兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

なぜ下北沢には楽器屋がないんだろう

  東京に住んで25年経つのに、今まで気がついていなかったことがあった。

 

  下北沢って、なんで楽器屋がないんだろう。

 

  6月26日日曜日、下北沢GARDENで黒猫チェルシーを観ている時、ギターの澤竜次はメインの白いストラトのほかにセミアコとテレキャスター、ベースの宮田岳はメインの水色のジャズベースのほかにSGも使っていて、あ、持ち替えた、SGベース使ってる若いミュージシャンめずらしいな、SGベースつうと佐藤研二だよな……とか思っているうちに、「……あれ? そういえば下北、楽器屋、ないよなあ」と、唐突に気がついたのだった。

 

  下北沢、言うまでもなく、ライブハウスはいっぱいある。渋谷、新宿に次ぐ多さ、いや、ヘタしたら新宿よりも多いかもしれない。

  で、リハーサルスタジオやレコーディングスタジオも、いくつもある。なので、楽器を持って歩いているバンドマン、いっぱいいる。

  にもかかわらず。何ゆえに楽器屋はないんだろう。中古楽器店はあるが、渋谷みたいにKEYとイケベとイシバシがひしめき合う、みたいなことにはなっていない。というか、そういう大手楽器店チェーンの類い、ひとつもない。

  試しに「渋谷 楽器店」で検索かけるとばんばんひっかかるのに、「下北沢 楽器店」だと、やはり、中古楽器屋とかしか出てこない。

 

  下北沢、よく「音楽と演劇の街」と言われるが、僕が東京に来た頃は、まだ屋根裏と下北沢ロフトぐらいしかなかったと思う。

  そのちょっとあとにシェルターができ、さらに2~3年後にCLUB Queがオープンした頃から、CLUB 251、ガレージ……と、どんどん増え始めて現在に至る、というような印象がある。

  今、調べてみたら、シェルターは1991年、CLUB 251は1993年、CLUB Queとガレージは1994年のオープンだった。そうか、Queより251の方が早いのか。

  シェルターは、「新宿ロフトが入っているビルが建て替わるからそのつなぎで下北沢にライブハウスを作るらしい」みたいな情報を事前に知っていて、オープン記念イベントシリーズが何日かあった中の1日に、行った記憶があります。ロッテンハッツを観ました。

  最初にCLUB Queに行ったのは、桜井秀俊がやっていたびっくりしたな、もう……で合ってるよな、パイオニアコンボじゃないよな、メンバー3人だったから。当時ROCKIN’ON JAPANで行っていた「下北沢バンド紳士録」という連載コーナーの取材で、Queの楽屋でインタビューさせてもらったんじゃなかったっけ。

  パイオニアコンボの方は、同じ連載の中で、笹塚あたりのファミレスで取材したような気がする。その頃のJAPAN、とうに持っていないので、確認のしようがないのですが。

  ガレージに初めて行ったのは、これは覚えている。デビュー前、なので1994年くらいかな、上京してきたばかりのフラワーカンパニーズだった。当時フラカンは都内でめったやたらとライブをやっていて、僕はそれを全部追いかけていた。なので、当時、フラカンのおかげで初めて行きました、というライブハウス、多かったです。

 

  話がそれた。戻します。

  にもかかわらず楽器店がないというのは、ちょっとどうなのか。

  いや、どうなのかってことはないが、楽器屋作れば商売になると思いません? 素朴に不思議です。ライブハウスにしろスタジオにしろ、「あ、替えの弦がない」とか「スネアのヘッドが破れた」とかいうので、日常的に需要、ありそうなのに。

  近々、ミュージシャンに会う予定があるので、そのあたりどうなのか、訊いてみようと思います。

  あと、リットーミュージックのギター・マガジン編集部に、去年一緒にフラカンの単行本を作った編集者がいるので、メールで教えを乞いたい気持ちもあるのですが、「久々にメール送ってきたと思ったら、なんなんだその用件はあんた」と、僕と同い歳の彼に思われそうなので、躊躇しているところです。

 

  あ。僕が東京に来た時にはすでに下北沢に事務所があった、UKプロジェクトの人に訊けばわかるか。

  わかるかもしれないが、それと同時に「わざわざこんなこときいてきて、こいつヒマなのかな」「ヒマなんだろうな」「フリーになって1年経って、ご祝儀仕事もひととおり終わってすっかり干上がってるんだろうな」とか思われそうなので、やめておきます。

2016年の『YATSUI FESTIVAL』について

  2016年6月17・18日、渋谷のO-EASTO-WESTやDUOなどの11会場(増えたなー)で行われた、DJやついいちろうプレゼンツの『YATSUI FESTIVAL 2016』で、DJをしました。

 

  ありがたいことに、ほぼ毎年呼んでいただいている。1回出てないくらいだと思う。

  一応出演者であるにもかかわらず、毎年、オープニングの開会宣言の時間からラストのフィナーレまでいないと気がすまなくて、自分が出ない日も頭から最後まで遊びに行っていたが、今年は2日とも声をかけていただき、O-nestのラウンジで、1時間ずつDJをした。

 

  フェス自体は、今年もすばらしかった。基本的にやついいちろうは、お客さんの快適さや観やすさを何よりも優先するオーガナイザーで、そのことは去年もこのブログに書いたが(こちらです http://shinjihyogo.hateblo.jp/entry/2015/06/22/111255 )、今年もやはりそうだった。

  このフェスのことを言葉にする時は、ステージ上もそうじゃない時も、今年は入場がスムーズに行って一切クレームがなかったとか、1日目の開演前に暑くて倒れちゃった人がいたんだけどその人はすぐ復調してよかったとか、入場規制についてとか、そういったような、運営に関することしか口にしていなかった。

  去年、入場規制をなるべく減らしたいから次もまた会場を増やす、と言っていたが、確かに入場規制、目に見えて減っていた。そして、全体の快適性、増していた。

 

  2日間で自分が観たもの(全部観てないやつも含みます)。

  1日目:トップのDJやついいちろうから始まって、魔法使いアキット、千秋の歌と開会宣言、渋さ知らズオーケストラ、never young beach、GOING UNDER GROUND、GLIM SPANKY、自分のDJはさんで途中からやついフェススペシャル歌合戦、中村一義を途中まで観て某インタビュー仕事のためいったん会場を離脱(なのでサニーデイ・サービス人間椅子もNOT WONKもカルメラも観れず!)、戻ってきて華原朋美、DJやついいちろうからフィナーレでサニーデイ中村一義松本素生&残っている出演者たちによる、曽我部恵一が作ったこのフェスのテーマ曲「月が今夜笑ってるから、ぼくらそっと東京の空を見上げる」を歌って記念写真を撮るところまで、観ました。カメラマンは元岸田哲平アシスタント、本田本でした。

  2日目:DJやついいちろう、SASUKE軍団、ゆゆん、藤岡みなみ&ザ・モローンズ、堂島孝平清竜人25 、三四郎、ゆってぃ、Czecho No Repblic、初恋の嵐、自分のDJはさんでクリープハイプ、Charisma.com、ちょっとだけ南波志帆堂島孝平のトークショー、ワンダフルボーイズ、古舘佑太郎、Hi-Hi、DJやついいちろう+いとうせいこう+いつか、そしてフィナーレで曽我部が作った(以下略)。この日のカメラマンは本田本ではありませんでした。

 

  自分のDJにまつわる余談。

  1日目。4曲目ぐらいに、アナログフィッシュの「No Rain(No Rainbow)」をかけようと、CDJにセットして、あと20秒くらいで前の曲が終わる、というタイミングで顔を上げたら、下岡晃が入ってきた。

  あまりのタイミングのよさにびっくりした。友達のバンドとかを観に、遊びに来たそうです。プレイボタンを押したら、「恥ずかしい」と、O-nestのライブフロアの方に去って行きました。

  2日目。2日目の僕の持ち時間、18時から19時までの1時間。僕の次の時間は鹿野淳、その次はGETTING BETTERの片平実、という並びだった。

  この3人、17年くらい前に、すぐ隣のCLUB ASIAで「BUZZ NIGHT」というマンスリー・パーティーで、一緒にDJをしていたのです。

  まあ鹿野淳とは、それ以前に、雑誌BUZZやROCKIN’ON JAPANを共に作っていた上司と部下だったんだけど、なんか、すんごいタイムスリップ感でした。さらに、そのあとに古舘祐太郎を観にCLUB ASIAに行ったもんで、「ここで毎月やってたなあ……」と思い出して、クラクラしたしもしました。

  あと、O-nestのラウンジでDJをやる時って、基本、人、ほとんどいないか、いても座ってしゃべってたりスマホいじってたりしてあんまり聴いてないのがデフォルトなのですね

  そういう場だし、そういうものだからいいや、といつも思っていたけど、あとで片平実の時に行ってみたら、お客さんいっぱいで、みんな踊りまくって盛り上がっていて、実力と知名度の違いを思い知る、ということもありました。

 

  エンディングでやついくん、来年は6月17日・18日開催だと発表しておられました。

  呼ばれる呼ばれないにかかわらず、来年も楽しみにしています。

アナログフィッシュ「No Rain(No Rainbow)」のMVについて

   6/6、アナログフィッシュ「No Rain(No Rainbow)」のミュージックビデオが公開された。

 

 この曲が入っているアナログフィッシュの最新アルバム『Almost A Rainbow』、昨年の9月にリリースされたものなので、なんで今さら?とか思ったが、観てみたら、あまりのよさに、なんか書きたくて、いてもたってもいられなくなってしまった。

 

www.youtube.com

 

  ただ、この曲については、正直、あんまり書くことはありません。

  これぞ下岡晃! な、長年このバンドを追ってきた耳で聴いてももうあからさまに大名曲で、現に今のアナログフィッシュのライブのハイライトのひとつになっていて、僕もいつもこの曲が演奏されるのを心待ちにしているのだが、リリースのちょっとあとに知人のライター柴那典が、この曲に関して、腹が立つくらい(なんでよ)的を射たことを書いていたので、それ以上自分がなんか書く気、なくなってしまったのでした。

  こちら。https://note.mu/shiba710/n/n44493fdf3432

 

  でも、今さらだけどあえてちょっと書くなら、柴那典が「愛は“コスパ”じゃない」と書いているように、この曲、確かに、「市場化の圧力」へのプロテストであり、人の行為やものの動きになんらかの対価を求めないと成立しない、今の世の中へのプロテストである。

  最小限の対価や最小限の努力や最小限の負担で、最大級のベネフィットを受け取ることを目指すのが資本主義社会だが、教育や政治というのは本来そのようなメカニズムで動いているものではない。だから、それでは機能しない。なのに、教育や政治にまでその論理を持ち込むから、おかしなことになってしまったし、今もどんどんおかしなことになり続けている──というような記述が、政治家ではないが教育者である内田樹の著書を読むとよく出てくるのだが、大きな意味でそれと同じようなことを表している歌だと思う。

  世の中が楽しく気分よく暮らしにくくなっていく、その原因のひとつを指摘している、というか。

  逆に言うと、楽しく気分よく暮らしていくための、ものの考え方のひとつを、提示しているというか。

 

  で。このMVなのだが、おそろしくカネかかっていない。

  メンバー3人とも一切出てこない。基本的に、東京の城南エリア(って言っていいですよね)の、あちこちの街の風景を撮って、つないだだけのもの。

  下岡晃がどこに住んでいるのか知らないが(佐々木健太郎と斉藤州一郎がどこに住んでいるのかは知っているのに。なんでだろう)、きっとこのへんが彼の生活圏なんだろうな、と思う。

   渋谷駅ハチ公口。渋谷駅南口。渋谷駅そばの桜丘町の桜坂。駒場東大前駅近くの踏切。淡島交差点そばの遊歩道んとこの小さな公園。世田谷線宮の坂駅そばの四つ角。井の頭通りの代々木上原駅に入るあたり。夕暮れの新代田駅、FEVERのそばの、環七の下に井の頭線が走ってるとこ。代々木公園の、代々木八幡駅に入るとこの交差点。などなど。

  強いて言えば、電車、もしくは線路を軸にして作ったのかな、という気はした。井の頭線世田谷線、千代田線、小田急小田原線東横線、銀座線が映っているので。

  あ、そうか。だからくるり岸田繁が絶賛ツイートしてたのか。違うと思います。

 

  ただ、カネはかかっていないが、手間はかかっている。

  特に、そのカットの太陽光の感じや、影の落ち方や、アングルの切り取り方や、そのアングルの中を人やクルマや電車が通るタイミングなど、もう何もかもが絶妙。って、何がどう絶妙なのかとても説明しづらいが、いちいち「そうか!」とか言いたくなる、観ていると。

  そして、それらの積み重ねによって「街の風景を描くことがそのままプロテスト・ソングになる」という、アナログフィッシュ下岡晃楽曲がやりたいことと完璧にシンクロした映像作品に仕上がっているのだ。

  これ、下岡晃が自分で作ったのかな、と思ったが、クレジットを見たら「笹原清明」となっていた。アナログフィッシュの写真をずっと撮っている人だ。げ。別人なのか。なのにこの作品か。本人かあんた。というか、メンバーか。と、言いたくなりました。

 

  何よりも、具体的にはなんにも言っていない映像なのに、何か、とても希望を感じさせるところが、とてもいい。すばらしいと思う。

  あれ、もう20年くらい前かな、佐内正史の写真を初めて観た時に、衝撃を受けつつも意味がわからなかったのを、よく憶えている。

  なんだこのカメラマン、ただ街の風景に向かってシャッター押してるだけなのに、なんでこんなにすごいんだ、と。

   その時の感じを、思い出した。ただ、今は、当時ほど「意味がわからない」とは思わなくなってるな、俺も、とも思った。

 

 このMVも、この曲も、というか今のアナログフィッシュ自体、ミュージシャンやライター等の音楽関係者から絶賛されること、本当に多いけど、特にライターとかの関係者のみなさん、ならば、できればもっとライブにも来ていただきたい、そしてそのすばらしさをどんどん広めていただきたい。

  と、ライターとかの中ではかなり観に行っている頻度の高い(と言っていいと思う)身としては、望みます。

  アナログフィッシュ、新代田FEVERで対バンシリーズをやっていて、1本目は4月24日(日)Alfred Beach Sandolと行った(レポはこちら。http://shinjihyogo.hateblo.jp/entry/2016/04/27/153633 )。

  次は2本目、6月25日(土)、相手はトリプルファイヤーです。

  ぜひ。

 

  ……とか書いていたら、同日同時刻に、仕事が入って観に行けなくなってしまいました。

  がーん。すみません。

  そっちも、仕事させてもらえるなら絶対やりたい、大好きなアーティスト関連の案件なので、やむをえないのですが。

  その次の毎年恒例「Natsufish TOUR」、8月10日(水)渋谷クラブクアトロは、観に行きます。

 

  6月25日(土)新代田FEVER、行ける方はぜひ。

 

なぜ下北沢や三軒茶屋にもキャバクラがあるのか

   下北沢や三軒茶屋にもキャバクラらしきものはあって、連日ワイワイ客引きしておられるが、どういうマインド設定をすればこれらの街でこれらの店で楽しい時間をすごせるのか、というイメージがどうしてもできないまま、早くも25年経過。

 

  というツイートを、先日した。銀座とか六本木は高い、だから新宿歌舞伎町とか渋谷、というのはまだわかるけど、下北とか三茶ってそういう街じゃないじゃん。特に下北ってバンドマンとか演劇人とかがウロウロしてるとこでしょ。来ないよね? そういう店に。なんで?

  と、以前から不思議に思っていて、その日の下北沢にも客引きがいっぱいいたので、なんとなくそうツイートしたのだが、それを見た知人の編集者が、即座にリプライをくれた。

  曰く、

 

  あれです、六本木や新宿などとは違い、近隣に住む女子大生的なより身近な女性が在籍していて、よりあわよくば感が強いというマインドではないでしょうか。

 

  ということです。

  なるほど! と、とても、大変に、それはもうものすごく、納得した。さすがKさん。次々とヒット作・話題作を出している敏腕編集者だけのことはある。

  というのも、僕がいつも前を通る、下北沢の……あそこ、キャバクラじゃなくてガールズバーだけど、よく女の子たちが店の前に出て、客引きをしているのですね。

  で、その子たちが、CLUB Queのビルのファーストキッチンでギャハギャハ笑いながらたむろっていそうな、昔レコファンがあったとこの近くのイタリアントマトで延々とだべっていそうな、曽我部恵一さん経営の素敵なお店CITY COUNTRY CITYには来なさそうな、ライブハウスや劇場にも、うーん、来ないかも、というような、でもビレバンにはいそうな……しつこいですね。そろそろやめますが、とにかくそんな感じの、ごくごく普通の子たちなのです。顔とかスタイルもだけど、着ているものも含めて。

  「え、この子たちと飲むために、普通の飲み屋より高いカネ払うの?」というのも、かねがねから疑問だったのだが、そっちの疑問も一気にとけたのだった。「確かに!」と。

 

  僕は人生で三度だけ、「こういうのをいわゆる高級キャバクラというんだろうな」というような店に行ったことがあるのだが、それ昔某大手マネージメントの偉い人がおごりで連れて行ってくださったのだが、もっと言うと三度ともその同じ人というのが我ながらどうかとも思うし、「あんなにおごっていただいたのになんにもお返しできてなくてとても申し訳ないです」という気持ちを抱えたまま10年以上が経過していたりするのだが、とにかく。

  もう見るからに高そうな店で、出てくるおねえさんたちみんな「まあおきれい!」「ザ・キャバクラ!」みたいな感じで、僕がもともとそういう店が苦手なのは置いといても、「こんな子たちが俺とか相手にするはずがねえ」という確信が、席に着いた瞬間に芽生え放題芽生えて、ゆえに愛想よくされても居心地悪くて、私なんぞがこんなとこに座っていてほんとに申し訳ございません、と四方八方に頭を下げ続けたくなるような、そんな感じだったのでした。

 

  という観点からすると、その下北のガールズバーみたいに「ただのそのへんのねえちゃん」の方が、確かに「あわよくば」感を持てますよね。と、納得したのでした。

  そうか。だから高円寺にも、いっぱいそういう店があるのか。

 

   なお、その人生で三度だけの高級店、二回は六本木で一回は大阪の北新地だったのだが、一回目に六本木の店に行った時、「今日入ったんです」という初々しいおねえさんがいた。

  で、半年くらい経ってまたその店に行ったところ、その同じおねえさんが付いたんだけど、もうあからさまにどかーん!と、胸がでっかくなっていた。どう考えても自然にそうなるはずはない、というのが明白なレベルで。

  何か、もの悲しい気持ちになりました。めっちゃきらびやかな店の中で。

 

  渋谷にBAR BOSSAというワインバーがあって、いい店で、長いこと通っている。そしたら数年前、そこのマスターがcakesでコラムの連載を始めたり、本を出したりするようになった。

  その人、「渋谷の隠れ家的なバーのマスターだから知っている、恋愛についてのいろんな話」みたいなコラムを書いていて、人気を博しているのですね。本人は、既婚者で、浮ついたところのない、品行方正なキャラクターなんだけど。歳は僕のひとつ下です。

  ならば。俺が彼のように、色恋とかおねえちゃんとかの方面のことを書いてみたら、どうなるだろう。

  と思って書いてみたら、こんなことになってしまいました。

  目も当てられないとはまさにこのこと。と、自分でも思います。

エキストラの話

  僕は立命館大学の出身で、京都で大学時代をすごした。

  当時、京都の大学生の定番バイトのひとつに、「エキストラ」というのがあった。もう30年近く前のことなので、今は事情が違ったりすると思うが。

  東映や松竹の撮影所が、年末年始特番の大型時代劇(放送時間が何時間もあったり、2日に分けて放送されたりするやつ)を撮る時期になると、学生相談所とかに求人を出して、アルバイトを集める。

  朝早く撮影所に集合して、滋賀や三重の山の中なんかまでバスで行って撮影をして、夜8時とか9時頃に戻ってくるので、拘束時間が長い。でも撮るのは1時間とか2時間程度で、延々と待っているだけで基本的にラク。それで8000円とかもらえて、しかも日払い。というのが魅力で、何度かやった。

  というわけで、里見浩太朗扮する西郷隆盛の前で出兵する薩摩軍のひとりになったり、丘の上から松方弘樹徳川家康が見下ろす中、東軍の足軽のひとりとして行進したりした。

  後者は、CM明けにちょっとだけ映っていました。行進する足軽たちを引きの画で撮っている、その中のひとりなので、自分じゃないと絶対わからないレベルでしたが。

 

  で。2014年9月に公開された映画『まほろ駅前狂騒曲』に、実は2秒くらい映っている。

  当時、僕はロッキング・オン社の雑誌、Cutの編集部にいて、この映画の撮影の様子を取材して主演の松田龍平&瑛太に短いインタビューをする、という仕事で、上野の喫茶店での撮影現場におじゃましていた。

  行天(松田龍平)の実の娘を預かることを、多田(瑛太)が行天に打ち明けるシーンの撮影だった。何度もリハを行い、撮影し、カメラ位置を変えてもう一度撮影する──というさまを見学していたのだが、何度か撮ったところで大森立嗣監督が、「うしろの階段、誰か通った方がいいな」と言い出した。その喫茶店、1階と地下に分かれていて、お客は階段を使って店を出入りする、その階段がふたりのうしろに映るアングルだったのだ。

  で、助監督が「はい、えーと……」とあたりを見回し、僕に「あ、あなた、映るとまずいですか?」と訊いてきた。

「いや、別にまずくないですけど」

「じゃあお願いします。ここにいて、僕が肩を叩いたら、歩いて階段を上がってください」

  ということになった。で、指示されるがままに階段を上がったのだが、1階にはこの取材をブッキングしてくれた映画宣伝会社の人がいて、僕を見るや否や、あわてて手でバッテンを出してくる。「このバカ、本番中に階段を上がってきやがった」と思われたのだった。

  上がりきったところで事情を説明したら、「ああ、失礼しました。よくあるんですよね」と言われた。画作りのため、その場にいる人をパパッと使うというの、めずらしいことではないらしい。そのあとその人も、喫茶店の客として、行天&瑛太のうしろの席に座らされていた。

 

  なんでこんなことを書いているのかというと、「映画『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』がエキストラを募集」というニュースを見て、思い出したからなのでした。

  大根仁監督、面識あるので、エキストラの中に俺がいたら笑うかなあ、と、一瞬思ったが、今のこの手のエキストラの常識としてバイト代は出ないのと、拘束時間が16:00~翌朝6:00であることと、「撮影内容:架空ファッション誌のプレスパーティーのシーン」というのを見て、どう考えても俺がいたら変だな、と思って、やめました。

4月11日から生活が変わった

  8時ちょっと前に起き、NHK連続小説『とと姉ちゃん』を観る。それが終わると8時半に家を出て、ラジオを聴きながらランニングする。1時間弱ぐらいで戻ってきて、シャワー浴びるとかメシを作って食うとか洗濯とか掃除とかの作業を終わらせ、11時になると同時にラジオを消してPCに向かい、仕事を始める。

  という生活サイクルが、この1カ月でできあがった。4月11日に始まったTBSラジオ伊集院光とらじおと』に合わせたのだ。月曜から木曜、朝8:30から11:00まで。1回目の放送を聴いて「ヤバい、これ、毎日聴いてしまう。仕事に支障をきたす」とあわて、「いっそ勤め人だったら聴くのあきらめられたのに」とか思ったものの、ならば、心配しながらダラダラ聴くんじゃなくて、そこにきっちり生活サイクルを合わせてみよう、と試みたところ、思ったよりもすんなり回ることに気がついたのだった。

  僕のようなフリーの音楽ライターという業種だと、午前中から取材等の仕事が入ることは、ゼロではないが、たまにしかない。急ぎの原稿仕事がある時は、6時に起きて8時まで仕事してからいつものサイクルへ、というふうにしている。結果、『伊集院光とらじおと』を生で聴けなかったのは、この1ヵ月間で3回だけだった。それらも途中までは聴けたので、残りは録音で聴いて対処できた。なんだ対処って。

  とりあえず、月曜から木曜はそのようなサイクルで生活している。なので、雨が降ったりすると、そのリズムが崩れてオロオロする。最初はスマホradikoで聴いていたが、数日後にポケットに入るトランジスタ・ラジオを買った。ラジオなんて買うの、小学生の時以来だ。

 

  自分のひとつ下のおっさんの生活リズムをここまで変えさせる伊集院光のしゃべりがすごいのか、そこまでして聴く僕が変なのか。まあ両方だろうが、ただ、やっぱり、伊集院光という人のしゃべりの中毒性は、本当にすごい。

  僕より全然ディープな、長年の伊集院リスナーである某ミュージシャンに、「『深夜の馬鹿力』、1週間かけて何度も何度も聴いちゃうよね」と言ったところ、「僕は、聴き返すのは1回まで、という自分内ルールを決めて、絶対に守るようにしてます。じゃないと、本当に音楽を聴かなくなってしまうので」と返された。

  毎朝リスナーからの投稿を聴いていると、やはり、仕事しながら聴いている人がとても多い。農家とか、町工場とか、運転しながらとか。彼に「ああいうふうに、ラジオ聴きながら仕事できる職種だったらなあ、って思うことない?」ときいたら、やはり、あるそうです。あるけど、「せっかくミュージシャンなんて仕事に就けたのに何を考えてるんだ俺は」と、自分で自分に引くそうです。

  僕も、仕事しながら聴くことにも何度かトライしてみたが、「仕事は進むが聴けてない」か、「聴いてるだけで仕事が進まない」のどっちかにかしかならないことがわかり、あきらめた。マンガ家だったらペン入れしてる時とかは聴けるんだろうけど。実際、ラジオつけっぱなしで仕事しているというマンガ家は多いが、ライターとか作家でそうしているという人は、きいたことがない。いたら教えてほしい。コツを真似したいので。

  また、やはり以前からの伊集院リスナーである、勤め人の飲み友達に『伊集院光とらじおと』の話をしたら、内容をすべて把握していた。録音で、1日遅れですべての放送を聴いているそうです。僕よりすごい。

 

  あと、ラジオに関して、伊集院以外にあまり手を広げない、ということは、心がけている。気になる番組、聴きたい番組は、もっともっといっぱいあるのだが、本当に「ラジオを聴くことしかしない生活」になりそうで怖いので。

  そういえば中学生の頃は、月曜から金曜まで、夜22時からのNHK-FMサウンドストリート』と、深夜1時から3時の『オールナイトニッポン』は、ほぼ毎日聴いていた。いったい毎日どうやって生活してたんだろう、いつ勉強とかしてたんだろう、というかそりゃ学校で寝るわ、と思う。

  高校生になってからは、毎晩のように外をフラフラする生活になったので、聴いたり聴かなかったりに変わったが、それでも「木曜は『ビートたけしオールナイトニッポン』だから絶対に家に帰る」などの自己ルールがあった。

  書いていて思い出した。そもそも、クイーンの新しいアルバム『HOT SPACE』がリリースされる直前に、その曲がいっぱいかかる番組があると友達が教えてくれて、NHK-FMサウンドストリート』を聴いたら、おもしろくて毎回聴くようになり、FM雑誌を買ったらその渋谷陽一というDJが人気投票1位で載っているのを読んで「あ、この人、音楽雑誌も作ってるんだ?」と知り、ロッキング・オンを買うようになり、大学を出るちょっと前のタイミングで誌面に社員募集が載っていたので応募したら採用されて、そのままずっと勤めていたが1年前にやめて現在に至る。

  と、そもそも人生がラジオきっかけで決まったのだった。そうか。怖あ。今さら怖がっても完全に手遅れですが。

2016年5月8日、平井堅20周年アニバーサリーツアーのファイナル

 ・1曲目を「Love Love Love」で始めた。そもそもこの曲の歌い出し、アカペラなので、アカペラでライブを始めたということ。

・「母の日なので」という理由で、地元のことを綴った「桔梗が丘」を歌う。

・「Plus One」「TIME」「魔法って言っていいかな?」の新曲3曲、すべてやった。「魔法って言っていいかな?」は、アンコールで、アコースティック・ギター1本の伴奏で。

・「楽園」は当然やる。

・後半の盛り上げゾーンで、「世界で一番君が好き?」「Strawberry Sex」「KISS OF LIFE」「POP STAR」を並べてプレイ。リリース当時、「この(絶頂に売れている)タイミングでこれがシングルって何考えてんだ」と周囲を唖然とさせた「Strawberry Sex」がちゃんと入っている。

・「KISS OF LIFE」の時に、気球に乗って、フロア上空を1周しながら歌った。「このツアー、気球で飛んでいるらしい」という噂はきいていたが、目のあたりにすると、相当くるものがありました。本当にバルーン6個の浮力で浮いていて、それを地上のスタッフ数名がヒモでひっぱって歩きながらフロアを1周する、という、極めて人力なものだったので(僕にはそう見えました。違っていたらごめんなさい)。ミュージシャンが宙を飛ぶ、というのは、ユニコーン氣志團SPIRAL LIFE(懐かしいな)などで何度も観たことがあるが、こんなの観たのは初めてでした。「マジか!」と思いました。

・その「『KISS OF LIFE』でケンちゃん気球に乗る」の間奏部分でのMC。「人生、つらいこと、悲しいこと、恥ずかしいこと、いろいろあると思います。そんな時は、この気球に乗った44歳のおじさんを思い出してください。こんな恥ずかしいこと、そうそうないと思います!」。超満員の国立代々木競技場第一体育館、大ウケ、大喝采。

・アンコールのシメは「キミはともだち」をフルコーラスアカペラで歌いきった。つまり、アカペラで始まってアカペラで終わったライブだった。

・この人、いつもステージを去る時に、「しーっ」てやって客席を静かにさせてから、マイクを使わずに生声で「どうもありがとうございましたー!」とか叫ぶのだが、今日の叫びはこれでした。「俺は幸せ者だ! どうもありがとう!」

 

平井堅のデビュー20周年を記念してのライブハウスツアー→ホールツアー→アリーナ-ツアー、そのファイナルの2016年5月8日、国立代々木競技場第一体育館2デイズの2日目は、そんなライブでした。

どうでしょう。最高以外の何ものでもないでしょう。自分のことも、ファンのことも、音楽のことも、一切裏切らない、幸せしか呼び込まないステージだった。

またこのアーティストへの信頼が増しました。

ほんとに、いい時間だった。

 

あ、「バズーカでサインボール撃ってキャッチした人がリクエストした曲を歌う」コーナー、今日は「Missin’ you~It will break myheart~」と「キャッチボール」でした。

それから、20周年アニバーサリーツアーのラストなんだから、どこかで「LIFE is…」やってほしいんだけど、どうかなあ、と思っていたら、8曲目でやってくれた。うれしかった。

 

なお、新曲3曲ともめっちゃいいが、「魔法って言っていいかな?」が特にすばらしかった、生で聴いたら。

で、聴いていて、「もしかして俺、『魔法』という言葉が入っている曲を好き、っていう嗜好性があるのかも」と、初めて思った。

たとえば星野 源の「くだらないの中に」。「魔法がないと不便だよな」という一節があって、そこがやたら好きなのです。2番で「希望がないと不便だよな」に変わることも含めて。

あと、たとえば、サニーデイ・サービスの「魔法」。タイトルからしてそのまんま。