兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

コロナ禍がきっかけでライブに行かなくなった、という現象について

 普段はインタビューをするのが仕事だが、自分がインタビューを受けている、という、ちょっとめずらしいテキストが、先日アップされた。

  これ。

 

 渋谷のワインバー、bar bossaの店主であり、小説やコラム等を書く文筆家でもある(もはやそっちの方が有名か)、林伸次さんのcakesの連載。もともと林さんは、『bar bossa林伸次の毎日更新表では書けない話と日記』というメルマガをやっていて(毎日更新で月額300円。僕も買っている)、そもそもは、それ用に依頼を受けたインタビューである。

 そっちはけっこう前に配信されたが、後日、「その短縮バージョンをcakesの連載で使いたい」という話が来たのだった。林さん、以前からそのような「メルマガで書いたやつに手を入れて、後日cakesでもアップ」というパターンが、時々あるのだ。『オールナイトニッポン』でしゃべったネタで、手応えのあったやつをテレビに持って行く、1980年代のビートたけしのようです。

 

 アップされると、さすがcakes、さすが林さんだけあって、いくつもコメントが付いた。で、特に反響が多かったのが、僕が最後に触れている、「新型コロナウィルス禍以降でいちばん心配なこと」についての話だった。

 コロナ禍以前は熱心にライブに通っていたが、最初の緊急事態宣言を経て、ライブが再開されても、以前のようには行かなくなっている人が、けっこうな数、いるのではないか。コロナ禍をきっかけに、「ライブに行く」という生活習慣自体が、なくなっているのではないか。「感染が怖いから」というだけではなくて、「なんとなく行かなくなった」とか、「ライブに行かなくてもけっこう平気な自分に気がついた」とか、そういう感じなのではないか。

 ということに、コロナ禍以降も、ライブの現場に通っている人なら……特に「同じアーティストだけ」「同じサイズの会場だけ」じゃなくて、いろんなアーティストを、いろんなサイズのハコで観ている人なら、気がついていると思う。

 そのアーティスト的に、コロナ禍前なら余裕で満員になっていた会場で、入場者数を半分にしてワンマンをやって、それでも売りきれなかったりすることが、わりとあるのだ。

 

 ということを話したのだが、それに対して、「…私だ」とか「うっ…これになってる…」というリアクションが、数多くあったことに、興味を惹かれたのだった。

 そうか、やっぱり自覚あるのか、みなさん。あるよね、そりゃ。

 ただ、そういう人たちに対して、「ライブの現場に戻って来てください!」と、当事者としては思うが(一応ライブ業界の関係者のつもりなので)、「なんでそうなるのよ!」とは、思わない。

 むしろ、わかる。なんで。他人事みたいに書いているけど、自分も力いっぱいそうだったので。ライブじゃなくて、映画の方で。

 

 2020年4月の、最初の緊急事態宣言の前までは、少なくても週に一回、多い時は三回くらいのペースで映画館に足を運ぶ生活だったが、一度映画館が閉まった後、入場者数半分で再開されてから、行く数が激減した。

 当初は、観たかったやつがことごとく公開延期で、劇場は旧作だらけ、という状態になったのも大きかったが、その後、ちょっとずつ新作の公開が増えていっても、なかなか、以前のような状態には、ならなかった。今度の週末に公開される映画、なんだっけ、と、チェックはするんだけど、腰が上がらない。

 やっと週一回ペースに戻ったのは、2021年の8月頃からだ。1年半も経っている。配信を待つのはイヤ、すぐ観たい、という新作が増えたのもあるだろうが、それだけではなく、そもそも自分が「映画館に行かなきゃ行かないで平気な奴」なので、そこから抜け出すのに時間がかかったのだと思う。

 シネフィルの人なら違うだろうが、僕はそうではない。10代20代の頃は、むしろ人より観ない方だったと思う。つまり「映画館にあんまり行かない生活」の経験もある。その頃に戻っちゃったのだ。

 音楽の方は、自分が「音源とライブで言うとあきらかにライブの方に仕事の比重が偏っている音楽ライター」なもんで、「とにかく観たい」「行かなきゃ」「俺みたいな奴が行かなくてどうする」という強迫観念もあって、足を運び続けたが、自分がこういう職業じゃなくて、ライブは娯楽のために行く生活だったら、行かなくなっていた可能性も、大いにある。

 

 いや、「こういう職業」であっても、そうだ。現に、ライブで顔見知りの同業者にばったり出くわす確率、ものすごく下がった。コロナ禍以降、レーベルや事務所があまり関係者を招待しなくなっているので、その影響も大きいとは思うが、それにしても会わない。行くのはライブレポを書く場合だけ、下手したら来ているライターで、レポとかないのは俺だけ、くらいの勢いになっていた時期もあった。いや、今も、まだ、けっこうそうかも。

 コロナ禍前と変わらないペースで顔を合わせるのは、『Love Music』等を手掛けるフジテレビの三浦淳プロデューサーくらいだ。僕どころではない数、観ていると思う。すごいなあの人。

 

 僕は53歳なので、「世の中みんなこんなにライブに行く生活じゃなかった時代」も、知っている。高校の頃、音楽を聴いている同級生はそれなりにいたが、ライブまで行く人は少なかったし。広島ウッディストリートで、バンド仲間以外の同級生に会ったこと、一回もないし。

 同級生だけじゃなく、近所の人とか、一緒に遊んでくれる大人(ほぼバンドマン)とかも、頻繁にライブに行く人って、ごく少数だった気がする。

 そんな中にあって、僕の母親はレアケースだったようで、小学生の時、当時人気絶頂だった沢田研二の広島公演に行っていた。「普通のおばさんでもコンサート行くのか!」「しかも母が!」「なんてハイカラな!」と驚いたのを憶えています。

 

 話がそれた。とにかく、音楽や映画等のエンタメ産業に、行政も世の中も冷たい、守っちゃくれない、むしろ(ルールを守ってやっていても)やめろと言ってくる。ということは、さんざん味わってきたが、それとは別の恐怖が、この問題なのだった。

 行政等の「外側の人」じゃなくて、「内側の人」、つまり「エンタメありで生活してきた人」が、そうじゃなくなるのって、わりと簡単なんだな、自分も含めて。何十年もかけてできあがってきた「娯楽で何かを観に行く生活」って、すぐ、その何十年前に戻るんだな。ということに、とても、怖さを感じるのでした。

 

 あ、ネットフリックス等の加入者は爆発的に増えたようだし、映画館へ行かない=映画を観なくなっている、という話ではないことは、わかっています。もっとこう、「興行全般」という話です。スポーツとかも、そうだろうな……と書いて、思い出した。コロナ禍以降、プロレス、全然観に行ってないわ、そういえば。やばい。

二度目の新型コロナワクチン予防接種後の副反応

 7月15日(木)に一度目、8月10日(火)に二度目の、新型コロナワクチンの予防接種を受けた。

 職域接種とかではなく、世田谷区から送られてきた「新型コロナワクチン接種券」を手に、区のワクチン接種予約サイトで予約した。10秒単位でどんどん予約が埋まっていく中、少しでも早く打つべく、あちこちの会場、あちこちの日付を急いで見ていく。家の近くはどこも、かなり先まで埋まっていたので、一回目は二子玉川、二回目は千歳船橋で、予約を取った。

 

 二回目のワクチンの副反応はきつい、だから一回目の副反応が大したことなかった人(僕もそうだ)も、充分に用心した方がいい。というのは、自分の周囲の、既にワクチンをすませた人たちから、きいていた。

 39℃近い熱が出て、丸1日寝込む、とか。なかなか熱が下がらなくて、2日寝込んだ、とか。身体中が痛くてだるくて動けない、とか。

 翌日は会社を休むことにしていたのに、一夜明けてもなんともない、あら意外、休まなくてもよかったかな、とか思っていたら、接種から24時間経過したあたりで急激に体調が悪くなり、もう1日休まざるを得なくなった、とか。

 

 というのは、いずれも40代と50代の声だが、70代の母親が、一回目の接種をした時、その4時間後に大きめの心臓発作が起き、なかなか収まらなくてヒヤッとした、という、その息子からの報告もあった。

 もともと心臓が弱く、過去に発作を起こしたこともあるそうだが、だとしても、怖すぎる。

 「二回目は用心しまくっていたので、翌朝の微熱と軽い心臓発作で、穏やかにすみました」って、いやいやいや、じゃあ二回目も起きたんじゃん。と、心臓発作になじみがない者としては、さらにビビった。

 

 という事態にまで、なるかどうかはともかく、ある程度の覚悟と準備が必要なことはわかったので、二度目の接種の翌日は、仕事を入れないようにした。

 で、16:30に接種し、帰宅。当日の症状は、打った左腕が一回目よりも腫れて痛くなっただけだった。酒はがまんして、早めに就寝する。

 翌朝起きると、体温は36.7℃。普段よりちょっと高いが、不調というほどではない。これから悪化するのかな、と思ったら、やはりその後、身体の節々が重くだるくなり、扁桃腺が腫れる、という、風邪とまったく同じ症状が出始めた。

 ただし、熱はない。だるいので横になってはいるが、起きて仕事できなくはないくらいだな、どうしようかな……。

 などと迷っていたら、30分につき0.1℃くらいの、極めてゆっくりとしたペースで、体温が上がり始めた。頭もボーッとしていく。

 接種から24時間後の16:30には、37.7℃になった。30分後にまた上がっていたら、用意しておいた解熱剤(普通の市販のやつ)を飲もう、と決めたが、そこがピークだった。

 上がった時と同じように、ゆっくりと熱が下がり始め、就寝の頃には37℃ちょっとになり、翌朝起きたら、ほぼ平熱に戻っており、身体の節々のだるさも消えていた。

 

 この二度目の接種の3日ほど前、なので8月7日(土)のこと。下北沢BASEMENT BARの、百々和宏with有江嘉典・初恋(突然少年)・DJフミヤマウチ出演のイベント『真夏の真昼のVIVA YOUNG 3DAYS』(の1日目)に行ったのだが、百々がMCで「昨日、二度目のワクチンを打った」という話をしていた。

 音楽関係の職域接種だったそうで、自分の前に並んでいたのがPOLYSICSハヤシヒロユキだったこと、ライブの前日に打ったと知ったウエノコウジに「そんなんライブ無理に決まってるだろ、代わりに俺が出てやる」と言われたこと(もしそうなったらベーシストふたりでのステージだったわけですね)などの話に続いて、朝起きた時、このハコに入った時、リハが終わった時、と、今日、何度も体温を測っている、と言う百々。

 ずっと36.6℃のままだそうだ。昨日、OS-1所ジョージのCMでおなじみの経口補水液)の6本パックを買って、接種前も接種後も飲みまくった、今日も飲んでいる、と言っていた。

 

 というのを、真似したのだった。

 「打つ前にカコナールを飲むといい」とか「カロナールが効く」というような言説も目にしたが、とりあえず簡単だったので、大して深い考えもなくそれを選んだのだが、僕の場合、正解だったようです。

 ただ、あくまで「人による」のは間違いないので、「だからみなさんお勧めです」ということでは、ありません。責任とれないし、「OS-1飲んでも効かなかったぞ」とか言われても。

 

 先日受けた健康診断の結果が「尿酸値が上がっている、ほっとくと痛風になる」だったので、プリン体の接種を控え始めたことと、睡眠時無呼吸症候群で困っていること以外は、この歳のわりに健康で、入院歴などもない、1968年生まれで183センチ76キロ、週4〜5でランニングとジム通いを続けている男性の場合、こうでした。という例として、書いたものです、以上は。

 あと、飲酒は週4回(と決めて週3日はがまんしている)、サウナは平均週3回、というのも、書いといた方がいいか。

 あ、ワクチンは、ファイザーでした。

 

 余談。接種した後は、15分会場に残って、急に体調が悪化したりしないか様子を見る、15分経ったら勝手に帰ってよし、というルールになっている。

 二度目の接種の時は、「明日からしばらく運動できなくなるかもしれない」と思い、ランニングしてジムに行き、運動し終わってシャワーを浴び、Tシャツだけ替えて、そのまま会場に行った。

 で、接種が終わり、「15分待機スペース」に座ったら、スタッフの女性がギョッとした顔になり、「あの、今から、運動なさるんですか?」と問うてきた。

 格好を見て、とんでもねえバカが来た、と思われたらしい。「運動してから来ました。今からはしません」と答えたら、「ああ、それなら……」と、ホッとされました。

 

 ……と、書いてから、運動してすぐ接種というのは、はたして本当にセーフだったのか、不安になってきた。彼女が知らなかっただけで、本当はよくない、という可能性も、なくはない気もする。今、検索して調べてみたが、わからなかったし。

ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021の中止、A.C.P.C.の共同声明

 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021の開催中止で、つくづく思い知ったのは、たとえなんの強制力も持っていなくても、地元の公的な団体からの中止要請は無視できない、ということの怖さだった。開催1週間前に中止になった、4月のARABAKI ROCK FEST.も、そうだった。

 RIJF開催中止発表の直後に、女性自身が、その開催中止を要請した、茨城県医師会に取材をしている。で、「県内では他に様々なイベントが催されているが、なぜこのタイミングで『ロッキング・オン』だけに要請を?」という質問に、茨城県医師会事務局はこう答えている。

 「実は、茨城県医師会がフェスを開催されることを知ったのが、6月18日ごろだったのです。ひたちなか市医師会の役員の先生から『フェスが開催されることになって、医療提供体制とかそういった点から不安が大きいんだよ』という話がありました」

 

 この記事。

jisin.jp

  この中止要請、RIJF側としては、寝耳に水だったんじゃないか、と思う。1年以上前から、感染予防対策やコロナ禍での運営のしかたなどを入念に考え抜いて、フェスのスキームを大幅に変えて(1ステージだけにしたって、かなりなことだ)、それらを細部まで詰めて、当然、地元のひたちなか市茨城県や、交通や警察や保健所や宿泊施設の団体などと、何度も話し合いを重ねて、開催を決めて、ここまでこぎつけた。

 ただし、地元の医療関係者のみなさんは、なんにも知らされていなかった、なんてことは、ありえない。当然、話は通っていたはずだ。これまで20年、フェスに協力してきたんだから(体調不良者のケアとか、時には救急車を出すとか)。ましてや、今年はコロナ禍という、例年とは違う状況なんだから。

 で、ちゃんと了承をとって進めていたのに、突然中止の要請が来た。6月18日ごろまで開催を知らなかった? え、なんで?  という。

 って、このへんまったく想像で書いていますが、医療関係者との交渉を怠っていた、だからクレームが来た、なんてわけはない。交渉して、今年も協力をとりつけていたのに、そのへんのことを何も知らなかった医師会の偉い人が「ダメじゃん」とかいきなり言い出した、というような、かなり荒唐無稽なものだったのではないだろうか、と推測する。

 

 しかもその茨城県医師会が出した、フェスに対する要請は、

 「今後の感染拡大状況に応じて、開催の中止または延期を検討すること」

 「仮に開催する場合であっても、更なる入場制限措置等を講ずるとともに、観客の会場外での行動を含む感染防止対策に万全を期すこと」

 というものだった。

 フェスの開催中止を発表した文章の中で、渋谷陽一総合プロデューサーも詳しく書いていたが、ひとつめは、「『状況に応じて』って、そんな曖昧でふんわりしていて基準がわからないことで『中止または延期を検討しろ』と言われても」という話だ。

 で、ふたつめは「『この数までなら入れていい』っていう数をシビアに選定して、それでOKをとった上でチケットを売った後なんだから、今さら入場制限措置なんかできません。『チケットを持っているけどあなたは入れません』なんてことに、今からするのは道理が通りません。それに『観客の会場外での行動を含む』って、どこまでやればいいってこと? 全員の、家から会場まで? 不可能だよ、そんなの」という話だ。

 このへん、はっきりした基準とかを出して、責任を取りたくない、という気持ちが透けて見える。「うちはクレーム入れましたんで」という事実がほしかっただけ、別に中止にならなくてもその事実が残ればいい、という、うがった見方もできる。それは言いすぎか。

 

 とにかく。要は、無視するか、今すぐ中止を決めるかの二択しかない、かなり荒唐無稽な要請だったわけだ。

 でも、そんな荒唐無稽なものであっても、地元の公的な団体が出した要請である以上、「無視して開催しよう」というわけにはいかないのだなあ、という。

 無視して開催すると、たとえ「一切クラスター出ませんでした」という結果に終わっても(というか、そうなると思うが)、開催前から開催中までは、コロナ初期に開催に踏み切ったK-1の比じゃないくらい、そこらじゅうからボコボコに叩かれるだろう。市や県なども「中止要請があったのに決行したフェスに協力している」ことになるのは、困るだろう。出演アーティストや参加者まで、白い目で見られる可能性もある。

 7月7日(水)放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』で、宇多丸さん(なぜか「さん」を付けたくなる方ですよね)も心配していたが、この件でロッキング・オン社が抱えることになる赤字、2020年夏のROCK IN JAPAN FESTIVALや、同年の年末のCOUNTDOWN JAPANの時とは比較にならない、とんでもない金額だろう。

 それでも止めると決めたのは、開催を押し切った時にダメージを食らうのは、そんなふうに、ロッキング・オン社だけではすまないからだ、と思う。

 

 という事実の重さにぐったりしていたら、7月9日(金)になって、10日(土)・11日(日)の『京都大作戦』の2週目の中止(延期)が発表になった。

 「京都大作戦1週目、7/3(土)、7/4(日)の開催直後から地元の方々より2週目の開催を懸念、不安視する様々な声を頂きました。その内容を真摯に受け止め──」開催を断念した、と、オフィシャルサイトには書かれている。

kyoto-daisakusen.kyoto

 

 また、地元の反対だ……と、さらに重たい気持ちになっていたら、その翌日の7月10日(土)の12:00、A.C.P.C.(一般社団法人コンサートプロモーターズ協会)が、「コロナ禍におけるライブ活動に関する共同声明」を出した。

www.acpc.or.jp

 「私たちは政府の基本的対処方針に基づき、公演開催地各自治体との協議のうえ、感染拡大防止を第一義としてライブの場を広げて来ています。そして政府関係当局や専門家先生方の助言をいただき業界独自のガイドラインも制定し、お客さまの絶大なるご理解ご協力をいただきながら、より安全な形でのライブを行っております。しかしながら政府や各自治体といった行政機関ではないところからライブ中止要請などが出され、その事によってライブを中止せざるを得ない事態が起きています」

 「大切なのはルールを守り、それが行政機関によって認められている営業活動は守られるべきだという事です」

 「私たちは、あらためて政府の対処方針・自治体のルールを守り、行政機関からの中止要請のない限り、ライブ活動を行う権利を有することを確認したいと思います」

 

  要は、さすがにもう黙っていられなくなった、ということだ。このままだと「地元が反対すればイベントは止まる」という実例が、増え続けていくことになるので。「で、その場合、その損失は誰も補填してくれない、泣き寝入りするしかない」という実例も、同じく増え続ける。このままでは、業界が死ぬ。

  『京都大作戦』のことに触れられていないのは、中止が決まる前から、この文章をアップする用意をしていたからだと思う。

 

 僕は、仕事における比重が、非常にライブに偏っているタイプの音楽ライターだが、実はフェスに関しては、そうでもない。こんな言い方をするとあれだけど、フェス全般が、年々、ライターにとって……いや、自分にとってか、仕事にならなくなっている。

 ロッキング・オン社が、ウェブのクイックレポートをやめたとか、雑誌の方もレポのページを簡素化したとか、他の音楽誌もそんなに記事をやらなくなっているとか、単に僕に仕事が来ないだけとか、いろいろ理由はあるが、コロナ禍のけっこう前から、そういう感じになりつつあった。

 フジロックサマソニも、2012年(まだ会社員だった)までは仕事として行ったが、2013年からは普通にチケットを買っているし。2019年に仕事として行ったフェス、香川の『MONSTER baSH』と大阪の『OTODAMA』くらいだったし。

 であってもフェスには行くし、行きたいし、ないと困る。で、フェスに限らずだが、今、各ライブ関係者が、いかに細部まで配慮して、いかに真剣に、感染拡大予防対策に取り組んで、日々ライブを行っているかについても、よく知っているつもりだ。この5月は12本、6月は10本、ライブに足を運んでいるし。

 そのへんのことを、今年の3月に、このブログにも書きました。 

shinjihyogo.hateblo.jp

 以上、なんかまとまらない文章になってしまったが、A.C.P.C.の発表を受けて、これは何か書かなければ、という思ったので、書きました。

続・バンドTシャツを着れない  

 前回のこのブログ、「バンドTシャツを着れない」ということについて書いたら、意外と好評だった。「知らねえよそんなこと」みたいに黙殺されるだろうな、でもいいや、書きたいから書こう、ぐらいのつもりだったので、うれしい誤算でした。

 

 で、アップしたあとになって、「あ、あれ、書き忘れた」という件がふたつあるのと、アップされたのを読んだ人からツイッターで飛んできたリプライに関して言いたくなった件がひとつあるので、それについて書きます。

 

 まずリプライの方。

 「エレファントカシマシ30周年のファイナルの楽屋で、兵庫さんだけがご当地Tシャツを着ておられなかったというエピソード、これを読んで、そういうことだったのかと思いました」

 というリプライが来たのですが、えーと、違います。

 それ、3年半前にこのブログに書いたやつが元ネタだと思いますが(他にはどこにも書いてないし)、書いてあるとおり、そういう理由ではありません。

 単に、持って行くのを忘れた、というか、「持って来い」と知らされてはいなかったけど、それぐらい察して気がつくべきだった、しまった、という話です。

 こちら。

shinjihyogo.hateblo.jp

 

 そもそも、スタッフTシャツ等の類いは、着たいとか着たくないとかいう以前の問題です。もちろん着ます、仕事なんだから。

 そのへん保守的な性格なので、むしろ、着てない奴がいるとイライラする方です。

 昔、ロッキング・オン社のフェスの部署にいた頃、運営チーム各社(企画制作のロッキング・オンから業務の委託を受ける形で多くの会社が集まっている)の中の某社の担当者が、なんのこだわりなんだか、現場で頑なに「CREW」Tシャツを着ない奴で、めちゃくちゃむかついたのを、これを書いたせいで思い出した。

 

 で、前回書き忘れたこと、ひとつめ。

 これ、大人計画のファンなら、気がついている人、けっこういると思う。

 演劇の公演のパンフレットって、必ずと言っていいほど、その芝居の稽古風景の写真がいっぱい載っているページがあるものだけど、その公演に出ているグループ魂のメンバーの方々、ロッキング・オン社のフェスのTシャツを着て写っている確率が、とても高いのだ。ROCK IN JAPAN FESTIVALと、COUNTDOWN JAPANと、JAPAN JAM、そのいずれか。

 一回や二回ではない。ひとりやふたりでもない。いつも誰かは必ず着ている、と言っていいくらいのレベルである。

 要は、出演者はもらえるのですね。で、もらうとちゃんと毎回持って帰る人たちではあるが、グループ魂のメンバーも、今や全員50代、普段着るのもちょっとあれだから、稽古着になる、ということなんだろうな、と推測します。

 あるいは、フェスTシャツって、観に行くのが好きな俳優とか芸人さんとかは喜んで着ていたりするけど、出る側=ミュージシャンは、普段、あんまり着ないものなのかもしれない。という気もする。

 

 そして、前回書き忘れたやつ、ふたつめ。

 近所のスーパーへ向かっていたら、正面から買い物袋を提げて歩いて来る男のTシャツに目が釘付けになった。

 FRICTIONのTシャツを着ているのだ。

 1980年のファースト・アルバム、通称『軋轢』のジャケットの、あの写真のやつ。

 マジか! 売ってるのかこんなの! と、驚きのあまり、まじまじと見ていたら、「兵庫さん!」と声をかけられた。ちょっと前に、取材仕事で一緒になったカメラマンだった、着てたの。

 彼、20代後半か30代前半くらいだと思う。その歳でFRICTIONのTシャツ、いいセンスだなあ、俺もほしいなあ、でも着れないしなあ……というのがきっかけで、前回のブログを書こうと思いついたのだった。

 なのに、忘れたのだった、このことを書くのを。

バンドTシャツを着れない

 6月18日の金曜日、サンボマスターを観に、中野サンプラザへ行った時のこと。

 サンプラに入るところで、僕の前を歩いていた男、洋楽のバンドっぽいTシャツを着ている。正面から見れなかったので、間違っているかもしれないが、たぶんラモーンズあたりのやつ。で、肩には、フラワーカンパニーズのトートバッグをかけていた。

 というのは、まだわかる。が、その1週間前の6月10日(木)、Zepp Hanedaへくるりを観に行くため、天空橋駅を目指して京急線に乗っていた時。僕の隣の男、今年=2021年の『VIVA LA ROCK』のフェスTシャツを着て、肩に花澤香菜のトートバッグをかけている。で、天空橋駅で下りたところで見失ったが、その後、Zepp Hanedaの中で見かけた。

 くるり花澤香菜、音楽的に近いとは思えないし、どちらも今年の『VIVA LA ROCK』に出ていない。三つが三つとも、見事に関係ない。なぜそのTシャツで、そのトートを提げて、くるりを観に来るのか。

 

 と、疑問を持つこと自体が、己がズレていることを表している。「ズレてる方がいい」ということはない、ズレてないに越したことはない、この場合。という自覚はあるのだった。 

 つまり、ライブに行ったらグッズを買うこと、普段グッズを着る・持つことが、完全に日常化していて、「持ってるTシャツ全部、何かのグッズ」みたいな具合になっており、「今日は○○のライブだから××のTシャツ」とかいちいち気にせず、あたりまえに毎日着ている、というライフスタイルの人が、そんなにめずらしくなく存在する、ということである。

 というか、そういう人は、誰のグッズかわかって買っているだけ、まだいい方かもしれない。

 特に洋楽に顕著だが、それがバンドTシャツであること自体を知らずに着るのが、今は普通なんだから。ファストファッションのチェーンが、こぞってその手のTシャツを出すようになって以降。

 ジョイ・ディヴィジョンの『UNKNOW PLEASURES』のTシャツを、あちこちで見かけるようになった時は、「え、なんでなんで?」と、びっくりしたものです。ファクトリー・レコードのデザイナー、ピーター・サヴィルがアートワークを手掛けた作品をTシャツ化するシリーズをユニクロが始めて、その中で、特に売れたのがあれだった、ということを、あとで知って、納得した。

 こういう場合、イアン・カーティスの遺族には、おカネ、入るんだろうか。入らないんだろうな。

 

 というふうに、人が着ているバンドTシャツやフェスTシャツの類いが、とても気にかかる。街で見かけたりすると、その度に「おっ!」となる。で、ライブハウスとかレコード屋とかロック・バーとかよりも、音楽から離れた場所であればあるほど、その趣深さが増す。スーパーマーケットとか。墓地とか。

 Theピーズ日本武道館Tシャツを着ている、赤ちゃんを抱いたお母さんを、スーパーオオゼキで見かけた時は、喜びのあまり、あとをつけそうになった。変質者だ、そこまでいくと。

 

 なんでそんなに気になるのか。理由は、はっきりしている。

 着れないからだ、自分は。

 バンドTシャツ以前に、前面にプリントがあるTシャツを着ることができないのだ。プリントの類いは一切ダメ、ならまだわかるが、胸にワンポイントと背中にプリントは平気なのに、前面はダメなのが、我ながらよけいややこしい。

 若い頃は普通に着ていたのに、20代の半ばくらいから、なんか、そうなってしまったのだった。

 就職して1〜2年は、レコード会社からバンドTシャツをもらえるのがうれしくて、よく着ていた(当時、特に邦楽では「グッズとして売る」ことは、今ほど発展しておらず、「レコード会社が販促品として作る」ことが多くて、媒体の人間によくくれたのです)。

 が、ある日、某バンドにインタビューをしている途中で、自分が別のバンドのTシャツを着ていることに気がつき、「しまった、失礼だった!」と、激しく後悔した。

 それからは、「今日は××のインタビューだから」とか配慮するよりも、出勤日はバンドTシャツを一切着ないことに決めた方がラクだ、と判断し、そうした。

 すると、だんだん土日も着なくなった。で、さらに、プリントTシャツ自体を着なくなり……で、どこの段階でそうなったのか、自分でもわからないが、いつの間にか「着ない」が「着れない」に変換され、無地のTシャツしか持っていません、という現在に至るのだった。

 

 人が着ているのを見ても、恥ずかしいとかは、全然思わない。むしろ、うらやましい。会う度に、インパクト抜群のプロレスTシャツを着ている爪切男さんとか、素直にいいなあと思う。って、「バンド」から「プロレス」に広がってるな、Tシャツの範囲が。要は「グッズとしてのプリントTシャツ」全般の話です。

 というところで言うと、東中野のハードコアチョコレートとか、上馬のホーリーシットとか、本当は、店頭で、心ゆくまでじっくりTシャツを物色したい。でもできない。買わないので。

 

 というわけで。水道橋博士が週イチペースで行っている阿佐ヶ谷ロフトAのトークイベント、『アサヤン(阿佐ヶ谷ヤング洋品店)』のVol.12=2021年6月17日(木)の回のテーマが、『Tシャツ大戦争』だと知った時は、「ああっ、なんてナイスなんだ!」と思った。

 で、配信で、楽しく観た。ハードコアチョコレートのMUNE、京都の猪木絵師SETO SHOP、チームフルスイング、映画TシャツのJETLINKなどなどが、自身が作ってきたTシャツと共に次々と登場する、夢のような時間でした。

 7月1日(木)までアーカイブ視聴あり。アドレスはこちら。https://asayan.s-hakase.com/asayan12

 

 ちなみに、今朝は、ジョギング中に「長州力ハッシュドタグTシャツ」を着ている男とすれ違って、思わず二度見した。

DJ松永の「ドラマの現場にセリフを覚えずに行った事件」は、なぜ起きたのか

 人気コラムニスト/ラジオパーソナリティージェーン・スーが書いた、父親と自分にまつわる日々のあれこれ描いたベストセラー・エッセイを、「あるある」「わかるわかる」的に楽しく、でもちょっと深く、テレビドラマにしたもの。

  そんなふうにとっつきやすく始まって、視聴者を引き込んでおいてから、「ちょっと深く」じゃなくて「とんでもなく深く」であることを、徐々にわからせていく作品。重たくてやりきれないテーマを、赤裸々に、リアルに描いていく、という原作の側面を、よりいっそうブーストさせたドラマ。

 ということが、第10話(6月11日放送)あたりから、いよいよはっきりしてきた、ただでさえいいドラマが多いテレビ東京ドラマ24』の中でも、屈指の傑作になりそうなのが、『生きるとか死ぬとか父親とか』である。

 ただ、そのような意味でのすごさ、すばらしさに関しては、既にいろんなところで語られているので、僕などが今さら書かなくてもいい気がする。が、「みんなおもしろがっている」「でも掘り下げられてはいない」エピソードが、ひとつあることが、気にはなっていた。

 

 DJ松永がセリフをひとことも覚えずに現場に来て大変だった件

 

 である。

 6月4日(金)放送の第9話で初登場した、トキコに「お母さんのことを書いてみては?」と提案する担当編集者=今西の役を演じた、これが初の演技仕事であるDJ松永。

 役者は、その日撮るシーンのセリフは、前もって覚えてから行かなければならない。ということを知らなくて、覚えないまま現場に行ってしまい、それはもう大変だった。

 という話を、彼は、2021年3月9日(火)の、『Creepy Nutsオールナイトニッポン0』で披露し、相方のR-指定(役者経験あり。2020年〜2021年でテレビドラマ3本に出ている)を絶句させた。

 それに続いて、そのドラマのプロデューサーであるテレビ東京(あ、もう「元テレビ東京」か)の佐久間宣行が、自身の『オールナイトニッポン0』で何度もネタにしたり、レギュラーの佐久間と松永のほか、佐久間と共にプロデューサーを務めるテレビ東京の祖父江里奈もよく出演する、Paraviトーク番組『考えすぎちゃん』でもその話になったりして、すっかり鉄板エピソードと化した。

 だもんで、実際に放送された時は、「これがその回か!」「松永、祖父江プロデューサー曰く『子役の状態』で、マンツーマンでセリフを覚えてすぐこれを撮ってるのか!」ということに気持ちがひっぱられすぎて、ストーリーが頭に入ってきませんでした。

 

 で。この件を知った時、同じように「役者がまったくセリフを覚えずに現場に来た」という話を、過去にも二度、きいたことがあるのを、思い出したのだった。

 ひとつは、2015年に、映画『私たちのハァハァ』のプロモーションで、監督の松居大悟とプロデューサーの高根順次にインタビューした時。

 主演の女子高生4人を演じた、井上苑子大関れいか・真山朔・三浦透子のうち、三浦透子以外=これが初の演技仕事だった3人は、ひとこともセリフを覚えていないことが、撮影初日に発覚したという。

 理由は、覚えて来なきゃいけないということを、知らなかったから。

 もうひとつは、もっと確信犯なケース。何度もインタビューしているもんで、なんの時だったか忘れてしまったが、ピエール瀧である。

 初の主演ドラマだった『おじいさん先生』の時に、初めてセリフを覚えて現場に行った。それまでは、覚えてから行ったこと、一度もなかった。と、本人からきいた。

 初の俳優仕事は、1995年の『カケオチのススメ』(テレビ朝日)で、『おじいさん先生』は2007年(日本テレビ)だから、実に12年もの間「セリフを覚えて来ない俳優」であり続けた、ということだ。

 そういえば俺、『カケオチのススメ』の時も、「初の役者仕事、どうっすか?」って、インタビューしたな。ロッキング・オン・ジャパンで。あの時からそうだったのか。それ以降の『木更津キャッツアイ』も、『私立探偵 濱マイク』も、『ALWAYS 三丁目の夕日』も、覚えずに行って、撮ったのか。

 この場合、最初の一回以外は「知らなかった」わけがないから、「知ってるけど、それでも俺は覚えない。なぜなら、めんどくさいから」というスタンスを、12年もの間、貫き通した、ということになる。

 なんちゅうハートの強さだ。さすが、「頼む方が悪い」というポリシーで、役者人生を歩んできた男だけのことはある。

 

 さて。なぜそんなことが起きてしまうのか。

 まず、さっきも書いたが、DJ松永と『私たちのハァハァ』の3人は、「覚えて来なきゃいけないことを知らなかった」からだ。

 なぜ。そのことを、周囲が教えなかったから。じゃあ、どうして教えなかったのか。そんなの、教えるまでもなく、常識だと思っていたからである。

 たとえば、Creepy Nutsのマネージャーは、先に役者仕事の話が来たR-指定には、そんなこと、教えなかった。で、R-指定、ちゃんとセリフを覚えて来た。でも松永は覚えて来ないかもしれない、って思う? 思わないよね、そりゃ。どうでしょう。責められないでしょう、マネージャーを。というですね。

 じゃあ出る側は、なんで「覚えて行かなきゃ」と思わなかったのか。覚えて行かなくても、なんとかなりそうだからだ。

 1カメでカット割らずに3分間回しっぱなし、みたいなシーンだったら、前もってちゃんと覚えておかないと無理だが、「スタート」と「カット」の間が20秒くらいまでだったら、撮る時にそのシーンの部分だけ台本を見て、セリフを覚えて、言えばよくない? それで形にはなるよね? ドラマや映画の撮影って「数分」は稀で、ほとんどが「20秒以内」だし。というですね。

 現にその方法で、ピエール瀧は12年もの間、役者仕事をやってきたわけだし。でも、『おじいさん先生』は、主演で出番が多いから、さすがに観念して、覚えることにしたのかな。いや、だけど、そんなにセリフがいっぱいある役じゃなかったな。じゃあ周囲に言われたのかな、「今回はちゃんと覚えてくださいね、主役なんですから」とか。

 

 あと、DJ松永の場合は、バラエティ番組方面ではテレビ慣れしていた、というのも、「セリフ覚えなきゃ」とならなかった理由なのではないか。と、書いて気づいたが、ピエール瀧も、最初はそうだったのかもしれない。

 バラエティでは、一言一句セリフを覚えるとか、ないだろうし。流れだけ覚えときゃいい、的な。マストで言わなきゃいけないことは、カンペを出してくれるし。

 そういえばDJ松永、ドラマの現場で、「あれ? 誰もカンペ出してくれないの?」って思った、とも言っていた。

 出すわけないでしょ。登場人物の目線が泳いじゃって泳いじゃって観てらんないでしょ、そんなドラマ。と、こっちは思うが、バラエティだと「ああ、カンペ読んでるわ」って視聴者がわかっても、別にいいしなあ。いや、だから、ドラマとバラエティは違うんだってば、という話なんですが。

 

 などと書いているうちに、僕のような、観ているだけの門外漢ではなくて、実際にその業界で仕事をしてきた「中の人」に、このテーマで書いたり語ったりしてほしいな、という気がしてきた。

 「大竹しのぶは立ち稽古の時すぐ台本を手放す」とかいうような、セリフ覚えがすごい役者のエピソードはよくきくけど、逆はあんまりきかないので。今回のDJ松永みたいな機会でもない限り。

 あの大物ベテラン俳優、実は一切セリフを覚えずに数十年やってきた、とか、そういうの、読みたい。もしくはききたい。大根仁監督とか、やってくれないかなあ。

コロナ禍による細かい影響  

 

 外で、仕事と仕事の間の時間が、いっぺん家に帰るほどじゃないけど微妙に空いている、という時、スターバックスとかドトールに入って、PCを開いて原稿仕事をする、ということが、以前はよくあったが、コロナ禍以降、ほぼなくなった。外での取材や打ち合わせが激減したので。

 で、一昨日、久々にそういうスケジュールになって、一日で、ドトールに一回、タリーズに一回入ったのだが。

 席でPCを開いて、でかい声でリモート打ち合わせをしている人と、席で電話で、でかい声で延々と話し続けている人が、両方の店にいた。

 以前は、どちらもマナー的にアウトだった。そういう人もいたけど、その場合、周囲から白い目で見られていた。「電話とるなら店から出ろよ」的な。

 でも、コロナ禍以降はどちらも、暗黙の了解でOK、ということになったのかもしれない。「しょうがないじゃん、仕事がリモートなんだから」「じゃあどこでリモート会議しろって言うんだよ」みたいな按配で。

 ということを、実感したのだった。延々と電話でアポを取り続けている、僕の後ろの席の女性、「マルチかな」と思ったけど、それはともかくとして。

 

 酒屋やスーパーでは小売していない。だから、「あえて置いている」一部の居酒屋やバーじゃないと、飲めない。

 という点で、ビール好きにとって、サッポロのラガービール、通称「赤星」と、キリンのハートランドは、ちょっとうれしい銘柄だった。

 たまたま入った店に置いてあると「お、いい店じゃん」と思ったり、逆に「赤星が(ハートランドが)置いてある」という理由で、その店に通うようになったり。

 赤星がどうだったかは憶えていないが、ハートランドは、僕が酒を飲み始めた1980年代末期には、確か、普通に酒屋で売っていたと思う。テレビでCMを打っていた記憶もあるし。

 今調べたら、ハートランドは1991年に缶ビールの販売を終了し、樽と瓶では現在も売られているそうだが、僕は見かけたことがない。

 しかし。2021年の5月くらいからだろうか、コンビニやスーパーに、サッポロの見慣れない缶が置かれるようになった。

 赤星だった。びっくりした。僕は出くわしてないが、「瓶が自販機に入っていた、思わず買った」という、大阪在住の知人の証言もある。

 ウィキペディアによると、もともと「中瓶、大瓶のみが存在し、飲食店中心の販売(実質的には業務用扱い)であるが、販売店によっては個人向けに販売をすることもある。2008年9月、約30年ぶりに缶入り(350mlと500ml)が期間限定で復活販売され、好評につきその後しばしば缶入り製品の限定生産販売が行われている」とのこと。

 公式サイトを見たら、2020年も、7月と10月に数量限定販売されていたことがわかった。ただ、去年までは、店先で僕の目にとまることはなかったので、2021年から出荷数と取扱店を、かなり増やしたのではないか、と思う。

 で、「あ、これもコロナの影響かも」と、気がついた。飲食店に下ろそうにも、ほとんどの店が閉めているし、開いていても酒を出せなくなっている、逆に自宅での飲酒率が上がっている、じゃあもっと幅広く小売しよう、という。

 という事実に、「便利になった」といううれしさと、「店じゃなきゃ飲めないという特別感がなくなった」という寂しさ、両方を感じています。

 でも確かに、すべての酒でビールがいちばん好きだけど、家でビールは贅沢だ、家では発泡酒でビールは外で飲む時、と決めていた僕も、世の中がこの状況なので、時々だけど、ビールも買って飲むようになっている。もちろん、赤星も、気がついて即、買いました。

 

 僕は普段、気候がいい季節は、風を通したくて、家の窓を開けっ放しにして仕事をしているのだが、平日は15時頃を過ぎると、週末は午前中から、近所の人たちの声が、やたらとよくきこえるようになった。

 隣の家の幼い姉弟が遊んでいる声とか、そのふたりにお父さんが何か言っている声とか、お母さん同士が立ち話をしている声とか。

 これもあきらかに、コロナ禍以降の変化だ。

 要は、子供たちがあんまり家を離れて遊びに行っちゃダメだけど、外には出たいから家の前で遊ぶ、とか、お父さんがリモート勤務だから家にいる、とか。

 ただ、「ドトールで電話」は「わかるけど、うるせえよ」と思うが、この「ご近所の声がきこえる」に関しては、全然イヤじゃないというか、むしろ、ちょっといい気すらする。下町の生活が戻って来たような感じ、というか。住んだことないけど、下町。

 

 「ライブがやれなくて音楽業界本当に大変」とか、「正気か、東京オリンピックやるなんて」とか、「飲食店もライブハウスもそりゃあどんどんつぶれるよ、困るんですけど」というような、大きなこと以外にも、コロナ禍による影響、細々と日々実感すること、いろいろあるなあ。とよく思うもので、いくつか書いてみました。

 あと「身内や友人が入院しても見舞いができない」とか、「親が高齢なので帰省できない」というのも、大きいです。

 こんなに長いこと、故郷広島に帰ってないの、イコール親に会っていないの、広島を離れて34年で、初めてかもしれません。

 

 あ、それから、もうひとつ。スタバとかでのリモート会議、迷惑とは別の問題で、「そんなデリケートな内容の話、こんなにまわりにダダ漏れなところで、していていいの?」と思うことは、よくあります。

 あと、何十億円とか何百億円とかの、えらくでかい金額の話をしていて、「いや、あんた、そんな人ならスタバでしゃべってないで、仕事場借りろよ」と思ったこともありました、そういえば。コロナ前だけど。新橋のスタバだったな。