2016年1月24日(日)、さいたまスーパーアリーナ2日目の星野 源
ステージ、すさまじくスケールアップ&グレードアップしていたが、そのスケールアップとグレートアップの方向性が、もういちいち「なるほど!」「そうか!」「そこっ!」だった。
逆に「もし、こういうふうにスケールアップしてたら、『それはちょっと……』とか思うだろうなあ」という懸念も、正直、観るまではあったんだけど、そういう瞬間、見事に皆無だった。
安心したというか、さすがだなあ、わかってるなあ、と思った。なんで今ここでこんな内容でこんな見せ方でこんな構成でこういうような音楽をやっているのか、もういちいち驚きながら、納得しました。
で、ワンマンでは過去最大規模であるステージに立つこの姿なんて観ると、「ほんの数年前までリキッドルームとかで観てたのに、こんなにでっかくなるなんて」みたいな感慨に襲われそうなもんだけど(私、人一倍そういうタイプです。いいことだとは思っておりません)、感じたのはその逆のことだった。
そもそも今のこの姿があるべき姿であって、数年前の方がなんかおかしかったというか。「サザンを新宿ロフトで観ました」みたいなフィクションっぽさがあるというか。いや、サザン、ロフトでやってたんですけど。なんでそれがフィクションぽく感じるかというと、テレビに出るようになってからのサザンしか僕は知らないからだと思うけど(『ザ・ベストテン』で最初に観たのはロフトからの中継だったけど、それテレビの中の出来事だったし)、それと同じようなものを、何か、感じたのでした。
なんというか、リキッドルームとかパルコ劇場とかタワーレコード渋谷店のインストアとかで星野 源を観た、という俺の記憶の方が、嘘記憶なんじゃないの? とすら思えてしまうような、そんなようなことです。
すごくて、すばらしくて、そんな不思議さまで感じさせたステージでした。
フジロックのグリーンステージの時も、ROCK IN JAPAN FESTIVALのGRASS STAGEトリの時も、同じような不思議な気持ちになった、そういえば。