小説家・いしわたり淳治について
2017年11月に出た、いしわたり淳治10年ぶり・2冊目の小説集。
公式サイトでは「“超”短編小説」と謳われているが、僕くらいの世代だと「ショートショート」という呼び方がしっくりくる。星新一とか筒井康隆とか眉村卓とか。よく読みました、昭和の時代に。
ただし、いしわたり淳治のこれは、もっと手が込んでいる。10年前のデビュー作もそうだったが、「そうか、ショートショートというジャンルを今の時代においてもっとも鋭く新しいものとしてアップデートするとこうなるのか」と、唸るほかないおもしろさ。
うまいなあ、と一本一本読み進むたびに思う。おすすめです。
ショートショートというジャンルは今も残っているけど、それで名を成している作家、というとぱっと浮かばない、ということは、今この分野はこの人の独壇場だとも言える。
現に、10年前のデビュー作『うれしい悲鳴をあげてくれ』は、2014年にちくま文庫で文庫されて以来、累計20万部オーバーのヒットになっている。
書店で派手に展開されてどんどん売れていくさまを、その頃よく見かけた。いや、どんどん売れるから派手に展開されていたのか。とにかく売れていた。今でもよく平積みになっているので、ロングセラー化しているのだと思う。
作詞家・プロデューサーとしては確固たるポジションのある人だけど、小説家としては無名なわけで、そう考えるとこの数字がどれだけ異常であるかがよくわかる。
「あ、『関ジャム』に出て鋭いこと言ってるプロデューサーの人の本だ」と思って買った人は、いないと思う。っていうか、2014年にはまだ出てなかったか。いや、出てなかったんじゃない、まだ『関ジャム』自体が始まってなかったんだった。
とにかく、「作詞家」「プロデューサー」「元スーパーカー」とか関係なく、「無名だけどおもしろい新人作家」として売れたわけで、それ、すごいことだと思う。
で。この人の作家としての活躍ぶりを見るたびに、なんというか、ちょっと複雑な気持ちになるのだった。
その10年前の『うれしい悲鳴をあげてくれ』、ちくま文庫に入る前の元の本は、ロッキング・オン社から出た。
僕が編集したのです。
その時は初版止まりだった。今の小説の書籍のアベレージだと、まあまあの数字かもしれないが、当時としては、あんまりいい数ではなかった。
その本が、後にちくま文庫に入ったら、20万部オーバーの大ヒット。これはどういうことでしょう。最初の本の編集者が、売れるポテンシャルを持っている作品を全然売ることができなかったポンコツだ、ということでしょう、どうしたって。
というわけで、「昔の自分にがっかり」「そして今の自分にも落胆」みたいな、にがーい気持ちになってしまうのでした。
でも事実だしなあ、これどう考えても人のせいにしようがないよなあ、という。
当初は、ロッキング・オン・ジャパンでスーパーカーのインタビューをしていた山崎洋一郎が洋楽に異動になって、ナカコーは違うけど、いしわたり淳治は僕がインタビューするようになって付き合いが始まり、ロッキング・オン・ジャパンで連載を持ってもらうことになった。
で、しばらく経ってから「単行本にしましょうか」という話をしたら、本人が「ショートショートのストック、いっぱいある」と言い出して、見せてもらったら本当に膨大な数あって、しかもどれもおもしろくて、結果的にほとんど書き下ろしみたいな形で、エッセイ&ショートショートの本として、1冊になったのでした。
本が出てしばらくしてから、渋谷の飲み屋でばったり出くわして以降、もう何年も本人とは会っていない。
まあ、会わせる顔がない、というのもある。
あるが、そういえばこの間、関西のライターでありABCラジオ『よなよな』火曜のDJであり昔のロッキング・オン・ジャパンのハードコア読者である鈴木淳史に、
「兵庫さん、昔、淳治くんとM-1、観に行ってはりましたよね」
と言われた。
完全に忘れてた。行ったわ。で、それを記事にしたわ。
2002年だっけ、決勝戦は、お台場のパナソニックセンターのスタジオから生放送で、その前にセンターの前の寒い寒い吹きっさらしの屋外で、40組だか50組だかの敗者復活戦があって、それも全部観たんだった。
私は寒くて死にそうでしたが、彼は満面の笑顔のまま、何時間も立ちっぱなしで観ておられました。
そのあとの決勝は、よしもとの知り合いにお願いして、彼はスタジオの中で観戦、僕はロビーで他の記者たちと一緒にモニターで観たんだった。
帰り道も淳治さん、すごい上機嫌でした。「俺もやらなきゃと思った!」とおっしゃってました。
いや、「やらなきゃ」って、スーパーカーやってんじゃん。と、思ったのを憶えています。
あ、その最初の本、『うれしい悲鳴をあげてくれ』は、こちらです。
※追記:以上をアップしてから、「いしわたり淳治の連載を立ち上げたのは兵庫ではなくて当時ジャパン編集部にいた宇野維正ではないか」というご指摘をいただきました。そうです。正しくは、宇野が連載を立ち上げる→私が引き継ぐ→単行本化、という順でした。私が立ち上げたように取れる書き方をしてしまい、大変失礼いたしました。