兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

クリープハイプ尾崎世界観のトライアル、“歌い升席”について考える

  2019年10月10日に行われる、新木場スタジオコーストでのクリープハイプのライブに、“歌い升席”が設けられる。

  尾崎世界観が火曜放送のパーソナリティを務めるTBSラジオ『ACTION』の中で、「ライブ中にお客さんが客席で歌うのはありかなしか?」ということが議論のテーマとなり、尾崎が「歌ってもいい席を設けてライブをやるのはどうか」と提案したのがきっかけ。番組発のイベントとしてクリープハイプのライブを行い、そこに「歌い升席」を作るという。

  公式発表によると、「昨今のチケット転売問題への防止策をこのライブイベントに向け本気で考えてみる等、番組を通じて『ライブの新しい形』をリスナーのみなさんと一緒に模索していきます」とのことで、歌う歌わないに限らず、ライブにまつわる問題について考えるきっかけになれば、という意志がうかがえる。

  というか、そもそも尾崎世界観がこの番組でやりたいことのひとつが、それであるようだ。音楽ビジネス、バンド、ライブ等に関する、普段なかなか言う機会がない問題意識を発信できる場として、この番組を機能させたい、という。

 「尾崎の野菜嫌いを直すために自分で栽培してみる」という企画や、「ペタジーニを敬遠した上原の涙について」というトークとか、「黒いマスクについて」なんていう話題と同じように、尾崎、「フェスの公式サイトに上がるライブレポってどうなのかな?と思う」ということについて、しゃべったりしているので。

 

  払ったおカネによってサービスが違う、席が良いだけでなくお土産があったり特別なサービスがあったりする、というのは、すっかりめずらしくなくなった。フェスでは海外だけでなく、国内でもサマーソニックやEDMのフェスなどが取り入れているし、単独公演においても行われている。

  特に、洋楽の大物アーティストの来日公演では、もうそれが普通になっている、と言っていい。たとえば、2019年12月3・4日にさいたまスーパーアリーナで行われるU2の来日公演は、60,000円から15,800円まで、チケットが6種類に分かれている。60,000円の席は「専用入場口、特製チケット、バックステージツアー抽選参加券、開演前飲食優先ご案内」という特典付き。「バックステージツアー抽選参加券」が気になります。「抽選」なのよね? 外れるかもしれないのよね? と思う私は、16,800円のA席を第一希望で申し込んで外れ、15,800円のスタンディング後方になりました。

 

  脱線した。戻します。そのような「金額によって細かく客席を分ける」という興行が、主にドームやアリーナ等の大会場で行われるようになった、とするなら、Zeppスタジオコースト等のオールスタンディングのライブハウスで、まだ一般化はしていないが実験的に行われるようになってきたのが、このクリープハイプの“歌い升席”のように「お客の希望によって客席を(もしくは「エリアを」)分ける)という試みなのかも。と、思ったのでした。

  たとえば、オメでたい頭でなによりのライブには、「デリケートゾーン」と名付けられた、柵や紐などで仕切られたスペースがフロアに設けられている。騒がずにゆっくり観たい方や、オールスタンディングのライブが初めてなので不安な方は、そこで観てください、という。

  Perfumeが大会場でのライブの時に、スタンディングフロアの中に、女性や子供を対象とした専用エリアを設けているのも、同じ理由だろう。オールスタンディングに不慣れな人、モッシュがイヤな人、というだけでなく、そのエリア内なら子供もいられるとか、背の低い女性でも観やすいとか、痴漢の心配がないとか。

 “歌い升席”も、そういうのと同じ……というふうに、話を進めようと思っていたのだが、ここまで書いて気がついた。

  違うわ。そのもうひとつ先の問題だわ、これ。

 

 「デリケートゾーン」や「女性子供エリア」は、映画の「絶叫上映」や「応援上映」と同じだと言える。絶叫したい人は来てね=それ以外の人は来ないでね、暴れたくない人は入ってね=それ以外の人は入らないでね、というふうに、はっきり分かれているので。

  しかし、「“歌い升席”ありライブ」は違う。“歌い升席”の人は思う存分歌っていい、ということは、それ以外の人は思う存分歌っちゃダメ、ということだからだ。

  うわあ。軽い気持ちで書き始めたが、これ、考えれば考えるほど、めんどくさい。それこそ、ロッキング・オンのフェスが、物議を醸しながらそれでも貫いている、「モッシュ・ダイブ等の危険行為をした人は退場」という施策以上に難しいのではないか。

  だって、ロッキング・オンのフェスのそのルールは、「実際にお客さんの身体に障害が残るほどの事故が起きた、二度とこんな事態を起こしてはならないと決めた、だからこうするしかなかった」という、真剣にこの問題に向き合ったがゆえのエクスキューズがあるが、「歌っていいかダメか」という問題には、そんな大義名分、ないし。で、「歌うな、うるさい」という人の希望をかなえることは、「大好きなアーティストと一緒に歌いたい」という人の希望を奪うことなわけだし。

 

  というふうに、とても難しいからこそ、自分の番組で、平場で議論した上で、実際に“歌い升席”を設けてライブを行うことにしたのだと思う、尾崎は。つまり、「みんなの問題」として、考えてもらおうとしたのだと思う。

  知らねえよ、そんな個々の事情に沿ってルールなんか作りたくねえよ、自由じゃなさすぎるじゃん、というふうにケツをまくってもいいのに。と、僕などは無責任に思ったりするが、逆に言うと、そうも言っていられないくらい、尾崎の耳にそういう声が届いているのかもしれない。

  だからといって、「絶叫上映」のように、「全員歌ってOK」あるいは「全員歌っちゃダメ」というライブにすると、相反する希望がぶつかる場所にならない。そうなる場所じゃないと、問題の解決へ向かって何かが進んでいく可能性はない。じゃあ自分たちのライブでやるしかないな、ということなのだと思う。

 

  ちなみに6月25日の放送では、チケットの転売問題についても、ぴあの方を呼んで、じっくり話を訊いていた。

  あと、海外でライブを楽しんでいる人からの、「『おまえは客だから歌うなよ』なんて言ってるのは日本だけ、海外はみんな自由」という投稿も、取り上げられていた。

  それから、「仕事で途中からしか来れない人の席や、遠くから来て途中で帰らなきゃいけない人の席も設けてほしい」という声も届いていた。ここまでくるとさすがに「知らんがな!」と言ってもいいと思ったが、尾崎、「コール&レスポンスとかいいかもしれませんね。『途中で!』『帰ります!』って。途中で帰るのって普通テンション下がるから」と、楽しげに応じていた。

  タフだなあ。頭が下がる思いです。

 

  ちなみに、その翌週の7月2日放送では、「母親のために、50代以上専用席を設けてほしい」というメールも読まれていた。尾崎は肯定的に応じていたけど、「いらんわ!」と思いました、今年51歳としては。

  まあでも、年に180本以上ライブに行く、そのうちのかなりの数がスタンディングである今年51歳は、例外なんだろうな。という自覚もありますが。

サウナ大ブーム前夜に希望すること

  これを書いている2019年7月1日時点ではまだ放送は始まっていないが(7月19日からです)、テレビ東京系のドラマ『サ道』をきっかけに、全国的にサウナブームが爆発する兆しがある。と思う。

  たとえば、人気サイト『SAUNA TIME』では、6月8日スタートで『サ道』出演者のインタビューがアップされていく、などの展開が始まっている。もうひとつたとえば、名古屋に3店舗、福岡に1店舗を構えるウェルビーの公式サイトのトップページには、とっくにドラマ『サ道』のバナーが貼られている。さらにたとえば、新橋のサウナアスティルの店内には、『SAUNA TIME』と『サ道』のコラボ宣伝ステッカーが見受けられる。などなど。

  って、「サウナブームなんてとっくに来てるじゃん」と言われそうだ。もちろんそうです。だって、俺がハマってるんだから。そもそも僕は、「世の中的にはまだ流行ってない、俺は先んじて好きになった」みたいな、感度の鋭い人間ではない。なのでいつも、「俺がハマってるくらいだから、世の中的に流行ってるんだな、これは」というふうに考えることにしている。

  過去の実例、ジョギングやジム通いなどを鑑みても、そうだったし。知人のライブ制作会社社長……って自分で本名でブログにも書いているから隠さなくてもいいか、ビンテージロックの若林さんの影響でエニタイムフィットネスに入会した翌日、TBSラジオ深夜の馬鹿力』で、伊集院光がエニタイムフィットネスに入った話をした時は、「ビンゴ!」と思いました。何がビンゴだ。

 

  ともあれ。サウナ、この先、ドラマ『サ道』とそれにまつわるキャンペーンによって、すでに充分流行っている今以上に「流行っている」状態が訪れることが、予測される。

  サウナ業界が活気づくのはいいことだ、という肯定的な思いもあるけど、「これ以上混むとしんどいなあ」という気持ちも、正直言ってある。各地のサウナ付きカプセルホテルの週末の予約の取りにくさ、どんどん加速しているので。まあ、サウナブーム以上に、海外からの観光客の増加で普通のホテルが埋まっているから、という理由も大きい気もするが。

  でもほんと、名古屋のウェルビー3店舗も、大阪の大東洋も、週末の深夜は、休憩スペースやネットスペースの床まで人がゴロゴロ寝ている、通路をふさいで横たわっている人までいて、「野戦病院かここ?」みたいな具合になっている。2年くらい前まではなかった状況です。

 

  じゃあどうしろっていうのよ。というあなたに訴えかけたい。

  サウナ付きの銭湯に行きません? と。

  それでなくても混んでいる、充分に人気のあるサウナよりも、サウナのある銭湯に行って、そこの経営を支える力になる方が意味ありません? という。そういう個人経営の銭湯、どんどん消えていっているので。うちの最寄りの銭湯もとうにつぶれて、その跡にはマンションが建った。

  そりゃあ「うわ、ボロいし汚い、こりゃダメだ」みたいな、やる気のない銭湯はしょうがないが、古くとも清潔でちゃんとしていて使い心地のいい、でもそこまで流行っていない銭湯も、いくつもある。そういうところを探しませんか? というですね。

  で、いい銭湯であることがちゃんと浸透していて、賑わっていたとしても、後継者の問題が深刻だったりもする。

  僕の中で「古くとも清潔でちゃんとしていて使い心地のいい」、だから愛される銭湯の代表、西太子堂の八幡湯は、「毎週土曜と第一・第三金曜が休み」だったのが、最近「毎週金土休」になった。そのことを告げる貼り紙には「寄る年波には勝てません」と書かれていた。

  どうでしょう。心配でしょう、それは。だったら、今以上に賑わうことで、「俺が継ごうかな」みたいな人が、出てくるかもしれないじゃないですか。八幡湯の都合も知らずに勝手なことを言っていますが。

 

  あと、これは僕個人の話だが、地方に行った時は別として、普段自宅にいる時の感覚としては、「サウナはぜいたく」というのがある。銭湯付きのサウナなら、都内均一の銭湯料金=460円にプラスサウナ代、安いところだと「鶯谷の荻の湯の平日120円・土祝170円、ただしタオルは付かない」くらい、高いところだと「表参道の清水湯、プラス640円で1,000円、タオル付き」くらいまであるが、だいたいその幅の金額で、サウナと水風呂を味わえる。平均すると750円か760円でタオル付き、くらいです、僕の行く銭湯の場合。

  一方、たとえば笹塚の人気サウナ、マルシンスパだと、「スマホで購入お得な前売りチケット」で、1,500円(平日120分)から。サウナってそれくらいの価格帯が基本で、底値は、僕が都内で行ったことのある範囲では、上野の北欧のクイックサウナ(10:00~23:00の間で3時間1,000円)と、歌舞伎町のメンズサウナこり・こりの60分コース(10:00~15:00で1,000円)くらいだ。赤坂のサウナリゾートオリエンタルも、ちょっと前までスマホで前売り券を買えば60分1,000円だったが、最近90分1,300円に変わった。

  休憩スペースでゴロゴロしたい、というなら別だけど、そうじゃないお忙しい方にとっては、銭湯の方がお得でしょ?

  ああもう本当に貧乏くせえ、俺。と、書いていてつくづく思うが。いや、僕をサウナ好きにした松尾スズキさん(のメルマガを読んで影響されたのです)や、知人の週刊SPA! のT副編集長みたいな高収入な方はいいですが、こっちは実質、「個人事業主の届けを出しているフリーター」だし。マジでその日暮らしだし。LOST IN TIME海北大輔が、マルシンスパに行ったとツイートしているのを見るたびに「いい身分だなあ海北てめえ!」とジェラシーを覚えるくらいだし。

  貧乏くさい話ついでに、昨年暮に改装してリニューアルオープンし、めっちゃきれいでおしゃれになった、恵比寿と渋谷の間にある改良湯。改装前は、サウナ代を足しても710円(タオル付き)という、この近辺の平均よりも安価な設定だったが、改装後は100円上がって810円になった。あと、中目黒の超人気銭湯、光明泉。ここも、サウナ代を足して660円(タオル付き)という破格の安さだったのが、ちょっと前に760円に上がった。

  どちらにも「ああ……」と思ったが、でも、どちらも、妥当だと思います。

 

  あとひとつ思うこと。女性用サウナ、もっと普通にいっぱいあるべきではないか。男女平等に、とかいう以前に、単に、商売として当たると思うのですが。

  あともうひとつ。「交通と宿泊は自分で手配して、あとで経費として請求してください」という出張仕事の時は、サウナに入りたいがゆえに必ずカプセルホテルに泊まることにしているのだが、先日久しぶりに会った某アーティストのマネージャーが、「僕もなんです。いつもメンバーをホテルまで送り届けてから、ひとりでカプセルサウナに泊まります」とおっしゃっていて、安心しました。

真心ブラザーズ「うみ」の歌詞が元に戻った

  2019年6月16日、真心ブラザーズの弾き語りツアー『東海道中歌栗毛2019』のファイナル、ヒューリックホール東京。

  レーベル配信のニュースレポのご依頼をいただいて、行って、書きました。

  あちこちのウェブサイトにアップされています。これはSPICEにアップされたものです。https://spice.eplus.jp/articles/242272

 

  で。そのレポの中でも触れている、ちょっとびっくりしたこと。

  デビューシングルの「うみ」を、アンコールでやったんだけど、1回目のBメロをYO-KINGは、

「君は僕の腕をつかんで 早くおいでよと言わんばかりに先を行くのさ」

  と、歌ったのだ。

 

  以前、このブログにも書いたが(こちらです http://shinjihyogo.hateblo.jp/entry/2017/01/10/202422 )、いつからかYO-KINGはこのラインを、

「君は僕の前を歩いて 早くおいでよと言わんばかりに先を行くのさ」

  と歌うようになった。数年前、いや、下手すると10年くらい前からかもしれない。

 「どか~ん」の「どか~んと景気よくやってみようよ」を、全部「どか~んと一発やってみようよ」に揃えて歌うようになったのは、まだなんとなく理由がわかるが(5文字より4文字の方がメロのハマりがいいとか)、こっちは謎だ。だって、「前を歩いて」だと、「先を行くのさ」と意味的にかぶっちゃってるじゃないですか。それに「腕をつかんで」の方が、彼女の急ぐ感じが、よく出てるじゃないですか。

  という僕の思いなどもちろん関係なく、YO-KINGは「前を歩いて」と歌い続けてきたわけだが、それが突然「腕をつかんで」に戻ったのだ。

 

  うわ! びっくり! でもよかった、だってやっぱり「腕をつかんで」の方がいいじゃんね、でもなんで今になって戻したんだろう、あ、そうだ、デビュー30周年セルフカバー・ベスト・アルバム『トランタン』をレコーディングしたから、って9月4日発売だから、もうレコーディング終わってるのかどうかは知らないけど、とにかく、そういうタイミングを機に戻したのかな。あのファン投票で選ばれた10曲の中に「うみ」も入ってたし。

 

  しかし。終演後の関係者あいさつで、YO-KINGに「『うみ』の歌詞のあそこ、元に戻したんですね!」と言ったところ。

 

「え? 何が?」

  は? 「何が?」って! だってほら、「腕をつかんで」って戻してたじゃないですか、ずっと「前を歩いて」って歌ってたのに。ねえ桜井さん!

「そうなの? 気がつかなかった」

 

  と、おふたりともまったく無意識だったのでした。下手したら、今回歌詞を戻したことに無意識だったのを超えて、ずっと「前を歩いて」と歌っていたことすら無意識だったのかも、くらいの感じで。なんなん?

 

  で。そのように歌詞が戻っていたことをツイートしたら、ライブを観ていて同じことに気がついた方が、(カンペの)歌詞を見ながら歌ったからそうなったのではないか、という、鋭い考察をツイートしておられて、「そうかもしれない」と、納得しました。なるほど。

  でも、こうなったらもう、『トランタン』を聴いたら「前を歩いて」と歌っていて、「本当になんなん!?」とさらに混乱させてほしいです。いっそのこと。

「思ったこと」と「伝えるべきこと」の間

  NGT48加藤美南のインスタSTORY誤爆で研究生に格下げ&NGT全メンバーのSNSが停止させられた事件。山口真帆の卒業公演を伝えるテレビ画面の写真に「せっかくネイルしてるのに チャンネル変えてほしい」と書いてアップしてしまった、あれです。「友達だけに公開しようと自分の心境をストーリーに述べたのですが、間違えて全ての人に公開してしまいました」「親しい友達にしか見せないとはいえ、人の気持ちを考えていない投稿でした」と、本人が謝罪したやつ。

  NGTとかAKSとかに関して、というかそもそもアイドルというものに関して、僕はまったく詳しくないので、それについて何かを書いたり言ったりすることは普段ないんだけど、それでもこの件に関しては、ちょっと考えてしまった。

  何を。「自分が思ったこと」イコール「誰かに伝えるべきこと」というふうに、人間の感情を改造してしまうSNSって、恐ろしいなあ。ということを、です。

 

  まず、ネイルしていて、自分の視界に入る位置にあるテレビで、自分は観たくない内容のものが放送されていて(なんで観たくないのかとか、そもそもこの事件はどういうものなのかとかについては、ここでは置いておきます)、「せっかくネイルしてるのにチャンネル変えてほしい」と思うのは、その人の自由だ。というか、止められない、人が思うことなので。僕はワイドショーの類いを観るのがとにかく苦痛で、サウナのテレビでそういう番組をやっていると、「せっかくサウナ入ってるのにチャンネル変えてほしい」と思うし。

  ただし。だとしても、「思ったこと」と「誰かに伝えるべきこと」の間に、本来ならフィルターがかかるものじゃないですか。「これはわざわざ人に伝えるべきことなのか?」「人に伝えるだけの意味があることなのか?」「人に伝えると何かいいことがあるのか?」という。

  それを取っぱらって「思ったこと」イコール「誰かに伝えるべきこと」にしたのはSNSだ、発信の容易さが人をそのようにマインドコントロールしてしまったのだ、という話です。その結果、「誰かに伝えることが喜び」というのを越えて、「誰にも伝えないことがストレス」と化しているのではないか、と。

  さっきの僕のたとえで言うと、サウナのテレビでAVが流れていたら「おい!」ってなりますよね。というのは、ネタになるから、ツイートして人様にお知らせする意味があると思うが、ワイドショーが流れているのは普通なことだから、自分はイヤだけど、わざわざ人に伝えてもなあ、ってなるじゃないですか。

  あ、これ、「不特定多数に」って話じゃないですよ? 彼女が「せっかくネイルしてるのにチャンネル変えてほしい」と伝えたかった「親しい友達」に対してもですよ?

 「間違えて全ての人に公開してしまいました」という以前に、限られた人だろうが、全ての人だろうが、今自分が覚えたこの感情、伝える必要があるもの? という。そこで「あったんです! 絶対に伝えたかったんです!」というのなら、まだいい。「伝えたいとか伝えなくていいとか考えなかった、伝えないと気持ち悪いという感覚が身体化しているから」だったとしたら、怖いなあと思うのだ。

 

  という話でした。

  難しい問題ですが。そもそもSNS全般がそういう「わざわざ伝えなくていいことを伝えてもいいツール」だからこそ、ここまで爆発的に広がったのだとも言えるし。

  言い換えると、そんな、これまでだったらエンタテインメント性ゼロと思われていた、人に伝える意味のない、「だからどうした」みたいなこと──「東京行きののぞみなう」とか「天下一品池尻店なう」みたいなことも、読んだり写真を見たりすると、それなりにおもしろかったりする、という発見が、SNSだったわけなので。

 

  僕のツイッターの使い方は偏っていて、そういう「天下一品池尻店なう」みたいなことは、一切書かない。人のそういうのを見ても何もカンに障らないし、おもしろかったりもするにもかかわらず、自分はやらない。自分の仕事や趣味に関わる、音楽やテレビや本などにまつわることと、日常生活の中で「あ、これネタになる」と思ったことしかツイートしない。

  たとえば旅行に行っても、それが音楽とかに関係ない限りは書かない。過去、南の島の青い海の写真とかをアップしたことがあるのは、そこにフラワーカンパニーズの4人が写っていた時だけだ。

  なんで? と、ちゃんと考えたこともなかったんだけど、今わかりました。ここまで書いたような理由だったのか。

『きのう何食べた?』を熱心に観ている

※「うちの地方では『きのう何食べた?』は金曜深夜の放送ではない」という方で、テレビで観るまでストーリーを知りたくない、という方は、読まないことをおすすめします。

 

  2019年4月から始まったテレビドラマ『きのう何食べた?』。テレビ東京金曜深夜の『ドラマ24』というこの枠、『湯けむりスナイパー』『モテキ』『まほろ駅前番外地』『リバーズエッジ 大川端探偵社』といった一連の大根仁演出ドラマや、『孤独のグルメ』シリーズや、ひとつ前(2019年3月までのクール)の『フルーツ宅配便』(監督が白石和彌沖田修一松尾スズキが出ていた)など、いいドラマが多くて、もともとよく観ている。

  特に今回は「単行本が出た瞬間に買うほど原作を好きだったので観た」というパターンだった。『モテキ』はドラマで知ってマンガを読んだし、『孤独のグルメ』は、読んではいたけど全巻揃えるほどではなかったし。

 

  このマンガがドラマになることが発表になった時の、「シロさんとケンジ、それぞれはいいけど年齢が逆! 西島秀俊よりも内野聖陽の方が歳上じゃん!」という違和感が、一回目の放送で「あ、気にならないわ」って消えたせいか、毎回とても楽しく観れている。

 「山本耕史の小日向さんはもっといかつい見た目の人の方が……」とか、「佳代子さん、田中美佐子じゃ若くてきれいすぎない?」とか、「マキタスポーツの店長もいいんだけど、ドラマになるって知った時はレキシ池ちゃんだ! と思ったんだよなあ」(アフロなせいですね)とか、ポイントポイントで「ここの芝居大げさじゃない?」とか、そんなふうに、観ながら勝手なことを思ったりすることが、ないわけではない。

  が、それ以上に、「シロさんの両親、志賀廣太郎梶芽衣子もなんてバッチリなんだ」とか、「スーパー中村屋の店員の唯野未歩子、よく見つけたなこんなドンピシャな人!」とか、そういう喜びの方が上回っている。

  特に、ジルベール磯村勇斗。えっ、ダメでしょ。ジルベールって会ってみたら「どこがジルベールじゃ! 美少年じゃないじゃん!」って人なのに、磯村勇斗じゃ「ほんとだ、ジルベールだ」ってなっちゃうでしょ。と思ったが、第6話の初登場シーンを観てびっくりした。ちゃんと「どこがジルベールじゃ!」な感じになっていて。「これ磯村勇斗?」と目を疑いました。スタイリングやヘアメイクもあるけど、表情なんかの芝居も理想的なんだと思う。普通に「30歳になったばっか」に見えたし(実際は26歳)。

 

  あと、基本的に、原作に忠実にドラマ化されているんだけど、もちろんちょこちょこ変えている部分もある。その変え方が、観ていてカンに触らない、いい温度なので、変えた理由を考えながら観るのも楽しい。

  たとえば、第6話(基本的に3巻の「#20」と5巻の「#36」のミックス)だと、

 

司法修習生の女の子を押し付けられることを拒んだシロさんが、「40過ぎの独身男と若い女の子を一緒にして、もし何かあったらどうするんですか!?」と所長に言うが「もしそうなったら責任取って結婚すればいいじゃない♡」と返される、というやり取りが、ドラマでは別の会話に置き換えられていた。

 

・その司法修習生が転んで、助け起こそうとしたシロさんが腕をつかんで「ポッ」となるシーン、原作にはない。

 

・その司法修習生を連れて面会する医療ミス裁判の原告の男、原作では亡くなったのは奥さんだけど、ドラマでは80歳の母親。

 

ジルベールが着ているTシャツ、原作では「ぞう」だけどドラマでは「針ネズミ」。

 

・「鶏の水炊き」の手羽先、ドラマでは閉店間際の中村屋でそれしか残ってなくて、高くて躊躇するがそこに半額シールを貼られる、というシーンになっていたが、原作では家の冷蔵庫に残っていたのがそれしかなかった。

 

  こうして挙げてみると、けっこう変えられていますね。これ以外にもいろいろあります。にもかかわらず、観ていて「基本的に原作に忠実」と感じさせるところも、「なんでだろう」と考えるのが楽しいポイントですね。

  というわけで、とても楽しく観ているんだけど、観るたびに……いや、原作を読んでいる時から、いつも「そうなんだなあ」と思うことがひとつある。

 

  シロさんちって晩酌しないのね。

 

  ほぼ毎晩きちんと家で料理して夕食をとるのに、ごはんとおかずと副菜と汁物で、お酒は出てこないんですよね。

  ふたりとも飲めないわけではない。外に飲みに行く日もあるし、家で飲む日もあるし、休みの日に昼からビールを開ける回もあった。だけど、あくまで「時々飲む」レベルで、家で毎日飲む、ということはない。

  僕はけっこう料理する方だが、夕食に関しては「せっかく何か作るなら飲まなきゃ損」という考え方なので、飲む前提で料理する。今年から週に二回飲まない日を作るようにしたのだが、その日の晩飯は、外で雑にすませることが多い。

 

  だからどうした。いや、俺とは違うなあ、というだけなんですが。

  ただ、この「主人公が基本的に飲まない」「料理と酒がセットになっていない」というのが、このマンガが(おそらくドラマも)ヒットした理由のひとつな気もしてきた。そういえば、『孤独のグルメ』の井之頭五郎も、飲めない人ですよね。

 

  ちなみに、料理をする者として読むと、このマンガの画期的なポイントのひとつが、「めんつゆや顆粒だしを躊躇なく使う」ということだったんだけど、作者のよしながふみ、こだわりを持ってそう描いているようです。

  ネットで見つけたこのインタビューに、そういう話が出てきます。とてもいいインタビューです。https://book.asahi.com/article/12260452

「メガホンを取る」と「お茶の間」

  文章を書く時に、使うのをNGにしている言葉がいくつかあるのだが、その中で「便利なので使いたくなる、だから特に気をつける」という1位と2位が、僕の場合、「メガホンを取る」と「お茶の間」だ。

  映画を監督することを「メガホンを取る」。電話をかけることを「ダイヤルを回す」と言うのと同じくらい違和感がある。形骸化している言葉、現代の実態に合わなくなっている言葉を、使うのがイヤなのだと思う。

 「お茶の間」の方は、特にミュージシャンとか音楽ライターとかが「お茶の間まで届くような音楽」みたいな感じでよく使う。こっちに対する違和感は、「メガホンを取る」ほどは強くない。「今の家庭にお茶の間なんてねえよ」ということはない、と思うので。「家族みんなでテレビ観ねえよ、各自がワンセグで好きな番組観てるよ」とも言えるが、そうであったとしても、全員が食卓につける数の席があって、テレビを観ながらみんなで食事をすることが可能(するかしないかは別にしても)、という家庭の方が多いと思うので。

  だから、「お茶の間」という言葉自体に、抵抗があるのだと思う。「囲炉裏端」というのと変わらない感じがして。辞書を引くと、「茶の間:住宅の中の、家族が食事をしたり談笑したりする部屋」と書いてあるので、全然間違ってはいないんだけど。でもなんかイヤ。

 

  という、ごくごく個人的な感じ方の話です。「そう思う俺が正しい」というつもりはありません。ただ、「メガホンを取る」の方は、フリーのライターになりたての頃に、イヤだなと迷いつつも便利さに負けて使ったら、クライアントに「そういうのやめてください」とずばりと指摘され、ものすごく恥ずかしかったし後悔した。ということがあったので、それ以来、いっそう頑なに使わないようになったのだった。

 

  あと、インタビューやレビューや尾崎の小説の書評なんかで、クリープハイプに触ることがあるライターが「世界観」という言葉を使っていると「おいおい」と思う。なんか意味ありげで、使いやすくて、でもなんのことを指しているのかがふんわりとぼやけている、だからむしろ使いやすい、そんなこの言葉を安易に用いる人への皮肉として、尾崎は自分の芸名にしたわけでしょ。それ、尾崎に読まれたら恥ずかしくない? と、不思議に思う。

 

  というほどイヤではないし、本当になんにも間違っていないんだけど、「曲を流す」というのも、なんか避けてしまう。曲は「かける」ものであって「流す」ものではない、というか。いや、「流す」ものでもあるんだろうけど。特に(最近やってないけど)DJで、「兵庫さん、あの曲流してましたよね」とか言われると、「流してません! かけたんです!」と訂正したくなる。いや、だから、間違ってないんだけど。

 

  あともうひとつ。最近気になるのが、テレビ番組で食い物を紹介する時に、とても高い頻度で使われる、「愛情をこめて」とか「愛情がこもった」というやつ。「おかみさんの愛情がたっぷりこもった定食」みたいな使われ方ですね。

  愛情って、具体的な相手に向けてこめられるものですよね。だから、たとえば、お母さんやお父さんが子供のお弁当にこめるのはわかる。定食屋のおかみさんがいつも来てくれる常連さんに対してこめるのもわかるし、近所の××大学の学生たちが代替わりしながら長年通い続けてくれる、だからそこの学生たちに対してこめる、というのもわかる。

  でもこの「愛情のこもった」という言い方って、たとえば連日大行列のお菓子屋さんみたいに、お客さんの名前も顔も把握しきれない、みたいな店の時にも平気で使われる、テレビを観ていると。

  見知らぬ不特定多数に向けてこめる愛情って何? 「客」という概念への愛情なの? それ「人類愛」とか「地球愛」とかと同じようなこと? 食い物を作って売る際にこめるのがそれなの? というのが、とてもとても疑問なのだった。

  はい。書いてみてよくわかりました。ただの言いがかりですね、これ。

 

  あともうひとつ、ここまで書いて気がついた、「そんなこと言うんだったら」と言われてもしかたないこと。

  僕がツイッターのアイコン等に使っている、河井克夫さんが描いてくださった自分の似顔絵イラスト、エンピツ持ってるんですね。ライターだから。

  「おまえ今でもエンピツで書いてんのかよ」と言われたら、「書いてないです、すみません」と、謝るしかありません。

そのへんで見かける有名人

  某バンドマンにきいた話。

 「○○(バンド名)の××(彼の名前)、笹塚駅で見かけた。家、このへんなのかな」

  などとツイートしてミュージシャンのプライバシーを暴いてしまう困った人は、だいたいにおいてファンではないという。ファンはそのへん気を遣ってくれるから見かけたとしても書かない、自分のことを知っているけど自分のファンではないロック好き、ぐらいの人が、気軽に書いちゃうのだという。

  なるほど、と、とても納得した。ミュージシャンに限らず、芸人さんでも俳優でも誰でもそうですが、みなさんやめましょうね、そういうふうに書いたりするのは。と言いたいが。

  困ったことに、「書きたい!」という側の気持ちも、すごくわかるのだった。特に東京に住んでいると。なんで。だってしょっちゅういるんだもん、そのへんに。

  僕は18歳まで広島にいて、大学で京都に4年住んで、就職してから現在までの28年ずっと東京にいるのだが、いまだにその「そこらへんを有名人がウロウロしている」という状態に、慣れることができない。いちいち「うわ!」ってなる。だからネタにしたくなる。ただ、場所が渋谷とか新宿なら、書いてもそんなに差し障りないと思うが、そのあたりに住んでいると推測される場所だったら、書くのはなしだと思うのでがまんする。学芸大学とか、桜新町とか。下北沢はセーフ、梅ヶ丘だったらダメ、くらいの感じだろうか。同じ理由で、特定の店に通っている、というのをばらすのもアウトにしている。

 

  でも本当は書きたい。という衝動に、コラムとかのネタに詰まった時に、よくかられる。ジョギングしていると毎朝のようにすれ違う、仲良く犬を散歩させている某芸人とその奥さんとか。よく行く銭湯で時々出くわす某ミュージシャンとか。このミュージシャン、昔一度インタビューしたきりで、幸い向こうは僕の顔を覚えていないが、サウナでふたりきりになった時は、それでも気まずかった。

  多くのミュージシャンが通っていて、その関係で僕も何度か行ったことがある下北沢の某飲み屋は、ミュージシャン以上に役者がいて、毎回「うわ、××がいる!」「ああっ、○○が入って来た!」ってなる。

  時々行く渋谷の居酒屋は、映画関係の人が多くて、三回に二回は某有名監督がカウンターで飲んでいるし、それ以外の人もいろいろ見かける。とても有名な某俳優の親子がカウンターにいて、気づかないフリで知人と飲んでいたら、向こう(親の方)から「ねえ、おにいさん」と話しかけてきて、「うわ、これは気づいている前提で答えた方がいいのかしら? 気づかないフリの方がいいのかしら?」と、とてもうろたえたものです。

 

  ああ、ネタにしたい。でも自粛。という毎日だが、数年前、「これはネタにされても、本人も自分のせいだと思うだろう」と判断し、書いてしまったやつもある。

  ジョギングしていたら、向かいから武田鉄矢が、両手にハンガーを持って、ぐるぐる振り回しながら歩いて来たのだ。

  びっくりした。武田鉄矢である、ということ以上に、『刑事物語』そのままのハンガーヌンチャクであったことに。しかも一回ではない。その後、何度もすれ違った、「ハンガーあり」で。彼は行き交う人たちと、笑顔で言葉を交わしている。僕も一度目が合ったが、にこやかに会釈をされた。

  なんで今またハンガーなんだろう。っていうかこれ、もうフリじゃない? 「さあネタにしたまえ」って話じゃない? うーん、でもウェブだとちょっとあれかも、じゃあ紙ならいいか。と思って、kaminogeの連載コラムで、ネタにさせていただいた。

  で、書いたと思ったらばったり見かけなくなった数日後、「ステージナタリー」でその理由を知ることになる。武田鉄矢、福岡博多座の芝居で、29年ぶりにハンガー・アクションをやることになったので、毎朝のウォーキングの時に振り回して、感覚を取り戻していたのだという。で、本番が近づいて福岡に行ったから、見かけなくなったのだった。

  その囲み取材の記事によると「ハンガーのせいで仲良しだった犬が全然寄ってこなくなった」とのこと。「いつもすれ違うおっさんライターが驚いていた」とも言ってほしかった。言わねえよ。

 

  それから。これも数年前、そしてこれも朝のジョギングの時。やけに派手なTシャツを着たスリムなおっさんが走って来る。あ、あれ、FM802のTシャツだ。じゃあ、関西人なのかな。それか、業界人なのかな。

  と思っていたら、「兵庫くん!」と声をかけて来た。関西人で業界人だった。ウルフルケイスケさんでした。

  これもすぐkaminogeでネタにした。ケーヤン、走るたびに「今日は駒沢方面へ、7キロ」みたいに、場所も含めて自らツイートしているので、書いても問題なかろう、という判断でした。なお、ケーヤン、最近はほぼ一年中ひとりで全国を回っておられるせいか、全然出くわさなくなりました。