと思う。
誰かの間違い、スルーするべし
2020年12月10日(木)の、ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』、清水ミチコとナイツの日を聴いていた時のこと。
リクエストコーナー『音楽道場破り』の、この日のお題は、水島新司が引退を発表したことを惜しんで、『野球マンガ・野球アニメリクエスト』だった。で、その中で、ちばあきおの『キャプテン』と『プレイボール』が好きだ、という投稿が読まれた。清水ミチコも土屋伸之も知らない様子だが、塙宣之は「おもしろいよ、『キャプテン』」。
というわけで、塙がふたりに説明を始めたのだが、どうやら彼も、昔読んだかアニメで観たかしたっきりで、すごく詳しいわけではなかったらしい。「いちばん好きなマンガ家は?」と問われれば、即座に「ちばあきおと小林まこと!」と答え続けて40年の、僕のような奴からすると、若干記憶があやふやなところがある話しぶりだった。
たとえば、「キャプテンが替わっていくんだよね。谷口から、イガラシに──」。
思わず「おい!」と言いたくなった。
丸井を飛ばしとるやないか!
谷口、丸井、イガラシ、近藤でしょうが、キャプテンの引き継ぎ順は!
で、「キャプテンが卒業しても、気になって練習を見に来るんだよね」って、いや、それが丸井ですから! 谷口はそんなことしないし。そうか、塙、そのあたりの記憶がごっちゃになってるってことか。
思わずツイッターを開き、そのことを指摘するツイートを、大急ぎで書き始めた。140字に収めるのに苦労しながら、とにかくなるべく猛スピードで書いて、ざっと読み直して、さあツイート、というところで。
我に返った。
で、ツイートせずに消した、その140字。
危なかった。やってしまうところだった。
基本的に、メディア上で誰かが何かを間違って伝えていた時、ツイートとかで誤りを指摘するべきなのは、その間違いによって、具体的な迷惑をこうむる人がいる可能性がある時だけだと、僕は思っている。
たとえば、ライブの開演時刻、18:30なのに間違えて19:00と言っていたとしたら、それを信じて19:00に行っちゃう人がいるかもしれないから、気がついたら正した方がいいだろう、と思う。
でも、この『キャプテン』の間違いの場合、誰かが困る可能性、ある? 具体的な迷惑をこうむる人、いる?
いませんよね。『キャプテン』を知らない人は、聴いて「ふーん、そうなんだ」と思うだけだし、詳しい人は「あ、丸井を飛ばしてら」と思うだけだ。
「そういうマンガがあるのか」と、興味を惹かれて読んだ人がいたとしても、「あ、谷口とイガラシの間に丸井ってキャプテンがいるのか。塙、そこを飛ばしてしゃべってたのか」と、正解を知るだけである。
そこで「ふざけんな! 谷口から直でイガラシじゃないなら、買わなかったのに! カネ返せ!」みたいなことになる? なりませんよね。だったらべつにいいですよね、ほっといたって。
そんな、べつにほっといたっていい間違いを、なぜ僕は指摘しようとしたのか。
塙より俺の方が『キャプテン』に詳しい、だから塙より俺の方が上。という、マウント欲が満たされるからですね。テレビ・ラジオに出まくっている売れっ子芸人で、天下の『M-1グランプリ』の審査員である塙よりも、このポイントにおいてだけは、俺の方が優れている、という。
どうでしょう。しょうもないでしょ、もんのすごく。
自分が人より上であることを見つけたら、即座に喜々としてアピールするのね。ってことは、もう本当に、そういう思いに飢えて飢えてしょうがない日常を送っているのね。
というか、自分が人より上なのか下なのか、という意識に、日々ガッチガチに囚われながら、暮らしている人なのね。
という事実を、わざわざ万人にお伝えして、何かいいこと、あるだろうか。
ない。
たとえば「『キャプテン』特集」とか「ちばあきお特集」で、それなりの尺を割いて語るコーナーなのであれば、まだ、「おい!」と言いたくなるのもわかる。
丸井を飛ばすなよ。あと、中学野球の話である『キャプテン』の「高校野球編」である『プレイボール』の話も、もっとしろよ。
さらに言うなら、2017年から「グランドジャンプ」でコージィ城倉が『プレイボール2』の連載をスタートした、大昔に終わったマンガの続きを別の作家が描くという極めて稀なトライアルである、現在も連載は続いていて2020年12月現在で10巻まで単行本が出ている、ということにも触れなさいよ。
ぐらいのことは言ってもいい、「特集」なら。でも、「好きな野球マンガを挙げてください」というテーマで、いっぱい投稿が来る中に『キャプテン』があっただけなんだから。詳しくなくてあたりまえでしょうよ。というか、その投稿、塙も『キャプテン』を読んでいなかったらスルーされたろうから、読んでいただけまだいいじゃないのよ。
というふうに、ちょっとしたツイートや書き込みや写真なんかをアップした時点で、「こいつ、こういう奴なんだな」「こういう心理状態なんだな」ということが、万人にばれてしまう。
というのも、SNSの怖いポイントのひとつです。気をつけます。気をつけているつもりでも、こんなふうに、ついやりそうになるくらいだし。
ということを書きながら、自分がちばあきおを大好きで、今も『プレイボール2』をちゃんと追っていることをアピールしている、という時点で、あれね、だいぶ気持ち悪いね、こいつ。
と、ここまで書いて、読み直して、思いました。だったら素直に最初から『プレイボール2』について書けよ、と思う。
あと、2020年の最後に書くブログがこれって、どうなのよ。とも思う。