クリープハイプ尾崎世界観のMCにおける名言率上昇について
1月21日、赤坂BLITZ。3年半前のメジャーデビュー時に回ったツアーと同じ会場を辿る、という趣旨の「わすれもの~つま先はその先へ~2016」の東京公演。
まだツアー終わってないので、どの曲やったとか、どんなことしゃべったとかいう具体的なことには触れませんが、思ったことをちょっとだけ書きます。
年末のCOUTNDOWN JAPANでのステージでも感じたことなのだが、尾崎世界観、MCでの名言率が上がっているのではないかと思う。
それ、どういう名言かというと、自分がどんな気持ちでバンドをやってきて、今ここでこうしていていることに対してどんな気持ちでいるのか、そしてこれからはどうしていきたいのか、みたいなことについての言葉だ。
勝手に身もフタもなく要約してしまうと、いつまで経ってもバンドがうまくいかない頃や、バイトをやめられない状態でバンドを続けていた頃に比べると、今は本当に幸せだし恵まれているしうれしいんだけど、心は不安なままだと。むしろ、何も持っていなかった頃は平気だったけど、ある程度のものを得てしまった今の方が、未来に対する不安は大きくなる一方だと。でもこのまま行くしかないんだと、そういうようなことだ。それだけじゃないけど。
要は、尾崎が置かれている状況と、そこで感じたり考えたりしていることについての言葉なわけだが、これ、クリープハイプの歌がなんでああいうものなのか、という理由ともリンクしていると思う。
いつまで経っても孤独で、いつまで経っても孤独に片足もしくは両足つっこんでいて、いつまで経っても満たされない……というか、音楽やるしかないからやってきただけで、音楽でうまくいって認められたら満たされるのかというと、ハナからそんなこと期待してなかったんじゃないか、という気もしてきた。
なんにせよ、尾崎がこうである限り、クリープハイプはリアルなまんまだし、だから聴き続けることになるんだろうなあ、と思った。
あと、途中で「こういうMCをするってことは次はあの曲かな」と思ったら、やはりそうだった、ということがあった。自分がクリープハイプに対してまるっきり的外れではない、ドンピシャではないにしろ、ちょっとかするくらいの聴き方はしている気がして、少し安心しました。
それからもうひとつ。こういう尾崎のMC、わざわざお客さんに言わなくてもいいようなことなのに、そう感じてしまったのに言わないのはなんか不誠実な気がする──という理由から発されているものだと思う。
そのあたり、フラワーカンパニーズ鈴木圭介と近い気もするが、ただし圭介はそれが露悪趣味の自虐ギャグになることがほとんどであるのに対し、尾崎は「身もフタもなくリアルで、だから切実ないいMC」に着地するあたり、違うなあと思いました。
がんばれ圭介。「孤高の英雄」的に言うと。
でも、自分も、尾崎タイプか圭介タイプかでいうとあきらかに圭介タイプの人間であることが、残念なところです。