同じことを二回書くのはありでしょうか?
と、同業者にも問いたいし、読む方々にも訊きたい。
たとえば、芸人さんが同じおもしろエピソードを複数の番組でしゃべるのは、べつに普通ですよね。もうひとつたとえば、千原ジュニアが日曜深夜放送(東京では)のケンドーコバヤシとのトーク番組『にけつッ!!』でしゃべるエピソードが、週刊SPA! の彼の連載『大J林』の内容と同じ、ということがよくあるが、これもべつにいいと思う。媒体が違うし。
80年代のビートたけしは、まず『オールナイトニッポン』でしゃべって、そこでウケがよかった話をテレビに持って行く、ということをよくやっていた。あれなどは、むしろ、テレビでその話が披露されるたびに、先にラジオで聴いていた自分を誇らしく思ったものです。
では、ダメなのはどんなやつか。たとえば、ふたつのメディアから同じアルバムのレビューを頼まれた、あるいは同じアーティストについて書いてくださいと頼まれた、という時に、まったく同じことを書くのは、なしだと思う。同じ切り口だけど書き方が違うとか、一部かぶっているところはあるけど半分以上は違う内容だとか、そんなふうにして完全に同じにはならないように書かなければいけないでしょ、という。
とあるライターにこれをやられて、「この間、☓☓に書いておられたのと同じですよね。それは困ります」と言ったらブチキレられた、という話を、昔、知人の編集者からきいたことがある。「なんてひどい!」と、素直に思ったものです。
つまり、自分の経験したエピソードなんかの事実に基づいた話はいいけど、論旨や切り口を自分で考えて書くものに関しては、まったく同じことを二回以上書くのはなし、ということのようですね。と、ここまで書いてみて思ったが、なんでうだうだこんなことを言うておるのか、というとですね。
私、音楽雑誌とかに何か書いたりするようになって28年ぐらい経つのですが、このたび初めて「同じことをもう一回書きたい」という衝動にかられたのでした。
特定のアーティストの、「俺はここがいいと思う」「俺はここが好き」というポイントに関しての、短いテキストです。そのアーティストの作品に関するレビュー的な記事の依頼が来て、その作品に触れている時に「あ、あれ、もう一回書きたい!」と、唐突に思い出したのだった。
理由はふたつ。まず、その切り口を思いついた時、自分がそれをとても気に入ったこと。そしてふたつめは、それを書いたのが10年ぐらい前で、しかもそんなにメジャーではない場所だったので、そもそも読んだ人が少ないだろうし、読んだとしても今でもそれを憶えているという人は、限りなくゼロに近いのではないか、と思われることです。
要は、せっかく思いついたのにもったいない、埋もれているなら掘り起こしたい、という気持ちなのでした。決して「同じことを二回書いて楽したろ」という理由ではありません。このことに関して、こんな1円も発生しないブログを延々と書いている時点で、「楽したろ」とは逆であることが、おわかりいただけると思います。
向井秀徳って、同じ歌詞をいろんな曲で使うじゃないですか。「くりかえされる諸行無常 よみがえる性的衝動」とか。以前、確かNHKの番組だったと思うが、「なんで何度も同じ歌詞を使うんですか?」と問われた彼は、「何度も言いたいんですよ!」と、簡潔に答えていた。
それと同じようなことかもしれない。違うよ。そんないいもんと自分を並列にすんじゃねえよ。
で、結局、がまんしきれずに、書いて送ってしまった。
編集部はまず間違いなく気がつかないと思う。で、後日、これが世に出た時、もし「これ昔おまえが書いたやつと一緒じゃねえか!」と指摘されたら、「ばれた! みっともないことした!」という恥ずかしさよりも、「そんなの憶えててくれたんだ?」という喜びの方が勝るだろうなあ、どう考えても。じゃあいいや。と、判断したのでした。
って、自分の中で完結したんなら、人に問うんじゃねえよ。という話なんだけど、「椎名誠は自伝的サラリーマン小説を何作も書いてるよなあ」とか、「伊集院光がラジオでたまにする、若くして亡くなった友達=近藤くんの話、こっちは何度も聴いている上に彼の著書『のはなし』シリーズも読んでいるから『ああ、あの話か』って思うよなあ、でもそれ不快じゃないしむしろ楽しいよなあ」とかいうふうに、「同じ話をこすること」に関して、いろいろ思い出したり考えたりしたので、何か広がらないかしら、と思って書いてみたのだった。
そしたら大して広がらなかったのだった。