兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

フラカンと田島貴男が同じステージに立った日、に思ったこと

   2018年4月21日土曜日、新宿ロフト。『シリーズ・人間の爆発』で、フラワーカンパニーズ田島貴男と共演した。同イベントはフラワーカンパニーズが続けている対バン企画で、田島貴男は全国ツアーやライブ作品リリースするなど精力的に活動している『ひとりソウルショウ』でのステージ。

  この日のMCで鈴木圭介も改めて説明していたが、きっかけは1年前、2017年3月1日のTHE COLLECTORS日本武道館で、圭介と田島が隣の席だったことだそうだ。それまで長きにわたり接点はなかったが、ORIGINAL LOVEのファースト・アルバムに衝撃を受け、それ以来好きだったという圭介が挨拶し、田島が「フラカン? あ、『深夜高速』の? あの曲ヤバいよねえ!」と絶賛、メアドを交換したところから交流が始まって、このゲスト出演が実現したという。

 

  今の田島貴男のライブはヤバい、特に『ひとりソウルショウ』がえらいことになっている、というのは、ファンはもちろん彼の仲間のミュージシャンたちの間でも知れわたっているが、「まさに!」な、もう圧倒的としか言いようのないパフォーマンスだった、この日も。

  「接吻 kiss」「朝日のあたる道」「夜をぶっとばせ」「JUMPIN’ JACK JIVE」など自身の代表曲を連発、この日の2日後に配信リリースされた新曲「HAPPY BIRTHDAY SONG」もプレイ、さらにフラカンの「深夜高速」のカバーも披露。

  初めて観るわけではない僕でもビビったので、初見のフラカンファンはもう度肝を抜かれたと思う。田島貴男がキックとギターのボディを叩いて作るビートに合わせて、曲の頭で客席から手拍子が起こるが、歌が入るとそれがだんだん止まってしまう、でも曲が終わるとドーッと拍手&歓声。つまり「盛り上がらなくて手拍子止まる」のではなくて「あまりのすごさに見入っちゃって手拍子するの忘れる」みたいな空気だった、終始。

 

  そんな田島貴男の大熱演を受けての、フラワーカンパニーズ鈴木圭介の、最初のMCでの発言。

  「27年前の自分に言いたい。続けろ! 続ければ田島貴男がおまえの曲を歌ってくれる日が来るぞ!」

  ORIGINAL LOVEのファースト・アルバム、リリース当時、聴いて衝撃を受けたという。で、自分の携帯のメアドをそのファースト・アルバム収録の曲名から付けていて、なのでメアド交換の時、恥ずかしかったという。

  フラカンORIGINAL LOVEをカバー、曲はそのファーストから「LOVE SONG」(メアドにした曲はこれではないそうです)。演奏が終わってグレートマエカワ、当時、圭介とミスター小西が「すごいのが出て来た、これ聴いて!」と機材車の中でORIGINAL LOVEのファーストをかけていたのを思い出す、という話をした。

 

  そしてアンコールでは、フラカン田島貴男が加わって「真冬の盆踊り」をやる、というサプライズもあり。楽しそうにテンション高くはっちゃける、ステージ上の5人とステージ下の満員のお客さんたちを観ながら、さっきの圭介の「27年前の自分に言いたい。続けろ!」を思い出し、なんだか勝手に感慨深い気持ちになってしまった。確かに、こうして一緒に曲をやる日が来るとは思ってもみなかったよなあ、と。

 

  フラワーカンパニーズがデビューした1995年は、渋谷系全盛期だった。で、ORIGINAL LOVEは、そのトップを走る存在だった。って、ご本人的にはそう扱われることに対して、当時はいろいろ思うところはあっただろうけど、引いた視点で見たらそうだったのは事実だと思う。

  しかもORIGINAL LOVEは、その、当時の渋谷系の人気ミュージシャンたちの中でも、実力と人気が伴っているという意味でも、セールスと評価が両立しているという意味でも、かっこよくてオシャレでイメージがとてもいいという意味でも、一部のとんがった音楽ファンだけでなく一般層まで人気が広まっているという意味でも、突出した存在だった、と言っていいと思う。

  その、渋谷系とは一切関係ない、ライブハウス・シーンから這い上がって来てデビューした、コテコテに泥くさいバンドがフラワーカンパニーズだったわけです。

  彼らもまさか渋谷系に混じりたいとかは思ってなかっただろうし、そもそもそのへんのアーティストたちを好きだという話も当時きいたことなかったが、圭介にとっての唯一の例外がORIGINAL LOVEだったんだなあ、と。たぶん、歌がバケモン並みにうまいのと、ブルース・フィーリングの色濃いところが、圭介の好みにはまったんだと思う。

  でも、好きで聴いてはいたけど、そんな状況だったので当時は接点ができることなどなかったし、その後の長い活動の中でも、どこでもリンクせずに来たのが、まさか今になって共演できる日が来るとは。

  ということで、前述の圭介の言葉が出たんだろうし、観ている俺も感慨深い気持ちになったんだなあ、という話だったのでした。

 

  昔、別のミュージシャンでも、これに近い感慨を覚えたことがある。

  O.P.KINGだ。2003年、奥田民生YO-KING、はること大木温之佐藤シンイチロウが結成した期間限定バンド。当時YO-KING真心ブラザーズは活動休止中だったし、はるとシンちゃんのTheピーズは前年に活動再開したばかりだった。

  で、これはご本人たちの意識の話ではなくて、僕個人の感じ方なんだけど、1990年頃のバンド・ブーム当時、奥田民生YO-KING&Theピーズって両極にいるなあ、いちばん遠いよなあ、という印象を持っていたのだった。

  「バンド・ブームの寵児」がユニコーンで、「バンド・ブームのはぐれ者」がTheピーズ真心ブラザーズ

  ちゃんとブームにのっかって人気者になってから、そのポジションを活用して好き放題かつ型破りな活動をしつつ、でもその「ブームに求められるもの」にも応えていたユニコーン

  バンド・ブームのまっただ中、アルバム2枚同時発売という当時ありえなかった形でデビューしたと思ったら、その直後にドラムがやめてしばらく活動が止まって、再開したら新メンバーのウガンダはドラムを叩いたことのなかった素人で、それ以降もバンド・ブームに背を向けた、アンチ・メジャーな活動を選んで行ったTheピーズ

  バンド・ブームへのカウンター的なフォーク・デュオというスタイルで現れ、「きいてる奴らがバカだから」とか「龍巻のピー」なんていう、バンド・ブームを皮肉った歌を歌っていた真心ブラザーズ

  どうでしょう。遠い感じがするでしょう。将来一緒にバンドやることになるとは思わないでしょう。ユニコーンと真心は同じ事務所では? と思われるかもしれないが、真心はデビュー当時は事務所なかったし。SMA(当時はまだCSAか)に入ったのは、確かセカンド・アルバム『勝訴』か、サード・アルバム『あさっての方向』の頃なんじゃないかと思う。で、入ったあとも、ロッテンハッツと一緒のイベントに出たりはしていたけど、ユニコーンやOTまわりと接点ができたのは、数年経ってからだし。

  という話を、地球三兄弟の時のインタビューで、OT・YO-KING桜井秀俊にしたら、「べつにそんな遠いとか思ってなかったわ」って言われましたが。

 

  書いていて思い出したけど、今、フラカンBRAHMANと接点あるのも、同じように「遠くにいたのに今は近い」感じ、ありますね。90年代後半のAIR JAM勢と同じ時代に活動していた頃は、まるっきり接点なかったし。というか、そのブームに負けていったバンドだったし。

 

「だからなんだ」と言われると、「いいえなんでもありません」としか答えようのない話なんだけど、ついしみじみしたもんで、なんか書いておこうと思ったのでした。