カーリングシトーンズとユニコーン
カーリングシトーンズって、ユニコーンなんですね。
と、12月23日東京国際フォーラムホールAの、ツアー初日を観て思った。
観なきゃわからないことでは全然ないだろ、という気が自分でもするが、でもあの客席で「あ、そうか」と気がついたのは事実なので、しょうがない。
何が。要は、
・メンバー全員が作詞も作曲もする。
・メンバー全員がリードボーカルをとる。
・メンバー全員が担当パート以外の楽器も演奏する。というか、そもそも、担当楽器があやふやである。
という点が、です。
カーリングシトーンズのリーダーであり言い出しっぺであるのは寺岡呼人だ、という事実は棚に上げて比較すると、つまり、そのコンセプトを、担当楽器がはっきり決まっていて、ボーカル以外は詞曲を書いたことがほぼなかったバンドで実行したのがユニコーンであり、普段から作詞作曲を手掛けているボーカリストを集めて実行したのがカーリングシトーンズである、ということです。
って、寺岡呼人はもともとベーシストか。だけど、ユニコーンの奥田民生以外のメンバーみたいに、「歌えと迫られて歌うことになった」わけではないので、そのへんも棚に上げます。ジュンスカを脱退する前から、自発的に自分がボーカルでライブとかやってたし。で、脱退してすぐソロデビューしたし。
インタビューを読んだら、リーダーは自分だけど、レコーディングの実作業でみんなをひっぱっていったのは民生だった、というような話を、呼人がしていた。
というのも、そう考えるとうなずける。このメンバーの中で、「みんな詞曲を書く」「みんな歌う」「担当楽器があやふや」というコンセプトのバンドをやることにいちばん慣れているのは、民生だからですね。というか、ほかのメンバーはやったことがないからですね、そんなバンド。
あと、こんな比較をすると、じゃあユニコーンよりもカーリングシトーンズの方がいいじゃないか、というふうに見えそうだけど、そうとは言い切れないのも、おもしろいところだと思う。
まず、詞曲を書いてボーカルをとる人だけが集まる、というのは、今回のようなある意味特殊な状況じゃないと不可能である、という事実を置いておいても、そうやって「もともとみんな詞曲を書くしみんな歌うしみんないろんな楽器をやる」バンドにも、デメリットはある。
「エキスパートがいないパートが生まれる」という問題だ。カーリングシトーンズで言うと、ドラムとキーボードですね。斉藤和義のドラムも奥田民生のドラムもトータス松本のドラムもとてもいいけど(ドラムに限らず、ボーカリストの弾く楽器って得てして魅力的なんですよね)、やはり技術的にできることに限界がある。キーボードも然り。そりゃあ、川西さんとABEDONの方が、プレーヤーとしてできることが全然多いですよね。あたりまえだけど。
なので、カーリングシトーンズは、その分バンドでやれることのレンジが狭くなる。「この曲はストーンズ風」「これはディラン風」というふうに、ルーツがはっきりわかるような、シンプルなロックンロールやブルース等でアルバムができている理由はそこにもある、と言える。たとえば『服部』みたいなアルバムを作ることは、カーリングシトーンズでは不可能だろうし。
などと書いていて、気がついた。カーリングシトーンズのこの6人、「作詞作曲は全部ボーカル」というバンドの経験がある人、ひとりもいないんじゃないか。
奥田民生はここまで書いたとおり。寺岡呼人も、ジュンスカをやめる前から曲を書いていた。斉藤和義はソロ。
YO-KINGの真心ブラザーズは、ふたりとも詞曲を書いて歌うし、サウンド的に中心になっているのはどちらかというと桜井秀俊の方だし。浜崎貴司のFLYING KIDSも、いちばん詞曲を書いているのは彼だが、ほかのメンバーも書くバンドだ。
トータス松本はウルフルズで、全部自分で書いてるじゃん。いや、でも、ファーストアルバム『爆発オンパレード』(1992年)は、作詞作曲のクレジットは「トータス・ケースケ」だったし、それ以降も『人生』(2017年)みたいに、ほかのメンバーも詞曲を書いたアルバムもある。
だから、もともと各自そういう素養はあったんだけど、初めて全開でそういうバンドをやったのが、カーリングシトーンズだった、という。奥田民生を除いて。
何が書きたかったんだかすっかりわからなくなりました。
無理矢理結論をつけるなら、「バンドっておもしろいなあ」ということでしょうか。無理矢理すぎるか。
ちなみに私、斉藤シトーンが書いた「何しとん?」と、浜崎シトーンが書いた「俺たちのトラベリン」が、特に好きです。
前者は、ただ簡単にコードにのっけただけみたいな歌メロなのに、歩いてる時とか、気がついたらなんか口ずさんでいる曲。後者は、もろボブ・ディランな感じがとても沁みる曲です。