「思ったこと」と「伝えるべきこと」の間
NGT48加藤美南のインスタSTORY誤爆で研究生に格下げ&NGT全メンバーのSNSが停止させられた事件。山口真帆の卒業公演を伝えるテレビ画面の写真に「せっかくネイルしてるのに チャンネル変えてほしい」と書いてアップしてしまった、あれです。「友達だけに公開しようと自分の心境をストーリーに述べたのですが、間違えて全ての人に公開してしまいました」「親しい友達にしか見せないとはいえ、人の気持ちを考えていない投稿でした」と、本人が謝罪したやつ。
NGTとかAKSとかに関して、というかそもそもアイドルというものに関して、僕はまったく詳しくないので、それについて何かを書いたり言ったりすることは普段ないんだけど、それでもこの件に関しては、ちょっと考えてしまった。
何を。「自分が思ったこと」イコール「誰かに伝えるべきこと」というふうに、人間の感情を改造してしまうSNSって、恐ろしいなあ。ということを、です。
まず、ネイルしていて、自分の視界に入る位置にあるテレビで、自分は観たくない内容のものが放送されていて(なんで観たくないのかとか、そもそもこの事件はどういうものなのかとかについては、ここでは置いておきます)、「せっかくネイルしてるのにチャンネル変えてほしい」と思うのは、その人の自由だ。というか、止められない、人が思うことなので。僕はワイドショーの類いを観るのがとにかく苦痛で、サウナのテレビでそういう番組をやっていると、「せっかくサウナ入ってるのにチャンネル変えてほしい」と思うし。
ただし。だとしても、「思ったこと」と「誰かに伝えるべきこと」の間に、本来ならフィルターがかかるものじゃないですか。「これはわざわざ人に伝えるべきことなのか?」「人に伝えるだけの意味があることなのか?」「人に伝えると何かいいことがあるのか?」という。
それを取っぱらって「思ったこと」イコール「誰かに伝えるべきこと」にしたのはSNSだ、発信の容易さが人をそのようにマインドコントロールしてしまったのだ、という話です。その結果、「誰かに伝えることが喜び」というのを越えて、「誰にも伝えないことがストレス」と化しているのではないか、と。
さっきの僕のたとえで言うと、サウナのテレビでAVが流れていたら「おい!」ってなりますよね。というのは、ネタになるから、ツイートして人様にお知らせする意味があると思うが、ワイドショーが流れているのは普通なことだから、自分はイヤだけど、わざわざ人に伝えてもなあ、ってなるじゃないですか。
あ、これ、「不特定多数に」って話じゃないですよ? 彼女が「せっかくネイルしてるのにチャンネル変えてほしい」と伝えたかった「親しい友達」に対してもですよ?
「間違えて全ての人に公開してしまいました」という以前に、限られた人だろうが、全ての人だろうが、今自分が覚えたこの感情、伝える必要があるもの? という。そこで「あったんです! 絶対に伝えたかったんです!」というのなら、まだいい。「伝えたいとか伝えなくていいとか考えなかった、伝えないと気持ち悪いという感覚が身体化しているから」だったとしたら、怖いなあと思うのだ。
という話でした。
難しい問題ですが。そもそもSNS全般がそういう「わざわざ伝えなくていいことを伝えてもいいツール」だからこそ、ここまで爆発的に広がったのだとも言えるし。
言い換えると、そんな、これまでだったらエンタテインメント性ゼロと思われていた、人に伝える意味のない、「だからどうした」みたいなこと──「東京行きののぞみなう」とか「天下一品池尻店なう」みたいなことも、読んだり写真を見たりすると、それなりにおもしろかったりする、という発見が、SNSだったわけなので。
僕のツイッターの使い方は偏っていて、そういう「天下一品池尻店なう」みたいなことは、一切書かない。人のそういうのを見ても何もカンに障らないし、おもしろかったりもするにもかかわらず、自分はやらない。自分の仕事や趣味に関わる、音楽やテレビや本などにまつわることと、日常生活の中で「あ、これネタになる」と思ったことしかツイートしない。
たとえば旅行に行っても、それが音楽とかに関係ない限りは書かない。過去、南の島の青い海の写真とかをアップしたことがあるのは、そこにフラワーカンパニーズの4人が写っていた時だけだ。
なんで? と、ちゃんと考えたこともなかったんだけど、今わかりました。ここまで書いたような理由だったのか。