兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

教えてくれとは言ってない

  たとえば。「コードレス掃除機を買いにビックカメラに来ている」というツイートをした有名人が、「それならパナソニックの××がおすすめです」とか「ダイソンは高いから日立の△△がいいですよ」とかいうような、アドバイスのリプだらけ状態になっていることがある。「ウォーキングの時に履いているシューズは?」と尋ねられたので、それに答えたら、別の人から「××というブランドのシューズがいいですよ」というリプが飛んできて、「使ってるものを聞かれたので答えただけで、僕はアドバイス求めてないっす」と、返している人を見たこともある。

 

  すんごいわかる。そうなのだ。なぜそんなにアドバイスしたがるんだ、みんな。そのツイート主が、「コードレス掃除機ほしいんだけど、おすすめありますか?」とみなさんに問うているならわかる。でも、「買いに来ている」って言っただけでしょ。問われてもないのに教えるって何? そんなに教えたいの?

  というのも、すんごいわかる。そうなのだ。教えたいのだ。その人がちょっとでも自分の詳しいテリトリー(この場合だとコードレス掃除機とウォーキングシューズ)に入ってきたら。

  親切心ではないと思う。だって、別に困ってないもん、その相手。じゃあなんで教えたがるのか。教えられる、アドバイスできる、自分は彼の知らないことを知っている、自分の方が詳しい、だから自分の方が彼より上位に立てる、というマウンティング欲が満たされるからです。

  なんで言い切れるのか。自分がそうだからです、力いっぱい。音楽とか映画とか本、つまり自分の仕事に関わってくる範囲のものは、まだ大丈夫だが、それ以外がヤバい。

  ということに気がついたのは、よく行く飲み屋で知り合いになったタトゥーだらけの男に、「この界隈でタトゥーNGと謳っていない銭湯は、こことこことここ」という話を、滔々とまくしたててしまったことを、翌朝、思い出した時だった。

  彼は「サウナ好きなんだけど、この身体なもんで行けないんですよね」とか俺に言ったか? 言ってないよね。「兵庫さん、サウナ好きなんですよね」くらいのことは言ったかもしれないが、だとしてもそれはただの会話の糸口であって、俺のサウナ知識をほしがったわけじゃないよね?

  あああ。やってもうた。というか、そのように冷静になって振り返ると、「やってもうた」だらけじゃないか、俺の生活。以降、酒を飲んでいる時も飲んでいない時も、「訊かれない限り教えたがらないこと」を念頭に置いて、常に自分を信用しないようにしないようと心がけながら、日々を送っています。

 

  SNSの普及でむき出しになったマウンティング欲と承認欲求って、つくづく厄介だなあ、SNSって本当に、人間の欲望のリミッターを外すツールなんだなあ。と、すんごい今さらだけど、よく思うのでした。

  というか、すんごい今さらであっても、常にそのことに意識的でいないと、いろいろ危険だなあ、と思うのでした。

初めての「ロック・イン・ジャパン・フェスに行かない夏」

  フジロックが終わって月曜に東京へ戻って、さあ次の週末からはロック・イン・ジャパン・フェス。というのが、本来のこのタイミング、8月の第一週末を待つ時期なのだが。

  今年2019年は、ロック・イン・ジャパン・フェスに行くのをやめた。

  ロック・イン・ジャパン・フェスが始まったのは2000年。2014年までは、このフェスを企画制作しているロッキング・オンの社員として、2015年からは2018年まではウェブや雑誌にライブレポを書くライターとして(途中から雑誌だけになったが)=つまり業者として、毎年全日現場に足を運び続けて来たが、今年で20年・今回は2週末で5日間、という2019年に、皆勤記録が終わってしまったのだった。

  行きたくないわけではもちろんないし、他の仕事を優先したわけでもないし、業者として呼ばれなくなったわけでもない……いや、最後のは「と思う」が付くが、とにかく今年に関しては、仕事とかとは別の事情で、最終的に「この二週末に俺がロック・イン・ジャパン・フェスに行くのをあきらめさえすれば、丸く収まるな」「『俺ががまんしなきゃいけない』ってことにさえ目をつぶれば、それが最良の選択だな」という結論に、行き着いてしまった。

  なので、ロッキング・オン社からお声がかかってから「今年は行けないです」と言うのだと迷惑がかかるかもしれないので、呼ばれてもいない時期から「今年は行けないのです」と連絡したのだった。

 

  で。行けないのはもうしかたないとして、8月1日木曜日現在、もっとも心配なのは、フェスが始まってから、自分がどのような精神状態になるのか、ということだ。

  昔ならいざ知らず、ツイッターでフェスの様子は逐一目に入ってくるし、映像の配信などもある。というのがダメな性格なのだ、実は。「行かなくても様子がわかるし、ステージも観れるし、便利でいいよね」というのとは逆で、「なんで俺はここにいないんだあああああ!」となってしまうタチなのです。

 「自分がいないところで、何か楽しそうなことが起きている」という事実は、別にいい。が、「自分がいないところで、何か楽しそうなことが起きている、という事実を知らされる」のがダメなのだ。

  そこに自分が行った結果、楽しかったかどうかはどうでもいい、とすら言える。「そこにいたか、いなかったか」の方が重要なのだ。自分が、年間180本以上ライブに行くのも、1本でも多くフェスに足を運びたがるのも、気になった映画は映画館で観ないと気がすまないのも、同じ理由だと思う。「行くと楽しい」からではなく「そこに自分がいない」という事実にイライラする、とにかく。

  ここまで書いて思った。病気ですね、これ。でも、音楽が大好きで、ライブが大好きで、熱心に足を運んでいるような人と話をするたびに「ああ、俺とは違う」と自覚することは、これまでにもよくあった。みんな「観ると楽しい」「興奮する」「感動する」というプラスのパワーに突き動かされているけど、自分は「観ないとイライラする」「そこにいないことにジリジリする」みたいな、マイナスのパワーに振り回されているなあ、と。いや、音楽、好きなんですよ? ライブ、楽しいんですよ? でも……という。

 

  先日のフジロックの3日目。ここ5~6年は毎年全日行っていたが、事情があって今年は断念した、という友人から「平沢進が大変なことになってる!」とラインが来た。Youtubeの生配信を観ているようだ。「レッドマーキー! すぐ行かないと!」。「無理、俺今ヘブンだから間に合わない」と返事したら「そう! そうなのよ!」と戻ってきた。

  曰く、フジに行けなくてすごく残念だったけど、生配信なら一瞬でステージ移動ができる、現場だったら観れなかったものも観られる、ということが新鮮だ、と。

  ちょっと「あ、なるほど」と思った。フジロックに行ったことのない人が配信を観ても別に普通だろうけど、あの会場の隅から隅まで頭に入っていて(その人はドラゴンドラにも毎年必ず乗るくらいの人です)、どこからどこまでの移動はどこを通って、混んだら何分、天気悪かったら何分、ということまで身体に刻み込まれている人にとっては、こうやってステージを瞬時に移りながらライブを観るというのは、おもしろいだろうなあ、と。

 

  というような気分で、僕は明後日からロック・イン・ジャパン・フェスと向き合えるでしょうか。

  向き合いたいが、無理な気がする。ならばいっそ、すべての情報を絶って、溜まっている仕事にひたすら向き合うべきだと思う。思うが……うー……。

  で、また、その「うー……」が二週末にわたって続く、というのも、ロック・イン・ジャパン・フェスならではですね。

クリープハイプ尾崎世界観のトライアル、“歌い升席”について考える

  2019年10月10日に行われる、新木場スタジオコーストでのクリープハイプのライブに、“歌い升席”が設けられる。

  尾崎世界観が火曜放送のパーソナリティを務めるTBSラジオ『ACTION』の中で、「ライブ中にお客さんが客席で歌うのはありかなしか?」ということが議論のテーマとなり、尾崎が「歌ってもいい席を設けてライブをやるのはどうか」と提案したのがきっかけ。番組発のイベントとしてクリープハイプのライブを行い、そこに「歌い升席」を作るという。

  公式発表によると、「昨今のチケット転売問題への防止策をこのライブイベントに向け本気で考えてみる等、番組を通じて『ライブの新しい形』をリスナーのみなさんと一緒に模索していきます」とのことで、歌う歌わないに限らず、ライブにまつわる問題について考えるきっかけになれば、という意志がうかがえる。

  というか、そもそも尾崎世界観がこの番組でやりたいことのひとつが、それであるようだ。音楽ビジネス、バンド、ライブ等に関する、普段なかなか言う機会がない問題意識を発信できる場として、この番組を機能させたい、という。

 「尾崎の野菜嫌いを直すために自分で栽培してみる」という企画や、「ペタジーニを敬遠した上原の涙について」というトークとか、「黒いマスクについて」なんていう話題と同じように、尾崎、「フェスの公式サイトに上がるライブレポってどうなのかな?と思う」ということについて、しゃべったりしているので。

 

  払ったおカネによってサービスが違う、席が良いだけでなくお土産があったり特別なサービスがあったりする、というのは、すっかりめずらしくなくなった。フェスでは海外だけでなく、国内でもサマーソニックやEDMのフェスなどが取り入れているし、単独公演においても行われている。

  特に、洋楽の大物アーティストの来日公演では、もうそれが普通になっている、と言っていい。たとえば、2019年12月3・4日にさいたまスーパーアリーナで行われるU2の来日公演は、60,000円から15,800円まで、チケットが6種類に分かれている。60,000円の席は「専用入場口、特製チケット、バックステージツアー抽選参加券、開演前飲食優先ご案内」という特典付き。「バックステージツアー抽選参加券」が気になります。「抽選」なのよね? 外れるかもしれないのよね? と思う私は、16,800円のA席を第一希望で申し込んで外れ、15,800円のスタンディング後方になりました。

 

  脱線した。戻します。そのような「金額によって細かく客席を分ける」という興行が、主にドームやアリーナ等の大会場で行われるようになった、とするなら、Zeppスタジオコースト等のオールスタンディングのライブハウスで、まだ一般化はしていないが実験的に行われるようになってきたのが、このクリープハイプの“歌い升席”のように「お客の希望によって客席を(もしくは「エリアを」)分ける)という試みなのかも。と、思ったのでした。

  たとえば、オメでたい頭でなによりのライブには、「デリケートゾーン」と名付けられた、柵や紐などで仕切られたスペースがフロアに設けられている。騒がずにゆっくり観たい方や、オールスタンディングのライブが初めてなので不安な方は、そこで観てください、という。

  Perfumeが大会場でのライブの時に、スタンディングフロアの中に、女性や子供を対象とした専用エリアを設けているのも、同じ理由だろう。オールスタンディングに不慣れな人、モッシュがイヤな人、というだけでなく、そのエリア内なら子供もいられるとか、背の低い女性でも観やすいとか、痴漢の心配がないとか。

 “歌い升席”も、そういうのと同じ……というふうに、話を進めようと思っていたのだが、ここまで書いて気がついた。

  違うわ。そのもうひとつ先の問題だわ、これ。

 

 「デリケートゾーン」や「女性子供エリア」は、映画の「絶叫上映」や「応援上映」と同じだと言える。絶叫したい人は来てね=それ以外の人は来ないでね、暴れたくない人は入ってね=それ以外の人は入らないでね、というふうに、はっきり分かれているので。

  しかし、「“歌い升席”ありライブ」は違う。“歌い升席”の人は思う存分歌っていい、ということは、それ以外の人は思う存分歌っちゃダメ、ということだからだ。

  うわあ。軽い気持ちで書き始めたが、これ、考えれば考えるほど、めんどくさい。それこそ、ロッキング・オンのフェスが、物議を醸しながらそれでも貫いている、「モッシュ・ダイブ等の危険行為をした人は退場」という施策以上に難しいのではないか。

  だって、ロッキング・オンのフェスのそのルールは、「実際にお客さんの身体に障害が残るほどの事故が起きた、二度とこんな事態を起こしてはならないと決めた、だからこうするしかなかった」という、真剣にこの問題に向き合ったがゆえのエクスキューズがあるが、「歌っていいかダメか」という問題には、そんな大義名分、ないし。で、「歌うな、うるさい」という人の希望をかなえることは、「大好きなアーティストと一緒に歌いたい」という人の希望を奪うことなわけだし。

 

  というふうに、とても難しいからこそ、自分の番組で、平場で議論した上で、実際に“歌い升席”を設けてライブを行うことにしたのだと思う、尾崎は。つまり、「みんなの問題」として、考えてもらおうとしたのだと思う。

  知らねえよ、そんな個々の事情に沿ってルールなんか作りたくねえよ、自由じゃなさすぎるじゃん、というふうにケツをまくってもいいのに。と、僕などは無責任に思ったりするが、逆に言うと、そうも言っていられないくらい、尾崎の耳にそういう声が届いているのかもしれない。

  だからといって、「絶叫上映」のように、「全員歌ってOK」あるいは「全員歌っちゃダメ」というライブにすると、相反する希望がぶつかる場所にならない。そうなる場所じゃないと、問題の解決へ向かって何かが進んでいく可能性はない。じゃあ自分たちのライブでやるしかないな、ということなのだと思う。

 

  ちなみに6月25日の放送では、チケットの転売問題についても、ぴあの方を呼んで、じっくり話を訊いていた。

  あと、海外でライブを楽しんでいる人からの、「『おまえは客だから歌うなよ』なんて言ってるのは日本だけ、海外はみんな自由」という投稿も、取り上げられていた。

  それから、「仕事で途中からしか来れない人の席や、遠くから来て途中で帰らなきゃいけない人の席も設けてほしい」という声も届いていた。ここまでくるとさすがに「知らんがな!」と言ってもいいと思ったが、尾崎、「コール&レスポンスとかいいかもしれませんね。『途中で!』『帰ります!』って。途中で帰るのって普通テンション下がるから」と、楽しげに応じていた。

  タフだなあ。頭が下がる思いです。

 

  ちなみに、その翌週の7月2日放送では、「母親のために、50代以上専用席を設けてほしい」というメールも読まれていた。尾崎は肯定的に応じていたけど、「いらんわ!」と思いました、今年51歳としては。

  まあでも、年に180本以上ライブに行く、そのうちのかなりの数がスタンディングである今年51歳は、例外なんだろうな。という自覚もありますが。

サウナ大ブーム前夜に希望すること

  これを書いている2019年7月1日時点ではまだ放送は始まっていないが(7月19日からです)、テレビ東京系のドラマ『サ道』をきっかけに、全国的にサウナブームが爆発する兆しがある。と思う。

  たとえば、人気サイト『SAUNA TIME』では、6月8日スタートで『サ道』出演者のインタビューがアップされていく、などの展開が始まっている。もうひとつたとえば、名古屋に3店舗、福岡に1店舗を構えるウェルビーの公式サイトのトップページには、とっくにドラマ『サ道』のバナーが貼られている。さらにたとえば、新橋のサウナアスティルの店内には、『SAUNA TIME』と『サ道』のコラボ宣伝ステッカーが見受けられる。などなど。

  って、「サウナブームなんてとっくに来てるじゃん」と言われそうだ。もちろんそうです。だって、俺がハマってるんだから。そもそも僕は、「世の中的にはまだ流行ってない、俺は先んじて好きになった」みたいな、感度の鋭い人間ではない。なのでいつも、「俺がハマってるくらいだから、世の中的に流行ってるんだな、これは」というふうに考えることにしている。

  過去の実例、ジョギングやジム通いなどを鑑みても、そうだったし。知人のライブ制作会社社長……って自分で本名でブログにも書いているから隠さなくてもいいか、ビンテージロックの若林さんの影響でエニタイムフィットネスに入会した翌日、TBSラジオ深夜の馬鹿力』で、伊集院光がエニタイムフィットネスに入った話をした時は、「ビンゴ!」と思いました。何がビンゴだ。

 

  ともあれ。サウナ、この先、ドラマ『サ道』とそれにまつわるキャンペーンによって、すでに充分流行っている今以上に「流行っている」状態が訪れることが、予測される。

  サウナ業界が活気づくのはいいことだ、という肯定的な思いもあるけど、「これ以上混むとしんどいなあ」という気持ちも、正直言ってある。各地のサウナ付きカプセルホテルの週末の予約の取りにくさ、どんどん加速しているので。まあ、サウナブーム以上に、海外からの観光客の増加で普通のホテルが埋まっているから、という理由も大きい気もするが。

  でもほんと、名古屋のウェルビー3店舗も、大阪の大東洋も、週末の深夜は、休憩スペースやネットスペースの床まで人がゴロゴロ寝ている、通路をふさいで横たわっている人までいて、「野戦病院かここ?」みたいな具合になっている。2年くらい前まではなかった状況です。

 

  じゃあどうしろっていうのよ。というあなたに訴えかけたい。

  サウナ付きの銭湯に行きません? と。

  それでなくても混んでいる、充分に人気のあるサウナよりも、サウナのある銭湯に行って、そこの経営を支える力になる方が意味ありません? という。そういう個人経営の銭湯、どんどん消えていっているので。うちの最寄りの銭湯もとうにつぶれて、その跡にはマンションが建った。

  そりゃあ「うわ、ボロいし汚い、こりゃダメだ」みたいな、やる気のない銭湯はしょうがないが、古くとも清潔でちゃんとしていて使い心地のいい、でもそこまで流行っていない銭湯も、いくつもある。そういうところを探しませんか? というですね。

  で、いい銭湯であることがちゃんと浸透していて、賑わっていたとしても、後継者の問題が深刻だったりもする。

  僕の中で「古くとも清潔でちゃんとしていて使い心地のいい」、だから愛される銭湯の代表、西太子堂の八幡湯は、「毎週土曜と第一・第三金曜が休み」だったのが、最近「毎週金土休」になった。そのことを告げる貼り紙には「寄る年波には勝てません」と書かれていた。

  どうでしょう。心配でしょう、それは。だったら、今以上に賑わうことで、「俺が継ごうかな」みたいな人が、出てくるかもしれないじゃないですか。八幡湯の都合も知らずに勝手なことを言っていますが。

 

  あと、これは僕個人の話だが、地方に行った時は別として、普段自宅にいる時の感覚としては、「サウナはぜいたく」というのがある。サウナ付きの銭湯なら、都内均一の銭湯料金=460円にプラスサウナ代、安いところだと「鶯谷の荻の湯の平日120円・土祝170円、ただしタオルは付かない」くらい、高いところだと「表参道の清水湯、プラス640円で1,000円、タオル付き」くらいまであるが、だいたいその幅の金額で、サウナと水風呂を味わえる。平均すると750円か760円でタオル付き、くらいです、僕の行く銭湯の場合。

  一方、たとえば笹塚の人気サウナ、マルシンスパだと、「スマホで購入お得な前売りチケット」で、1,500円(平日120分)から。サウナってそれくらいの価格帯が基本で、底値は、僕が都内で行ったことのある範囲では、上野の北欧のクイックサウナ(10:00~23:00の間で3時間1,000円)と、歌舞伎町のメンズサウナこり・こりの60分コース(10:00~15:00で1,000円)くらいだ。赤坂のサウナリゾートオリエンタルも、ちょっと前までスマホで前売り券を買えば60分1,000円だったが、最近90分1,300円に変わった。

  休憩スペースでゴロゴロしたい、というなら別だけど、そうじゃないお忙しい方にとっては、銭湯の方がお得でしょ?

  ああもう本当に貧乏くせえ、俺。と、書いていてつくづく思うが。いや、僕をサウナ好きにした松尾スズキさん(のメルマガを読んで影響されたのです)や、知人の週刊SPA! のT副編集長みたいな高収入な方はいいですが、こっちは実質、「個人事業主の届けを出しているフリーター」だし。マジでその日暮らしだし。LOST IN TIME海北大輔が、マルシンスパに行ったとツイートしているのを見るたびに「いい身分だなあ海北てめえ!」とジェラシーを覚えるくらいだし。

  貧乏くさい話ついでに、昨年暮に改装してリニューアルオープンし、めっちゃきれいでおしゃれになった、恵比寿と渋谷の間にある改良湯。改装前は、サウナ代を足しても710円(タオル付き)という、この近辺の平均よりも安価な設定だったが、改装後は100円上がって810円になった。あと、中目黒の超人気銭湯、光明泉。ここも、サウナ代を足して660円(タオル付き)という破格の安さだったのが、ちょっと前に760円に上がった。

  どちらにも「ああ……」と思ったが、でも、どちらも、妥当だと思います。

 

  あとひとつ思うこと。女性用サウナ、もっと普通にいっぱいあるべきではないか。男女平等に、とかいう以前に、単に、商売として当たると思うのですが。

  あともうひとつ。「交通と宿泊は自分で手配して、あとで経費として請求してください」という出張仕事の時は、サウナに入りたいがゆえに必ずカプセルホテルに泊まることにしているのだが、先日久しぶりに会った某アーティストのマネージャーが、「僕もなんです。いつもメンバーをホテルまで送り届けてから、ひとりでカプセルサウナに泊まります」とおっしゃっていて、安心しました。

真心ブラザーズ「うみ」の歌詞が元に戻った

  2019年6月16日、真心ブラザーズの弾き語りツアー『東海道中歌栗毛2019』のファイナル、ヒューリックホール東京。

  レーベル配信のニュースレポのご依頼をいただいて、行って、書きました。

  あちこちのウェブサイトにアップされています。これはSPICEにアップされたものです。https://spice.eplus.jp/articles/242272

 

  で。そのレポの中でも触れている、ちょっとびっくりしたこと。

  デビューシングルの「うみ」を、アンコールでやったんだけど、1回目のBメロをYO-KINGは、

「君は僕の腕をつかんで 早くおいでよと言わんばかりに先を行くのさ」

  と、歌ったのだ。

 

  以前、このブログにも書いたが(こちらです http://shinjihyogo.hateblo.jp/entry/2017/01/10/202422 )、いつからかYO-KINGはこのラインを、

「君は僕の前を歩いて 早くおいでよと言わんばかりに先を行くのさ」

  と歌うようになった。数年前、いや、下手すると10年くらい前からかもしれない。

 「どか~ん」の「どか~んと景気よくやってみようよ」を、全部「どか~んと一発やってみようよ」に揃えて歌うようになったのは、まだなんとなく理由がわかるが(5文字より4文字の方がメロのハマりがいいとか)、こっちは謎だ。だって、「前を歩いて」だと、「先を行くのさ」と意味的にかぶっちゃってるじゃないですか。それに「腕をつかんで」の方が、彼女の急ぐ感じが、よく出てるじゃないですか。

  という僕の思いなどもちろん関係なく、YO-KINGは「前を歩いて」と歌い続けてきたわけだが、それが突然「腕をつかんで」に戻ったのだ。

 

  うわ! びっくり! でもよかった、だってやっぱり「腕をつかんで」の方がいいじゃんね、でもなんで今になって戻したんだろう、あ、そうだ、デビュー30周年セルフカバー・ベスト・アルバム『トランタン』をレコーディングしたから、って9月4日発売だから、もうレコーディング終わってるのかどうかは知らないけど、とにかく、そういうタイミングを機に戻したのかな。あのファン投票で選ばれた10曲の中に「うみ」も入ってたし。

 

  しかし。終演後の関係者あいさつで、YO-KINGに「『うみ』の歌詞のあそこ、元に戻したんですね!」と言ったところ。

 

「え? 何が?」

  は? 「何が?」って! だってほら、「腕をつかんで」って戻してたじゃないですか、ずっと「前を歩いて」って歌ってたのに。ねえ桜井さん!

「そうなの? 気がつかなかった」

 

  と、おふたりともまったく無意識だったのでした。下手したら、今回歌詞を戻したことに無意識だったのを超えて、ずっと「前を歩いて」と歌っていたことすら無意識だったのかも、くらいの感じで。なんなん?

 

  で。そのように歌詞が戻っていたことをツイートしたら、ライブを観ていて同じことに気がついた方が、(カンペの)歌詞を見ながら歌ったからそうなったのではないか、という、鋭い考察をツイートしておられて、「そうかもしれない」と、納得しました。なるほど。

  でも、こうなったらもう、『トランタン』を聴いたら「前を歩いて」と歌っていて、「本当になんなん!?」とさらに混乱させてほしいです。いっそのこと。

「思ったこと」と「伝えるべきこと」の間

  NGT48加藤美南のインスタSTORY誤爆で研究生に格下げ&NGT全メンバーのSNSが停止させられた事件。山口真帆の卒業公演を伝えるテレビ画面の写真に「せっかくネイルしてるのに チャンネル変えてほしい」と書いてアップしてしまった、あれです。「友達だけに公開しようと自分の心境をストーリーに述べたのですが、間違えて全ての人に公開してしまいました」「親しい友達にしか見せないとはいえ、人の気持ちを考えていない投稿でした」と、本人が謝罪したやつ。

  NGTとかAKSとかに関して、というかそもそもアイドルというものに関して、僕はまったく詳しくないので、それについて何かを書いたり言ったりすることは普段ないんだけど、それでもこの件に関しては、ちょっと考えてしまった。

  何を。「自分が思ったこと」イコール「誰かに伝えるべきこと」というふうに、人間の感情を改造してしまうSNSって、恐ろしいなあ。ということを、です。

 

  まず、ネイルしていて、自分の視界に入る位置にあるテレビで、自分は観たくない内容のものが放送されていて(なんで観たくないのかとか、そもそもこの事件はどういうものなのかとかについては、ここでは置いておきます)、「せっかくネイルしてるのにチャンネル変えてほしい」と思うのは、その人の自由だ。というか、止められない、人が思うことなので。僕はワイドショーの類いを観るのがとにかく苦痛で、サウナのテレビでそういう番組をやっていると、「せっかくサウナ入ってるのにチャンネル変えてほしい」と思うし。

  ただし。だとしても、「思ったこと」と「誰かに伝えるべきこと」の間に、本来ならフィルターがかかるものじゃないですか。「これはわざわざ人に伝えるべきことなのか?」「人に伝えるだけの意味があることなのか?」「人に伝えると何かいいことがあるのか?」という。

  それを取っぱらって「思ったこと」イコール「誰かに伝えるべきこと」にしたのはSNSだ、発信の容易さが人をそのようにマインドコントロールしてしまったのだ、という話です。その結果、「誰かに伝えることが喜び」というのを越えて、「誰にも伝えないことがストレス」と化しているのではないか、と。

  さっきの僕のたとえで言うと、サウナのテレビでAVが流れていたら「おい!」ってなりますよね。というのは、ネタになるから、ツイートして人様にお知らせする意味があると思うが、ワイドショーが流れているのは普通なことだから、自分はイヤだけど、わざわざ人に伝えてもなあ、ってなるじゃないですか。

  あ、これ、「不特定多数に」って話じゃないですよ? 彼女が「せっかくネイルしてるのにチャンネル変えてほしい」と伝えたかった「親しい友達」に対してもですよ?

 「間違えて全ての人に公開してしまいました」という以前に、限られた人だろうが、全ての人だろうが、今自分が覚えたこの感情、伝える必要があるもの? という。そこで「あったんです! 絶対に伝えたかったんです!」というのなら、まだいい。「伝えたいとか伝えなくていいとか考えなかった、伝えないと気持ち悪いという感覚が身体化しているから」だったとしたら、怖いなあと思うのだ。

 

  という話でした。

  難しい問題ですが。そもそもSNS全般がそういう「わざわざ伝えなくていいことを伝えてもいいツール」だからこそ、ここまで爆発的に広がったのだとも言えるし。

  言い換えると、そんな、これまでだったらエンタテインメント性ゼロと思われていた、人に伝える意味のない、「だからどうした」みたいなこと──「東京行きののぞみなう」とか「天下一品池尻店なう」みたいなことも、読んだり写真を見たりすると、それなりにおもしろかったりする、という発見が、SNSだったわけなので。

 

  僕のツイッターの使い方は偏っていて、そういう「天下一品池尻店なう」みたいなことは、一切書かない。人のそういうのを見ても何もカンに障らないし、おもしろかったりもするにもかかわらず、自分はやらない。自分の仕事や趣味に関わる、音楽やテレビや本などにまつわることと、日常生活の中で「あ、これネタになる」と思ったことしかツイートしない。

  たとえば旅行に行っても、それが音楽とかに関係ない限りは書かない。過去、南の島の青い海の写真とかをアップしたことがあるのは、そこにフラワーカンパニーズの4人が写っていた時だけだ。

  なんで? と、ちゃんと考えたこともなかったんだけど、今わかりました。ここまで書いたような理由だったのか。

『きのう何食べた?』を熱心に観ている

※「うちの地方では『きのう何食べた?』は金曜深夜の放送ではない」という方で、テレビで観るまでストーリーを知りたくない、という方は、読まないことをおすすめします。

 

  2019年4月から始まったテレビドラマ『きのう何食べた?』。テレビ東京金曜深夜の『ドラマ24』というこの枠、『湯けむりスナイパー』『モテキ』『まほろ駅前番外地』『リバーズエッジ 大川端探偵社』といった一連の大根仁演出ドラマや、『孤独のグルメ』シリーズや、ひとつ前(2019年3月までのクール)の『フルーツ宅配便』(監督が白石和彌沖田修一松尾スズキが出ていた)など、いいドラマが多くて、もともとよく観ている。

  特に今回は「単行本が出た瞬間に買うほど原作を好きだったので観た」というパターンだった。『モテキ』はドラマで知ってマンガを読んだし、『孤独のグルメ』は、読んではいたけど全巻揃えるほどではなかったし。

 

  このマンガがドラマになることが発表になった時の、「シロさんとケンジ、それぞれはいいけど年齢が逆! 西島秀俊よりも内野聖陽の方が歳上じゃん!」という違和感が、一回目の放送で「あ、気にならないわ」って消えたせいか、毎回とても楽しく観れている。

 「山本耕史の小日向さんはもっといかつい見た目の人の方が……」とか、「佳代子さん、田中美佐子じゃ若くてきれいすぎない?」とか、「マキタスポーツの店長もいいんだけど、ドラマになるって知った時はレキシ池ちゃんだ! と思ったんだよなあ」(アフロなせいですね)とか、ポイントポイントで「ここの芝居大げさじゃない?」とか、そんなふうに、観ながら勝手なことを思ったりすることが、ないわけではない。

  が、それ以上に、「シロさんの両親、志賀廣太郎梶芽衣子もなんてバッチリなんだ」とか、「スーパー中村屋の店員の唯野未歩子、よく見つけたなこんなドンピシャな人!」とか、そういう喜びの方が上回っている。

  特に、ジルベール磯村勇斗。えっ、ダメでしょ。ジルベールって会ってみたら「どこがジルベールじゃ! 美少年じゃないじゃん!」って人なのに、磯村勇斗じゃ「ほんとだ、ジルベールだ」ってなっちゃうでしょ。と思ったが、第6話の初登場シーンを観てびっくりした。ちゃんと「どこがジルベールじゃ!」な感じになっていて。「これ磯村勇斗?」と目を疑いました。スタイリングやヘアメイクもあるけど、表情なんかの芝居も理想的なんだと思う。普通に「30歳になったばっか」に見えたし(実際は26歳)。

 

  あと、基本的に、原作に忠実にドラマ化されているんだけど、もちろんちょこちょこ変えている部分もある。その変え方が、観ていてカンに触らない、いい温度なので、変えた理由を考えながら観るのも楽しい。

  たとえば、第6話(基本的に3巻の「#20」と5巻の「#36」のミックス)だと、

 

司法修習生の女の子を押し付けられることを拒んだシロさんが、「40過ぎの独身男と若い女の子を一緒にして、もし何かあったらどうするんですか!?」と所長に言うが「もしそうなったら責任取って結婚すればいいじゃない♡」と返される、というやり取りが、ドラマでは別の会話に置き換えられていた。

 

・その司法修習生が転んで、助け起こそうとしたシロさんが腕をつかんで「ポッ」となるシーン、原作にはない。

 

・その司法修習生を連れて面会する医療ミス裁判の原告の男、原作では亡くなったのは奥さんだけど、ドラマでは80歳の母親。

 

ジルベールが着ているTシャツ、原作では「ぞう」だけどドラマでは「針ネズミ」。

 

・「鶏の水炊き」の手羽先、ドラマでは閉店間際の中村屋でそれしか残ってなくて、高くて躊躇するがそこに半額シールを貼られる、というシーンになっていたが、原作では家の冷蔵庫に残っていたのがそれしかなかった。

 

  こうして挙げてみると、けっこう変えられていますね。これ以外にもいろいろあります。にもかかわらず、観ていて「基本的に原作に忠実」と感じさせるところも、「なんでだろう」と考えるのが楽しいポイントですね。

  というわけで、とても楽しく観ているんだけど、観るたびに……いや、原作を読んでいる時から、いつも「そうなんだなあ」と思うことがひとつある。

 

  シロさんちって晩酌しないのね。

 

  ほぼ毎晩きちんと家で料理して夕食をとるのに、ごはんとおかずと副菜と汁物で、お酒は出てこないんですよね。

  ふたりとも飲めないわけではない。外に飲みに行く日もあるし、家で飲む日もあるし、休みの日に昼からビールを開ける回もあった。だけど、あくまで「時々飲む」レベルで、家で毎日飲む、ということはない。

  僕はけっこう料理する方だが、夕食に関しては「せっかく何か作るなら飲まなきゃ損」という考え方なので、飲む前提で料理する。今年から週に二回飲まない日を作るようにしたのだが、その日の晩飯は、外で雑にすませることが多い。

 

  だからどうした。いや、俺とは違うなあ、というだけなんですが。

  ただ、この「主人公が基本的に飲まない」「料理と酒がセットになっていない」というのが、このマンガが(おそらくドラマも)ヒットした理由のひとつな気もしてきた。そういえば、『孤独のグルメ』の井之頭五郎も、飲めない人ですよね。

 

  ちなみに、料理をする者として読むと、このマンガの画期的なポイントのひとつが、「めんつゆや顆粒だしを躊躇なく使う」ということだったんだけど、作者のよしながふみ、こだわりを持ってそう描いているようです。

  ネットで見つけたこのインタビューに、そういう話が出てきます。とてもいいインタビューです。https://book.asahi.com/article/12260452