ハガキ職人だった話
大学を出て株式会社ロッキング・オンに入社した時、最初に驚いたことのひとつに、「世の中にはこんなに文章を書いている人がいるのか」というのがあった。
仕事として、ではなく、その前の段階の話です。学生時代から自分でディスク・レビューを書いたり、もっと長いやつを書いてロッキング・オン(洋楽の)に投稿したり、ミニコミを作ったり、小説やなんかを書いてみたり──つまり、職業ではなく趣味で、あるいは将来的に職業にしたいという気持ちで、文章を書く人ってこんなに多いのか、と、びっくりしたのだった。
今ならブログとかSNSとかあるが、インターネットが普及するよりはるか前の時代のことです。
つまり、自分は全然そうではなかった、ということだ。
本を読むのは好きだったし、学校の作文とかはさして苦労せずに書けたので、そのへんのジャンルは苦手ではないという意識はあったが、それも理数系よりは得意という程度で、とりたてて好きとか、それで食いたいとかは思っていなかった。
というか、まず無理だと思っていた。中3ぐらいでロッキング・オンを買い始めた頃、この本文原稿の投稿というものをやってみようと思って書こうとしたことはあるが、原稿用紙3枚くらいで「ああ無理、長い文章書けないわ俺」ってギブアップしたし。
ただ、ひとつだけ、勉強とは別のところで日常的に何かを書いていたことがある。ラジオ番組へのネタの投稿だ。
最初は中学に入った頃、地元広島のRCCラジオで、ローカルタレントの西田篤史がやっていた番組に送っていた。そしたら、わりとあっさり読まれることに驚いた。ならばと思い、中2で聴き始めた『ビートたけしのオールナイトニッポン』に送るようになったのだが、これがまあおそろしく読まれない。毎週何通書いてもダメ。
それでもずっと続けていると、たまーに読まれるようになった。最初に読まれた時の興奮と歓喜は今でも忘れない。
すぐに、起きている間は1日中ネタを考えている生活になった。で、メモをとって、家に帰ってハガキに書いては毎週何通も送り続けるが、やはりそうそうは読まれない。
3週続けて読まれたことが一度だけあるが、それがピークだった。あまりにも読まれないので、試しに月曜の『中島みゆきのオールナイトニッポン』と、火曜の『桑田佳祐のオールナイトニッポン』に出してみたら、どちらも一発で読まれて、そうか、やっぱりたけしの木曜はレベル高いんだな、と納得したりもしたものです。
で、高校生活の半ばくらいから、バンドをやったりすることにのめり込んでいって、だんだんラジオは「聴くだけ」になっていった。
6月末に出た初の小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が大ヒット中の燃え殻のインタビューを読んだら、ツイッターとハガキ職人の親和性の高さについてよく話していて、とても共感した。
会社員だった頃、ロッキング・オンのウェブサイトでブログを持たされていた時、そして今自分がツイッターをやっている時の感覚って、「1日中ハガキのネタを考えている」中学高校の頃のあの感じと、完全に同じだなあといつも思っているので。
今は1日中ネタを考えてはいないが、なんかの拍子に「あ、これ、ネタになる」と思う瞬間の感じが、一緒なのです。
なんでこんなことを書いているのかというと、ちょっと前に買った(というかcakesでの連載時から読んでいた)ツチヤタカユキの『笑いのカイブツ』と、つい先日買ったせきしろの『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』という2冊が、どちらもハガキ職人(前者はハガキじゃなくてメールだが)の話だったからなのでした。
ただし、おふたりとも笑いに人生を賭ける度合いが全然違うレベルなので、僕なんかが共感するというのは、ずうずうしいが。
でも、最初にネタが読まれた時の感覚とか、「ああ、わかるわかる」とやっぱり思う。
燃え殻、あんなにおもしろい処女作を書いちゃって、次はどうするんだろう。と思っていたが、そうか、ハガキ職人だった頃の話を書く、というのはありますよね。
いかがでしょうか。『ボクたちは~』にはそのへんの話、一切出てこないし。インタビューでしゃべっているようなことを書けばいいじゃないですか。ねえ。って誰に言っているのか。
なお、今は、ラジオにネタを送る気には、まったくなれません。『伊集院光 深夜の馬鹿力』の投稿とか、超絶にレベルが高すぎて、自分にも書ける気がまったくしないので。
「なんでこんなこと思いつくんだろう」「この人の脳ミソどうなってるんだ」と、笑うのを通り越して感心してしまうことが、毎週あります。