ラジオとツイッターの相似点
できればラジオで募った情報はラジオあてにいただきたいのですが……まあ図々しいと思われるならしかたなしですが、ラジオとツイッターってむずかしいなあ。
伊集院光、2月5日のツイート。ラジオのコーナーで募った情報を、彼のツイートへの返信として送られても困る、ということであって、「そりゃあそうよね」と納得するしかない話だと思うのだが、それに対して「なんでダメなんですか?」とか「ラジオでツイッターアカウントを取ればいいのでは?」というような声が上がっていた。
まず、彼の番組のリスナーとして、というか、ラジオ好きとして、めっちゃイライラした。ちょっと考えりゃわかるじゃん、なんでダメなのか。理由は山ほどあるけど、まず何よりも、投稿を募る→リスナーが番組に送る→それを番組が選んで放送で紹介する、というのがラジオのコーナーであって、ツイートありにしちゃうと「リスナーが番組に送る」の段階でそのネタが世間に公開されちゃう、だから成立しない、ってことが、なあんでわからないかなあ。
なんでみんなこんなに無理解なのよ。ツイッターもメディアだということをわかってなさすぎない? ラジオをなんだと思ってんのよ。ほんとにラジオ聴いてんの? ラジオ好きなの? 聴いてないんじゃないの? だからわからないんじゃないの?
と、ここまで考えてから気がついた。違う。ラジオ聴いてないってことはない。逆だ。ラジオ好きなんだ。よく聴いてるんだ。だからツイッターと混同しちゃうんだ。
ラジオとツイッターって似てるなあ、と思うことがよくあるのです。まず、以前にもこのブログに書いたことがあるが、僕の場合、日常の中でふと「あ、これツイートネタになる」と思う瞬間って、『ビートたけしのオールナイトニッポン』に送るネタを1日中考えていた中学高校の頃に「あ、これ!」と思いついた時の感じと一緒なのだ。
うん。書いてみてわかった。これはあんまり関係なかったですね。
じゃあどこが似ているのか、ラジオとツイッターは。それを発信している有名人と受け手である自分との心理的距離がものすごく近くなる、近いように錯覚させる、というところだ。
ツイッターに限らずSNS全般が、そのような、実生活では接点を持ちようがない有名人とかに話しかけることができる、そして返事が返ってきたりすることもある、という「距離の取り外し」が魅力のひとつだから、ここまで普及したものだとも言えるし。
で、本来なら、ラジオでそれにあたるのは、「投稿が読まれる」もしくは「電話で参加するコーナーに出る」ことなので、直で言葉を交わせる確率はツイッターよりも限りなく低いが、そうであっても、ただ黙って毎週ラジオを聴いているだけで、それと同じような感覚になってしまうものなのだ。そのしゃべっている人の友達みたいな。なんで。だって俺、その人のことをこんなに詳しく知ってるんだから。
テレビに出ている人はみんな自分の知り合いだと思っていて、街で見かけると気さくに話しかけるおじさん、あれと同じマインドなのだろう、という話です。
自分も、力いっぱい思い当たるフシがある。たとえば、伊集院光に対しては、僕の場合「会いたくない、面識を持ちたくない、ラジオを聴いているファンのひとりでいたい」という畏怖込みの気持ちがあるのでちょっと違うが、それ以外の人たち、つまり『深夜の馬鹿力』で彼の話にしょっちゅう出てくる「構成の渡辺くん」や「オテンキのGOくん」を、僕は無意識に友達だと思っているフシがある。たぶんこれ、自分を彼らと並列に「伊集院の周囲の人たち」と無意識に位置付けているんだな、と、今書いてみて気がついた。理性ではそんなわけないのはわかっているのに、その理性の手前の段階でそうなっている、というか。
『伊集院光のてれび』に出ていた売れない若手芸人たち、紺野ぶるまや松丸ほるもんがテレビに出て来ると「おお!」と喜ぶし、バイきんぐ小峠やメイプル超合金安藤なつの売れっぷりを観るたびにしみじみするし。
という感情が強まりすぎていて、ヤバいわ俺。と自覚したのは、2017年の『キングオブコント』で、にゃんこスターが準優勝した時だった。アンゴラ村長じゃん! 『伊集院光のてれび』のオーディションに来た大学生の女の子のコンビの片方じゃん! 「いかにも大学生なネーミング」と伊集院に言われていた、出演者紹介映像を撮るためのコントライブで「他に何もできないから」縄跳びをさせられた、スタッフが「来なくてよくなった」という連絡をするのを忘れて現場に来ちゃったから『てれび』に出演した回がある、あのアンゴラ村長じゃん!
2位だけど完全に優勝者食ってるじゃん! すごい! 偉い! 今度会ったら絶賛しなきゃ! ……え? 会うって何? 会わねえよ。どこで会うんだよ。何この俺の精神状態。ヤバいよ。
というふうに、自覚したのでした。
書いているうちにすっかり話の流れを見失ってしまったが、えーと、つまりそのように錯覚させる力が強大である、というポイントが、ツイッターとラジオは近いんだなあと。だから両方触っている人は、それをごっちゃにしてしまうこともあるだろうなあと。特に、物心ついた頃にはもうネットがあった、ツイッターがあったくらいの世代だと、よけいそうなっても不思議はないなあ。でも、その錯覚させる力が大きな魅力でもあるんだから、一概に「それは違う!」「そんな親近感持つんじゃねえ!」とか言うのも違うしなあ。
という話でした。
書いたところで、なんの解決にもならないが。
なお、バイきんぐ小峠は、『伊集院光のてれび』の前のシリーズ、『伊集院光のばらえてぃー』の『だるまさんが動いたらみんなバラバラの巻』という企画に出ていて、その存在を知りました。カズレーザーは、最初は「安藤なつが組んだ新しいコンビの相方」という知り方でした。
私、べつにお笑い通ではありません。伊集院周辺のことだから知っているだけです。伊集院リスナーがこれを読んだら、「そんなのみんな知ってるよ」としか思わないことでしょう。