銭湯とサウナとカプセルホテルの話
昔、会社員だった頃。僕がどこかへ出かけるたびに、「あれ買ってきて」と、必ず食べ物を頼んでくる上司がいた。
「横浜へ行くの? じゃあ崎陽軒のシュウマイ弁当買って来て」
「表参道? じゃあまい泉でかつサンド買って来て」
というふうに。
会社は渋谷で、崎陽軒は渋谷駅の東横のれん街に入っているから、別にいつでも買える。まい泉も然りで、表参道にしかないわけじゃない。
でもなんせ、必ず頼んでくる。しまいには「どこ行くの? 青山一丁目? ええと、あのへんには何があったっけなあ」と、本とかで調べ出す始末。あ、携帯もPCもインターネットも普及前の話です。
なんで? と問い質しはしなかったので、理由はいまだにわからない。お代はちゃんとくれるし、さしてわずらわしいわけでもなかったので別にいいんだけど、ただ不思議だった。
なんなんだろう。お父さんの出張のお土産が楽しみな子供時代をすごしたんだろうか。逆に、そういう時にお土産がもらえなかったトラウマでもあるんだろうか。
その頃から四半世紀くらい経つが、今の自分がやっていることって、それにちょっと似ている、と気がついた。
銭湯だ。
もともと銭湯や温泉の類いは好きだったが、2年くらい前から、松尾スズキさんのメルマガに影響されて、サウナにはまった。
日常的に通うには、カプセルホテル併設のサウナとかよりも、水風呂とサウナのある銭湯の方がリーズナブルなので、主にそっちに通うようになった。ちょうどフリーのライターになったばかりで、平日昼間に好きに動けることも、それに拍車をかけた。
半径3キロ圏内ぐらいで、よく行く銭湯を4軒キープしていて(なんだキープって)、普段はそこに行っているが、やがて、ライブや取材に行く先でも、事前に銭湯を探して、時間が許せば早めに行って、風呂に入るようになった。
当然、気に入れば通うようになる。「時間が許せば」じゃなくて、時間が許すようにスケジュールを考えるようになる。
特に、東京キネマ倶楽部。徒歩5分のところに、萩の湯という、東京の銭湯好きなら知らぬ者はいない、新しくてきれいで広くて安い名銭湯があるのだ。
キネマ倶楽部、そうしょっちゅう行くハコではない。年に3~4回ぐらいだが、「このバンドの次のワンマンは……あ、やった、キネマ倶楽部だ!」と喜ぶようになっているのは、もうなんか本末転倒、というか末期的、と、自分でも思うのだった。
地方に行く仕事というと、僕の場合はそのほとんどが、ライブを観て何か書くことなわけだが、「交通と宿は自分で手配して、あとで請求書起こしてください」というケースもよくある。
で、ライブを観て、飲んで、寝て、早起きして、朝からやってる銭湯もしくはサウナに入って、急いでホテルに戻ってチェックアウトして、東京に帰る。
ということを数回続けているうちに気がついた。
これ、ハナからカプセルホテルの方がよくない?
その方がラクだし。どっちみち宿では寝るだけだし。当然カプセルの方が安いから、クライアントもうれしいだろうし。
というわけで、今では「名古屋ならここ」「大阪ならここ」というふうに、泊まる先も固定化している。海外からの観光客の増加で、どこの宿も土日は料金が跳ね上がるようになって久しいが、カプセルならその影響もほぼないし。
昨年11月7日に、フラワーカンパニーズを観に十三ファンダンゴに行った時、会場そばのカプセルホテルに泊まったら、休憩スペースが喫煙OKで煙モクモクだった。閉口したことはしたが、「さすが十三」と感心もした(梅田のカプセルホテルは普通に禁煙です)。
みたいなことを行きつけの飲み屋でしゃべっていたら、「そんなに詳しいなら仕事にすればいいのに」と言われた。
「銭湯とかサウナとかのライターもいるでしょ?」
いや、いるけど、テレビとかで観たことあるけど、そんな『マツコの知らない世界』に呼ばれそうな人、世の中でほんの2~3人でしょ。それで充分でしょ。そのジャンルのトップランナー、タナカカツキ先生、いるし。
と言ったのだが、後日。週刊SPA! のインタビューコーナー『エッジな人々』で、銭湯絵師の女性が取り上げられていた。
しかもライター、知り合いだった。彼が特別銭湯に詳しいとか、きいたことない。
おい。なんできみがやるんだ。だったら俺でよくない? 恵比寿の改良湯と西太子堂の八幡湯と太子堂の富士見湯は壁の絵が一緒である、同じ年代に同じ業者に発注したものと思われる、ということをきみは知っていたりするのか?
でもその仕事、僕に来るわけないのだった。誰にもなんにもアピールしてないんだから、そういう己の趣味嗜好のことを。
いつも観ている銭湯情報サイトに、ライター募集の告知が出ていたこともあった。でも、「ブロガーのお小遣い稼ぎノリで、とんでもなく安い原稿料のやつだろう」と判断して、近づかなかった。実際はどうなのか知りませんが。
というか、本当にそれをライターとしての仕事にしたいのか? と自問自答すると、自分でもよくわからないし。
今はどこの銭湯もだいたい、脱衣所でスマホをいじるのは禁止になっている。撮影しなくてもダメ、まぎらわしいので触ること自体NG、という。なので、個人ブログに脱衣所や銭湯の中の写真が上がっているのは、どれもある程度昔のものです。
で。先日、行きつけの中の一軒で、脱衣所でスケッチブックを出して、風呂場と脱衣所のレイアウトを描いてる男に出くわした。
プロとかじゃなくて普通のマニアなんだろうけど、ここまでの情熱、俺はないなあ……と、しみじみ思いました。