仕事場がほしい
仕事場がほしい。
という思いに、ここ数ヵ月、かられ続けている。
理性的に考えれば、まったく必要ないことはわかっている。純粋に仕事をするためだけの部屋が自宅にあるし。その部屋、PC2台、ターンテーブル、CDJ、スピーカー、レコード、CD、本などで埋まっていて、10代の頃の自分が見たら狂喜するだろうなあと思うような「俺の城」状態だし。
で、場所もまったく不便ではない。こんなに税金取られるんなら、もっと経費を使った方がいいから部屋を借りる、というのならわかるが、あいにくそこまで稼いでいるわけでもない。
要は「事務所がある」という状態に憧れているだけなのだった。
同じ会社から独立した、アート・ディレクターの後輩……いや、社歴的には後輩だけど、フリーとしては先輩か、まあとにかく、彼女は、フリーの同業者たちと3人で事務所を借りている。
曰く、自分は本当にそうしてよかったと思っている、お勧めする、と。フリーになって最初の2年くらいは、自宅でひとりで仕事をしていたんだけど、気がつくと3日誰ともしゃべっていませんでした、みたいなことになっていたりして、まあ、煮詰まる、と。
という意味でも、仕事場に誰かいる方がいいし、作ってみたデザインをパッと誰かに見てもらって「どうかなあこれ?」と意見をきいたりできるのが、とても助かる、と。
でまた、格安のいい物件を見つけており、月々の負担はほんの数万円だという。
そうか。いいなあ。と思うが、自分の場合、逆で、誰かとシェアすると、却って煮詰まりそうな気もする。仕事場に通う、という行為が気持ちが切り替わっていい、自宅だと気が散ったりダラダラしたりしてしまうけど、通えば「さあ働くぞ」というモードになれる、というのはありそうだけど、逆に「洗濯機を回しながら仕事」みたいなことができなくなる、という不便さもある。
あと、ライターの場合、よっぽど稼いでないと仕事場なんて持ってはいけない気がする、というのが、いちばん大きいか。その月の収入はその月が終わってみないとわからない、めちゃめちゃ浮き草稼業なので。
しかし。知人のライターである、関西在住・ABCラジオ『よなよな』木曜パーソナリティーの鈴木淳史、どうやら仕事場があるようなのだ。
ラジオを聴いていると「そのあとちょっと仕事場寄ってさ」などと、ちょいちょい「仕事場」という言葉が出て来る。おい。マジか。「ラジオを始めて以来収入が右肩下がり」みたいなことをよく言っているくせに、仕事場の家賃、払えてるのか。
というか、そもそもきみ、芦屋の実家でお母さんとふたり暮らしじゃないか。仕事場を借りる前に家を借りろよ。大きなお世話か、そんなことは。
でも不思議だったので、会った時に訊いてみた。
仕事場、自分で借りているわけではないという。彼の言う「仕事場」とは、以前に契約だか業務委託だかで常勤で仕事をしていた、某出版社の大阪支社の編集部だという。契約はとうに終わっているんだけど、今でもよく出入りしては、机とPCを借りて原稿仕事をしているという。
ええと、その契約は、いつ終わったの?
「もう6年くらい経ちますかね」
ありえん。
「いや、急に契約が終わったんで、申し訳ないと思ってくれたみたいです。編集部のカギ返せとか言われへんし」
いやいやいや、でもそれ、僕に置き換えると、やめて3年が経つ今でも、ロッキング・オン社に頻繁に通って机を借りて原稿書いてる、っていうことになるわけでしょ?
ないわあ。向こう的にないのは間違いないけど、こっち的にもないわあ。
と、普段からいちいち驚かされることが多い鈴木淳史さんなのだが、それらの「驚き」の中の最たるものだったかもしれません、これ。
書いていて思い出した。
人が仕事場を借りる時に、保証人になったことはある。まだ僕が会社員だった、4年くらい前のことです。
親しくさせていただいている作家さん、というか、世間的にも名前が知られていて、誰が見たって高収入であろうことはわかりきっている方なんだけど、それでも、いつも部屋を借りるのに苦労するという。
マネージメントを委託している会社とかは、保証人になってくれないんですか? なってくれないそうだ。彼の保証人になると、同じ事務所の若くて売れてない人に保証人を頼まれた時も、引き受けないわけにいかなくなる、とか、そういう理由なのだろうな、とお察しします。
いつもお世話になっている方だし、そもそも保証人になったことで迷惑をこうむることになる危険性など、どう考えてもないので、ハンコを押した。その1年後くらいに、彼は広い家に引っ越して、その仕事場は引き払ったのだが。
ちなみに、3年前、会社をやめてフリーになることを報告した時、最初に彼がおっしゃった言葉は「そうかあ、じゃあもう保証人になってもらえないんだなあ」でした。