兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

『エール』の「感謝しかない」で考えたこと  

 

 最初に。以下は、番組にクレームを入れたいとか、訂正を求めたいとか、いちゃもんをつけたいとか、そういう趣旨のテキストではありません。ただ、おもしろいなあ、と思った、というだけの話です。

 

 2020年11月26日(木)放送の、NHK朝の連続テレビ小説『エール』の、実質的な最終回(あと一回あるけど、それは出演者総出で歌いまくるスペシャル版だそうなので)でのこと。

 「私はきみの才能に脅威を感じて、クラシック畑から流行歌の方へきみを追いやった。私を許してほしい」という内容の、亡くなった小山田耕三(志村けん)からの手紙を読んだ裕一(窪田正孝)が、「小山田先生には、感謝しかありません」と言うシーンがあった。

 

 とても違和感があった。

 

 というのは、この「感謝しかない」とか、「驚きしかない」みたいな、「〜しかない」という言い回しが、書き言葉や日常会話でよく使われるようになったのって、つい最近だと思うのだ。

 よく使われるようになって5年くらいか、8年くらい前からだったか、とにかく、長めに見ても、ここ10年以内くらいじゃないだろうか。というのが、僕の認識である。

 

 ただ、『エール』の脚本家だって、「マジで?」とか「エモい」とかは、間違ってもセリフには使わない。つまり、「しかない」は、「マジで?」や「エモい」のように、その時代にはこの世になかった言葉ではなくて、その時代にもあったんだけど、あんまり使われていなかった、もしくは、今のような使われ方ではなかった言葉ではないか、と思うのだ。

 昔は、「しかない」を使う場合は、「お母さん、ソースない?」「醤油しかないわよ」というような使われ方に限定されていた。それが、いつの間にか、「感謝しかない」とか、「驚きしかない」というように……待てよ。

 「感謝しかない」も「驚きしかない」も、「醤油しかない」と同じく、「名詞+しかない」ですよね。

 これ、昔だったら、たとえば「一応、薬を処方しておいたよ。気休めでしかないが」とか、「ここまでの努力も徒労でしかなかった」というふうに、「しかない」の頭に「で」が付いていた。

 じゃあ今の「感謝しかない」は、その「で」が省かれたということか? でも「感謝でしかない」って、何か変ですよね。「驚きでしかない」は、まだいいけど。

 

 と、書いてみて気がついた。そうか、「でしかない」がくっついていい言葉の意味合いが、昔はある程度、決まっていたのかもしれない。

 「気休め」も「徒労」も、ネガティブ方面の言葉ですよね。「しかない」は、そういう時に用いられる言葉だったのが、ある時から「感謝」とかのポジティブ方面の言葉にもくっつくようになった。で、その際に「で」がじゃまなので、「感謝しかない」と、ダイレクトにくっつくように変わった。ということなのかもしれない。

 

 でまた、こういう言葉って、「クセがすごい」みたいにルーツがはっきりしているものとは違って、なんのきっかけで今のように使われるようになったのかが、わからないのも、おもしろい。誰が使い始めたんだろう。どんなふうに広まったんだろう。

 

 あ、この文章、「しかない」について検索して調べるとかは、一切せずに書いています。調べてわかっちゃったら、書く理由自体がなくなるので。それに、特に結論を出すつもりもないので。

 あと、くり返しますが、『エール』にいちゃもんをつけたいわけではありません。いちゃもんをつけるんだったら、「当時は『感謝しかない』なんて言い方しねえよ」とかいう以前に、「その時代の日本人の男が誰もタバコ吸ってないなんてありえねえよ、コロンブスレコードも喫茶バンブーも煙モクモクのはずだろ」という方が大事だと思うので、時代考証的には。

 

 でも、それもいちゃもんつけませんけど。なんでそうしなかったのか、よくわかるので。宮崎駿の『風立ちぬ』の喫煙シーンに抗議が来たりしていたし。

 その意味では、『いだてん』は、がんばっていましたよね。でも、その『いだてん』にも抗議が来ていて、「ああ、もう。だって史実じゃん!」と、ほとほとイヤになったものです。

 

 しかし、こういうことをうだうだ考えていると、せっかく大学に行くんだったら、「他の学部より入りやすい」なんていう雑な理由で経済学部を選ばないで、文学部とかに進めばよかったなあ、と思います。まさかライターになるなんて、想像すらしなかったしなあ。