兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

本人に言うなよ

 知人の作家からきいた話。

 

 「○○さんの本、大好きです。図書館に入るのを楽しみに待っています」

 とか、 

 「○○さんの大ファンです。新しい本が出ましたね、今メルカリ待ちです」

 というようなリプが、日常的に、ごく普通に、いろんな人から飛んでくるのだという。

 イヤミとかで言っているのではない。というか、イヤミなのであればまだ理解できるが、じゃなくて、素直な好意の表明として、そう伝えてくるのだそうだ。

 

 マジか。どうなってんだ、この世の中は。

 と、頭を抱えたくなるが、こんなような「失礼」は決してめずらしくない、普段から平気で飛び交っている、それがSNSの世界である、というのは、まあ、事実だ。

 と書いているこの文章にも、「何が失礼なんですか?」みたいな声が飛んできかねない、とすら思う。

 あのね、「図書館に入るのを楽しみに待っています」というのは、「あなたの本にカネは払いません」と言っているのと同じなんです。現に、周囲には、「買いました」とか「予約しました」というリプが多数飛んでいるわけで、その中にあって「読みたいけど買いはしない」と本人にわざわざ伝えている自分は何? って思わない?

 思わないんだろうな。思ってよ。で、わざわざ本人に言うなよ。と、つくづく思う。

 

 基本的に本は買わない、読みたければ図書館で予約して、順番が回って来るまで半年くらい待つ、という人が、けっこうな数いることは知っている。メルカリ待ちの人がいる、ということも然りだ。

 僕だって、書店で気になる本を手にとって、奥付を見て、「あ、これ、出てもう1年半経ってる、じゃあ、あと半年も待てば文庫になるから、待とう」みたいなことは、ごくあたりまえに、ある。

 あるけど、それ、わざわざその作家本人に伝える? 伝えません。「文庫になるのを楽しみに待っています」イコール「文庫になるのを待ちきれなくて買っちゃうほど読みたいとは思っていません」ということなので。

 

 でも言っちゃう。という人が、なんでこんなに多いのか。

 ツイッター等の普及によって、何かを思ったらすぐ言う、ということが、肉体化している人が増えたからだと思う。

 そもそもツイッターって、始まった頃は、朝起きて「眠い」とか、外に出て「今日は寒い」とか、昼になって「おなかすいた」とかいうような、「そんなこと人様に伝えてどうする」みたいなことでも言っていい、不特定多数に発信していい、というのが魅力で広まったところも、大きかったですよね。

 で、普段からずっとそれをやっているうちに、何かを思ったらすぐツイートしなきゃ気がすまない、思っただけで黙っているのは気持ちが悪くて落ち着かない、そういう脳味噌になってしまう、という。

 ひとりごととしてのツイートですらそうなんだから、相手がいたらなおさらそうなるのは、頷ける。この人がツイートしたこの件に対して、自分はこう思った、だから言う、それが本人に直接届く、というのも、SNSが画期的だったポイントなわけだし。

 ただし、ひとりごとと違って、その声を受け取る特定の個人がいるんだから、発する前に「その人がどう感じるかを考えてから発する」というフィルターを通すべきなのに、通さない。誰に向けたわけでもないひとりごとと同じように、「思った→言う」と、直で進んでしまう。で、それが肉体化しすぎると、そのことの何がいけないのか、わからなくなってしまう。

 

 あと、「好意なんだからいいじゃないか」という、ものすごくざっくりした、極めて大づかみな判断もあるんだろうな、とも思う。

 これが「あなたの本、好きじゃないから買いません」というマイナスの感情だったとしたら、「本当に伝えるべきか、否か」という思考をはさむけど、「買わないけど(あるいは「定価では買わないけど」)好き」、というのは、「好き」なんだからプラスの感情でしょ、ベクトルとしては。

  だったら伝えていいじゃん。なのに、なんでそこで「でも買わないってことじゃん」みたいな、ひねくれた受け取り方をするの? という。

 昔すぎて誰だったか忘れてしまったが、音楽のストリーミング・サービスやダウンロード販売が今ほど普及していなくて、おカネのない中高生とかは、CDをCD-Rに焼いて聴いたり、違法サイトで探して聴いたりする子が多かった時代のこと。「できれば音楽は、CDを買って聴いてくれるのがうれしいです」とツイートしたミュージシャンに対して、「え、ファンからおカネ取るんですか?」とリプを飛ばしている子がいて、そのミュージシャン、絶句。という光景を見たことがある。

 それも「好きなんだからいいじゃないか」という意味で、近い例ですよね。そうか、そんな昔から、世の中はもうそういう方向に向かっていたのか。うー。

 

 ちなみに、その作家のところには、「図書館に入るのを楽しみに待っています」というのを超えて、「図書館にはいつ入りますか?」という問い合わせのリプが届くこともあるそうです。

 ああ、もう、なんかねえ。

『エール』の「感謝しかない」で考えたこと  

 

 最初に。以下は、番組にクレームを入れたいとか、訂正を求めたいとか、いちゃもんをつけたいとか、そういう趣旨のテキストではありません。ただ、おもしろいなあ、と思った、というだけの話です。

 

 2020年11月26日(木)放送の、NHK朝の連続テレビ小説『エール』の、実質的な最終回(あと一回あるけど、それは出演者総出で歌いまくるスペシャル版だそうなので)でのこと。

 「私はきみの才能に脅威を感じて、クラシック畑から流行歌の方へきみを追いやった。私を許してほしい」という内容の、亡くなった小山田耕三(志村けん)からの手紙を読んだ裕一(窪田正孝)が、「小山田先生には、感謝しかありません」と言うシーンがあった。

 

 とても違和感があった。

 

 というのは、この「感謝しかない」とか、「驚きしかない」みたいな、「〜しかない」という言い回しが、書き言葉や日常会話でよく使われるようになったのって、つい最近だと思うのだ。

 よく使われるようになって5年くらいか、8年くらい前からだったか、とにかく、長めに見ても、ここ10年以内くらいじゃないだろうか。というのが、僕の認識である。

 

 ただ、『エール』の脚本家だって、「マジで?」とか「エモい」とかは、間違ってもセリフには使わない。つまり、「しかない」は、「マジで?」や「エモい」のように、その時代にはこの世になかった言葉ではなくて、その時代にもあったんだけど、あんまり使われていなかった、もしくは、今のような使われ方ではなかった言葉ではないか、と思うのだ。

 昔は、「しかない」を使う場合は、「お母さん、ソースない?」「醤油しかないわよ」というような使われ方に限定されていた。それが、いつの間にか、「感謝しかない」とか、「驚きしかない」というように……待てよ。

 「感謝しかない」も「驚きしかない」も、「醤油しかない」と同じく、「名詞+しかない」ですよね。

 これ、昔だったら、たとえば「一応、薬を処方しておいたよ。気休めでしかないが」とか、「ここまでの努力も徒労でしかなかった」というふうに、「しかない」の頭に「で」が付いていた。

 じゃあ今の「感謝しかない」は、その「で」が省かれたということか? でも「感謝でしかない」って、何か変ですよね。「驚きでしかない」は、まだいいけど。

 

 と、書いてみて気がついた。そうか、「でしかない」がくっついていい言葉の意味合いが、昔はある程度、決まっていたのかもしれない。

 「気休め」も「徒労」も、ネガティブ方面の言葉ですよね。「しかない」は、そういう時に用いられる言葉だったのが、ある時から「感謝」とかのポジティブ方面の言葉にもくっつくようになった。で、その際に「で」がじゃまなので、「感謝しかない」と、ダイレクトにくっつくように変わった。ということなのかもしれない。

 

 でまた、こういう言葉って、「クセがすごい」みたいにルーツがはっきりしているものとは違って、なんのきっかけで今のように使われるようになったのかが、わからないのも、おもしろい。誰が使い始めたんだろう。どんなふうに広まったんだろう。

 

 あ、この文章、「しかない」について検索して調べるとかは、一切せずに書いています。調べてわかっちゃったら、書く理由自体がなくなるので。それに、特に結論を出すつもりもないので。

 あと、くり返しますが、『エール』にいちゃもんをつけたいわけではありません。いちゃもんをつけるんだったら、「当時は『感謝しかない』なんて言い方しねえよ」とかいう以前に、「その時代の日本人の男が誰もタバコ吸ってないなんてありえねえよ、コロンブスレコードも喫茶バンブーも煙モクモクのはずだろ」という方が大事だと思うので、時代考証的には。

 

 でも、それもいちゃもんつけませんけど。なんでそうしなかったのか、よくわかるので。宮崎駿の『風立ちぬ』の喫煙シーンに抗議が来たりしていたし。

 その意味では、『いだてん』は、がんばっていましたよね。でも、その『いだてん』にも抗議が来ていて、「ああ、もう。だって史実じゃん!」と、ほとほとイヤになったものです。

 

 しかし、こういうことをうだうだ考えていると、せっかく大学に行くんだったら、「他の学部より入りやすい」なんていう雑な理由で経済学部を選ばないで、文学部とかに進めばよかったなあ、と思います。まさかライターになるなんて、想像すらしなかったしなあ。

リモート・インタビューの話  

 「民生さんがおまえに敬語使うとるんが気持ち悪い」

 

 というLINEが、リアルサウンド奥田民生のインタビュー(https://realsound.jp/2020/06/post-570533.html)を読んだ、地元の友人から届いた。

 高校の同級生で、当時僕とバンドをやっていて、奥田民生がアルバイトしていた広島駅そばのスタジオ、スズヤに一緒に通っていた、つまりOTとも面識がある奴なので、よけいにそう思ったのだろうが、それ、言われるまでまったく気がつかなかった。読み直して「ほんとだ!」ってなりました。

 

 なんでそうなったのか。リモートでインタビューを行ったからだと思う。

 そのインタビューの時のPCの画面、僕とOTとリアルサウンドの編集者の、3人が映っている状態だった。なので、質問をするのは僕だが、OTがしゃべる時は、ふたりに向かって答える、という具合になる。だから、敬語になったんだと思う。

 

 リモートでのインタビュー、コロナ禍以降、あたりまえになった。コロナ禍が収まっても、それが主流になって、対面のインタビューは廃れていくんじゃないか、と懸念している同業者もいる。確かに、そういう風潮を肌で感じることもある。そうなったらたまったもんじゃない、と、憤っている知人もいる。

 が、僕は、そんなにストレートに憤れないところが、正直ある。長い尺を必要とするインタビューや、込み入った話を訊きたい時は、「リモートだとやりにくいです、対面じゃなきゃ困ります」と思うが、「リモートでOKです」という場合もあるので。

 たとえば、雑誌でいうと、ボリュームは1ページで毎回同じ趣旨のコーナー、尺は30分、というインタビュー、実際に先日あったのだが、記事として仕上げ終わった時、「これ、リモートで充分だったな」と思った。

 逆に、最初から2時間を超えることがわかっている、訊かなきゃいけないことがいっぱいあるインタビューの時は、「これ、なんとか対面でできませんかね?」と相談し、「広い部屋で、遠く離れて行う」ということになった。声がよく通る相手で助かった。そのインタビュー、結局3時間半超えになって、対面にしてよかった、と、つくづく思った。

 で、その中間というか、「リモートでやったけど、対面ならもっと盛り上がったのに」というケースもあった。今のところはないけど、その逆で、「対面でやったけど、これリモートで充分だったわ」というものも、今後、出てくるかもしれない。

 

 あたりまえだが、インタビューするのに、指定された場所まで出向かなくていい、自宅でできる、というのは、メリットも大きい。たとえば、13時〜14時でインタビューが入っていて、同じ日の15時で別のインタビューの依頼があったら、これまでなら断っていた。スムーズにいけば移動込みで間に合うけど、万が一、13時の人が遅刻してスタートが押したりすると、次の取材相手を待たせることになるかもしれない。それは絶対ダメなので、そういうギリギリのスケジュールは、組まない。

 ということにしていたんだけど、リモートなら引き受けられる。せこいことを言うと、交通費もかからない(インタビューもライブも、地方出張以外は交通費出ないのが普通なのです)。あと、スケジュールをきいて、「すみません、その日、地方に行ってまして」という時も、リモートなら不可能じゃなくなる、という場合もあるし。

 

 インタビューを受ける側もそうですよね。ラクですよね。特に相手が地方のラジオ局とかだったら、キャンペーンに行かなくてすむ。来てくださいよ! と、メディア側は思うだろうが、「スケジュール的に行けないからインタビューできない」というのと、「行けないけどリモートならインタビューできる」というのだったら、どっちがいいですか? と言われたら、後者を選ばざるを得ないだろうし。

 要は、それでも対面でやりたいなら、先方に「対面でやった意味があった」と思わせる内容にしないといけない、ということだ。先方にだけじゃない、読者にもですね。要は、よりシビアになった、という話だ。

 

 そういえば、フルカワユタカには、LINEでインタビューした。BARKSで彼が連載しているコラムがとてもおもしろくて、「書ける人だなあ」と前から思っていたのと、自分とは古くからの付き合いなので、画面越しで一問一答でやるよりも、LINEでポンポン言葉を交わした方が、リラックスした感じになって本音が出そうだな、と思って、そう提案したのだった。

 こちらです。https://www.diskgarage.com/digaonline/interview/144427

 

 それから、くるり岸田繁の、ニュー・アルバム『thaw』に関するインタビューは、往復書簡という形で行った。編集部からリモート・インタビューでオファーしたのだが、くるりサイドから、メールでのインタビューがいい、という希望があって、文章で質問を送って文章で返事をもらうことになった。

 本人の希望なのか、ビクターのスタッフ等の発案だったのか、そのへんはわからなかったが、戻ってきた回答を読んで、「文面でよかった!」と納得した。僕の質問に口頭で答えていたら、こういう内容にはならなかったであろうことが、読めばあきらかなので。

 こちらです。https://realsound.jp/2020/06/post-565781.html

 

 にしてもOT、俺のインタビューに敬語で答えてるのって今回だけなのかな、最近普通に対面でインタビューした時はどうだったっけ、と思い、昨年11月に出たユニコーン『服部』の単行本(https://www.rittor-music.co.jp/news/detail/16478/)の、彼のインタビューを見てみた。

 発言の語尾、敬語じゃないところと、敬語のところが、入り混じっていた。

 このインタビュー、編集者も同席していて、彼が質問している箇所もちょっとある。その彼の質問に対しては語尾が敬語、僕の質問に対しては語尾が敬語じゃない、という色分けに、おおむね、なっていたのだった。

 これも、今の今まで気がつかなかった。OTの、なんというか、几帳面さのようなものを感じます。

高田文夫になりたかった 真面目はいやだ  

 という歌詞が、グループ魂の「高田文夫」という曲の中にある。曲名がすべて人の名前になっている『20名』、2015年リリースのアルバムの収録曲だ。

 宮藤官九郎という表現者について、俺はすごくよく知っているとか、深いところまで理解しているとかは、全然思わないが(僕より100倍詳しい同業者、いくらでもいるので)、ことこの曲に関してだけは、彼の気持ちの芯の部分が俺はわかる。と、聴くたびに思う。今でもライブで聴く機会があるたびに(ってグループ魂、コロナ以前から長いことライブやってないけど)、つい、泣きそうになってしまう。

 それは、宮藤官九郎のファンだから、というよりも、10代の頃『ビートたけしオールナイトニッポン』を聴いて、たけしの次に高田文夫に傾倒して育った、という部分で、彼と同じ人種だからだ、と思う。彼の2学年上の自分が。

 

 ずっと笑っていたい。まじめなことや重たいことや、めんどくさいことやシリアスなことや、シビアなことや悲しいことからは、とにかくもう逃げていたい。逃げて逃げて、逃げ切ったままで、できれば一生を終えたい。

 というメンタリティがわかる人、どれくらいいるのかわからないが、14歳で『ビートたけしオールナイトニッポン』に出会って以降、その感覚は、自分の中の深いところにずっとある。というか、動かしようがないものになっている。

 実際にそんなふうに生きられるわけがないことは、もう何度も思い知ってきた、現在であってもだ。で、そんなふうに生きたいと思うこと自体、どうなのよ? という疑問を、持ち続けていてもだ。

 

 その感覚は、ビートたけし以上に、高田文夫が放っていたものだ。たけしはラジオの中であっても、それと同時に、シリアスな面や重たい面も隠さない人だった。高田文夫も、たとえば著書の中では、シリアスな面を全然出さないわけではないが、でも、限りなく少ない。で、ラジオとかだと、ほぼなくなる。

 とにかく笑っていたい。笑うって素敵。笑うって最高。笑うことで、すべての面倒から逃れてしまいたい……とまでは、ご本人は言っていないが、広島の中学生は、まあ、そんなふうに解釈したわけです。

 なんで。それが都合よかったからだと思う、自分にとって。

 

 「すべてを洒落のめし、決してマジは言わず」

 

 どの本だったか失念してしまったが(なので、たまに探して読み返すんだけど、出くわさなくて困っている)、高田文夫の著書に、そんなようなフレーズを見つけた時、すごく腑に落ちたのを憶えている。ああ、やっぱりそうなんだ、だから俺はこの人に惹かれているんだ、と。

 それは、自分だけじゃなくて、同じように80年代に10代を送って、たけし&高田に出会った、そして多大な影響を受けた、という人たちのうちの何人かには、ずっしりと根を下ろしている感覚らしい。

 ということを、僕はグループ魂の「高田文夫」を初めて聴いた時、知ったのだった。ああ、宮藤さんもそうなんだ、と。

 さっきも書いたが、もちろん人はそんなふうには生きられない。宮藤さんだって、というか高田文夫本人だって、まじめなことや重たいことや、めんどくさいことやシリアスなことや、シビアなことや悲しいことから、逃げ切りながら生きているわけがない。

 あたりまえだ。でも、それでも、という話だ。

 

 当時の高田文夫は、まだ「ぼちぼち本とかも出し始めた売れっ子放送作家で、たけしの前で笑っている人」だったが、その後、景山民夫との『民夫くんと文夫くん』(ニッポン放送)を経て、立川藤志楼として落語を始めたりもしつつ、1989年に昼の帯番組『高田文夫ラジオビバリー昼ズ』(これもニッポン放送)がスタートして以降、その「すべてを洒落のめす」フォースを、さらに全面的に開花させていくことになる。

 

 なんでこんなことを書いているのかというと、今、『高田文夫ラジオビバリー昼ズ』を聴いていると、そのことを思い出すから、なのでした。現在も高田文夫が出演する月曜と金曜、特に金曜。高田文夫&松村邦洋&磯山さやかの日。

 新型コロナウィルス禍で、来る日も来る日も、極めて具体的な心配だらけ、極めてリアルな不安だらけだ。現に僕も、仕事、全然なくなったし。というか、自分が属する業界自体が、本当にピンチに陥っているし。あと、安倍政権の、もはやフィクション? と言いたくなるほどのひどさに、怒りだらけの毎日です、というのも大きい。

 という現在にあっても、『金曜ビバリー』を聴いている90分の間だけは、「すべてのしんどさから笑いで逃げ切る」ことが実現しているのだ、僕の脳内は。

 

 毎週毎週、本当にくだらない。高田文夫の手数が多すぎるまぜっ返しと、松村邦洋の供給過多なモノマネによって、コーナーが全然進行しなくて、磯山さやかが困り果てる『週刊IQクイズ』が、特に僕は大好きなのだが、最近彼女がフワちゃんのモノマネを会得してからというもの、さらに収拾がつかなくなっていて、楽しいったらありゃしない。『木曜ビバリー』の、清水ミチコ野上照代(黒澤映画のスクリプター)のモノマネと、双璧だと思う。

 僕の中のラジオ・パーソナリティのナンバーワンは、もう長いこと伊集院光なのだが、彼はそういう「全面的に笑いで逃げ切る」タイプではない。今の世の中に自分が思うことについてもしゃべるし、時には自分の中の重い部分も言葉にする、そういう意味ではビートたけしに近いトークをする人なので。

 

 しかし、14歳の自分をラジオから救ってくれた人に、51歳の今、またラジオから救われている。しかも、世の中のほとんどの人が直面したことのないような、社会的危機の渦中にあっても。いや、渦中だからこそ、なおいっそう。

 という事実には、何か、「うーん、そうかあ」と思う。

 あと自分に「コロナ禍になってからラジオ聴きすぎ、おまえ。やるべきこともっとあるだろ」とも思う。

2020年3月後半以降の、映画館とライブハウスとエニタイムフィットネスと銭湯

 

3月26日(木)

 TOHOシネマズや109シネマズ、松竹マルチプレックスシアターズなどのシネコン各社が、3月28日(土)・29日(日)は、東京・神奈川を中心に劇場の営業を休止することと、翌週からの営業時間を短縮することを発表。その次の週末の4月4日(土)・5日(日)は、大阪や福岡でも営業を休止した。

 そして、4月7日(火)に、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡を対象に「緊急事態宣言」が出たのを受け、その7都道府県を中心に、週末以外も劇場の営業の休止を決める。

 さらに、4月16日(木)夜に、「緊急事態宣言」の全国への拡大が決まったのを受け、17日(金)もしくは18日(土)から、全国の劇場すべてが休業になった。

 

3月30日(月)

 新型コロナウイルス感染防止のためにライブが中止になっても、その中止になった日に「無観客生配信ライブ」を、何度も行ってきた新代田FEVERが、今後は配信も含め営業を自粛することを発表。

 その前日の3月29日(日)の、フルカワユタカとthe band apartのライブ生配信が最後、ということになり、今後行うことが発表されていた、4月1日(水)の9mm Parabellum Bulletの生配信ライブや、4月10日(金)のフラワーカンパニーズPOLYSICSの生配信ライブ等も、とりやめになった。

 他のライブハウスも、3月中は日によっては営業しているところもあったが、4月以降はみんなクローズ、と言っていい状況が続いている。

 

4月8日(水)

 3月25日(水)に、「感染拡大を抑制するために、しばらくの間『現在メインでご利用頂いている店舗以外の利用の自粛』をお願いいたします」というアナウンスを出していたエニタイムフィットネスが、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡、つまり4月7日(火)に「緊急事態宣言」が出た7都道府県の全店を、自主的に臨時休館することを発表。

 休館期間は、この時点では4月9日(木)から4月24日(金)まで、ということだったが、その後、5月7日(木)まで延びる。エリアも、4月22日(水)以降、特定警戒都道府県以外の各県知事から休業要請が発表されたことを受けて、7都道府県から39都道府県に拡大になる。

 そして、さらに、5月4日(月)に政府が緊急事態宣言の期間延長をアナウンスしたことを受け、5月7日(木)以降もひき続きクローズすることになった。

 

4月18日(土)

 東京都浴場組合世田谷支部が、自身が運営するウェブサイト『せたがや銭湯ガイド』にて、世田谷区内の各銭湯のサウナ営業を、当面自粛することをアナウンスした。

 それ以前から、臨時休業する店もあれば、営業時間を短縮する店もあった。が、銭湯内のサウナに関しては、「営業はするがサウナは閉める」というところもあれば、そのまま普通にサウナも開けているところもある、というような、まちまちなレギュレーションだったが、それがこのタイミングで揃えられたことになる。

 なお、銭湯ではなく、専門のサウナ施設やスーパー銭湯などは、もうちょっと早い時期から臨時休業しているところが、ほとんどである。たとえば新橋の「オアシスサウナ アスティル」は4月15日(水)から、笹塚のマルシンスパは4月8日(水)から、店を閉めている。

 

 以上、自分のために記録しておきたくて、書きました。自分の日々の生活の軸になっている、自分の身近な「映画館」「ライブハウス」「エニタイムフィットネス」「銭湯」が、いつの時期からどのような状態になっていって閉まったのか、あとで見てわかるようにしておいた方がいいだろうな、と思ったので。

 エニタイムフィットネスも、銭湯も、「さすがにこれは控えた方がいい気がする」と思って自分が行かなくなってから、実際に閉まるまでの間に、けっこうタイムラグがあったので、正確にはいつだったか記憶していなくて、こうして調べて書いた、というわけなのでした。

 

 もうひとつの、自分の生活において非常に大事な軸である「飲み屋」に関しては、とうに閉まっている店もあれば、つぶれてしまった店もあれば(飲み屋だけじゃないけど)、政府の要請に従って「20時閉店」とかで営業を続けている店もある、つまりそれぞれがそれぞれすぎるので、書きようがない、というところがあります。

 ただ、自分はまったく行ってないけど。というのも、「週1ペース」「月2ペース」「月1ペース」で長年通っている、渋谷の飲み屋3軒が、とうに休業しているので。

 このまま閉店してしまわないか、とても心配です。ライブハウスもクラブも心配です。それ以外の店も、友人知人も、自分の仕事の関係者のみなさんのことも、もう何もかもが心配です。

 

 それより先に、てめえの心配しろよ。仕事、全然なくなってるじゃねえか。

 ということは、わかってはいるのですが。ただ、自分みたいな、まったくひとりでやっている「フリーのライター」という業種の自営業者は、収入がなくなるのは同じでも、日々のランニングコストがないに等しい(僕の場合ですが。家と別に仕事場とか借りてないし、人も雇っていないし)、だからカネ、0にはなるけどマイナスにはならない……って、ざっくり言い過ぎだけど、でも、そのあたりは、日々実感しているところではある。

 たとえばこれが、ライブハウスをやっていたら、具体的にどんなふうに大変なのか、ということなどについては、UKプロジェクトの社長の遠藤さんが、5月11日にアップされたnoteに書いておられます。https://note.com/daimasjp/n/na3a23ddee3e6

 

 あと、自分が最近観た配信ライブ等については、こちらにレポを書いています。https://www.diskgarage.com/digaonline/column/144269

2020年2月26日以降の日記(3月31日まで)

  2020年2月26日、政府が新型コロナウィルス感染予防のため、コンサート等の自粛要請を出して以降の、自分の状況について、何か記録しておいた方がいいのではないか。

  と思ったので、以下、日記的なものを書いておくことにしました。

 

2月26日(水)

  この日の昼過ぎに、安倍首相が会見、自粛要請。Perfumeは、前日とこの日で東京ドーム2デイズだったが、これを受けて2日目は急遽中止になった。僕が足を運ぶ予定だった、the shes gone(ゲスト:osage) @渋谷WWW-Xは行われたが、この日は全8本のツアーの3本目。終演後にスタッフと話して、4本目以降は開催が難しいであろう、と判断していることを知る。

 

2月27日(木)

  朝、ジムに行く。その後、28日(金)に入っていた、某アーティストの、ライブのパブリシティのためのインタビュー、そのライブの中止が決まったのでインタビューもキャンセル、という連絡が入る。土日に行く予定だった地球三兄弟 @ ビルボードライブ東京も、中止が発表される。金曜に行くことにしていたsyrup16g @ 新木場スタジオコーストは、翌日の29日も合わせて、無観客で生配信されることがアナウンスされた。

  夕方、近所の銭湯。夜は映画『1917』を観に行く。映画館で何度も声をあげそうになるほどおもしろかった。

 

2月28(金)・29日(土)

  syrup16g無観客生配信ライブの現場に、そのレポを書く、という仕事で行く。

 

3月1日(日)

  syrup16gのライブレポを書いて納品する。後日、UKプロジェクトのサイトにアップされた。こちらです。http://ukproject.com/column/2020/03/19005/

 

3月2日(月)

  朝、ジムに行く。この週、インタビュー仕事は5本入っていたのだが、そのうち2本からキャンセルの連絡あり。1本はライブ関係、1本はイベント関係。とりあえず家で原稿仕事をする。

 

3月3日(火)

  コワーキングスペースがあって長居できる名サウナ、スカイスパ横浜に朝から行って、サウナに入って、仕事して、またサウナに……という、タナカカツキ先生の仕事のしかたを真似した日。まあまあはかどったような気がする。

  夜は、マンガ家のハロルド作石さん、ライブカメラマンの岸田哲平、という、最近なんか定期的に集っている3人で、下北沢で飲む。作石さんは通常運転だけど俺と哲平は仕事ないっすよお、みたいな話をしつつ2軒。と、書いて今思ったけど、この頃はまだのんきでした。

 

3月4日(水)

  家で原稿仕事、そのあと散髪、夜はCINRA.NETのフラワーカンパニーズのインタビュー。朝、美容師から「前のお客さん、コロナが怖いってキャンセルになったから、ちょっと早く来れません?」とLineがあった。

  あ、フラカンのインタビューはこちらです。https://www.cinra.net/interview/202004-flowercompanyz_yzwtk

 

3月5日(木)

  朝、ジムに行く。その後は家で原稿仕事、夜は映画『ミッドサマー』を観に行く、という予定だったのだが、フラカンが今日の23:00から新代田FEVERで無観客生配信ライブをやることをツイッターで知ってびっくり。教えてくれればいいじゃないか、昨日会ってるんだから。とりあえず映画を観終わって、急いで帰って配信に間に合う。

  あ、『ミッドサマー』、めちゃめちゃおもしろかったです。人が窮地に陥っている時に真摯に手を差し伸べない人間は地獄に落ちる、というか落ちろ! という映画だと受け取りました。背筋が震えました、地獄に落ちる側として。

 

3月6日(金)

  インタビューが2本。1本目はROLLING STONE JAPANのウェブにアップされたフルカワユタカのインタビュー。彼の話から、今年は47都道府県ツアーを組んでいることを知るが、こんな状況なので彼も複雑だし、こっちも複雑。記事はこちらです。https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33543

 

3月7日(土)・8日(日)

  土日ともライブがないのは、いつ以来だろう。ちょっと原稿仕事したり、食ったり飲んだり買い物したりして過ごす。

 

3月9日(月)

  朝ジムに行った後は、家で原稿仕事。3月2日にキャンセルの連絡があったインタビュー2本のうち、1本の振替スケジュールが出ました、とメールあり。

  3月3日に飲んだ時に、岸田哲平に勧められた、スティーヴン・ソダーバーグパンデミック映画『コンテイジョン』(2011年)をNetflixで観て、ビビりまくる。というのをきっかけに、早朝とか深夜とかにNetflixの沼にズブズブはまる日々が、久々に始まる。

 

3月10日(火)

  家でぐずぐず原稿仕事。夕方、近所の銭湯。夜は友人と吉祥寺で飲む。

 

3月11日(水)

  朝ジム、昼から家で原稿仕事、夕方に高井戸の「美しの湯」まで遠征、夜はフラワーカンパニーズとYOKOLOCO BANDの新代田FEVERからの無観客生配信に行って、現場で観る。終わってそのままFEVERで出演者&スタッフと飲む。

  この日の2週間後、知り合いの編集者がくれた仕事の依頼のメールの最後に「この間、美しの湯にいました? 僕、近くに住んでて、よく行くんです。兵庫さんかなと思ったけど声かけられなくて」。「はい、私です」と返信。

 

3月12日(木)

  朝から三池崇史監督の『初恋』を観に行く。三池作品最高傑作では?(あんなにいっぱい撮っている中でも) と言いたくなるほどすばらしくて、とても興奮する。それを抑えつつ夜まで家で原稿仕事。

 

3月13日(金)

  朝はジム、夜は行く予定だった宮本浩次ツアー初日@市川市文化会館が延期になったので、月イチぐらいのペースで飲んでいる作家の燃え殻と渋谷で酒。いつもの1軒目、そしていつもの2軒目、終了、が常なのに、変に酔っぱらいすぎたせいか、強引に3軒目に付き合わせる。翌朝反省する。

  あ、昼は、御茶ノ水駅から徒歩5分のKANDA らくスパ1010まで行った。江戸遊が両国に移転した後のビルにオープンした銭湯で、気になっていたのでした。って、なんかやたらサウナ行ってるな、この週。ストレスを感じ始めた時期だったのかもしれません。

 

3月14日(土)・15日(日)

  土曜はPOLYSICS @ リキッドルーム、日曜はクリープハイプ @ 幕張メッセの予定だったが、どちらもなくなる。飲んだり食ったりウロウロしたり、ちょっと原稿仕事したりしてすごす。

 

3月16日(月)

  朝、受信トレイを開くと、9日に振替スケジュールの連絡があったインタビュー仕事、そのイベント自体の中止が決まったのでパブリシティもなくなりました、というメールが届いていた。昼にジムに行き、原稿仕事のあと、夕方に近所の銭湯、夜は渋谷で飲み会。

  幹事の行きつけの店で、僕は初めて行ったんだけど、店主曰く、お客が来なくて本当にピンチ、とのこと。で、そのピンチへの対応策として、普段やっていない「3000円でドリンク飲み放題」コースが設定されており、つい飲みすぎる。

 

3月17日(火)

  朝から夕方まで原稿仕事、夜は9mm Parabellum Bullet @ SHIBUYA LINE CUBEの予定だったが、キャンセル。というのを見越したスタッフに「ヒマになってたら来ません?」と誘われ、UKプロジェクトが行っている新人イベントを観にZher the ZOO YOYOGIに行く。Peanut butters、YUMEGIWA GIRL FRIEND、Ezoshika Gourmet Club、という、若い3バンドを観た。とても新鮮。

 

3月18日(水)

  朝原稿仕事、昼からジムと近所の銭湯、夕方からフラワーカンパニーズのファンクラブ会報のインタビュー。そうか、この月、三回もフラカンに会ったのか。それ以降は会っていません。あ、圭介にはばったり会ったか。後述します。

 

3月19日(木)

  昼すぎまで原稿仕事、そして「家からランニングでちょっと遠くのジムまで行って、筋トレして、そのへんで銭湯に入って、電車で帰って来る」というプランを実行する。家→エニタイムフィットネス下高井戸店→老人でごった返す月見湯温泉という銭湯→世田谷線で三茶まで帰って来る、という。

  こうして書いてみると、「何やっとんじゃ俺は」と思いますね。やっぱりストレスなのか、2日続けて銭湯に行ってるし。ただ、月見湯温泉は大当たりだった。そりゃ混むわ。近所だったら間違いなく通い詰めるハイレベル。

  で、夜はBase Ball BearKANA-BOONZEPP TOKYOの予定だったが、なくなったので、映画『ジュディ』を観に行く。おそろしくいい作品。

 

3月20日(金・祝)

  三連休の1日目。本来は幕張メッセの『ビクターロック祭り』のオフィシャルレポ仕事が入っていたのだが、まずそれが中止でキャンセルになり、ならばフラカンのツアー @ 横浜F.A.D.に行こうと思ったが、それも延期。なすすべもなく三茶とかをウロウロする。

 

3月21日(土)

  この日も原稿仕事以外予定なし。三茶や下馬をウロウロする。

 

3月22日(日)

  朝ジム、昼は下北沢をウロウロ、夜は、17日にZher the ZOO YOYOGIに行った時、22日のナックルチワワのイベントに日本マドンナが出ることを知ったので、久々に観に行った。すんげえよかった。これぞパンク・ロック。何か、勇気とか、生きる活力とかをいただいた気がした。特に「自称評論家」という曲がさえていた。

 

3月23日(月)

  大した文字量じゃないのに調べ物とかでやたら時間がかかる某レギュラー原稿を、うんうん唸りながら書いて、夜はジム。

  仕事の都合で週末しかゆっくり酒を飲めない友人がいて、僕は週末はたいていライブなので、いつも全然予定が合わないのだが、「さすがに週末ヒマなんじゃない?」とLineが来る。28日の土曜日に飲む約束をする。

 

3月24日(火)

  渋谷ではやっていないので、有楽町まで、映画『三島由紀夫vs東大全共闘』を観に行く。平日昼間のわりに、けっこう混んでいる。火曜日はシネマイレージデイで1400円だからかな、と思ったが、それ以前に「シニア割引」で1,200円で観られるお客がほとんどであることに、気がつく。大丈夫なのかこれ、こんなに60代70代が集まって。と思いながら席を探していたら、肩を叩かれた。

  フラカン圭介だった。何もここで出くわさなくても。そういえば、1年ぐらい前だっけ、同じく平日昼間に、中野ブロードウェイで行われた『鴨川つばめ展』に行ったら、グレートマエカワと出くわしたこともあります。

  その足で、自分的には都内サウナ最高の贅沢(料金が)=新橋のアスティルでリフレッシュ2時間コース。で、夜は佐野元春ZEPP YOKOHAMAの予定だったが、なくなったので、獣医をしている友人と新橋で飲む。で、獣医ならではの、新型コロナウィルスについての話をきく。

 

3月25日(水)

  朝はジム、昼は某バンドのインタビュー。今のところ、これが最後に行ったインタビュー。夜は突然少年とクリトリック・リスの3日間で東名阪を回るツアーのファイナル @ 下北沢シェルター。同じく、今のところ、これが最後に観た通常のライブ。どちらもすばらしかった。泣けた、何か。

  20時から小池都知事が記者会見を行い、週末・夜間の外出自粛等を呼びかけたことを、ライブが終わってから知る。これを受けて、TOHOシネマズや109シネマズなど、多くの映画館が土日は休業することを発表。

 

3月26日(木)

  朝から入っていた某ミーティング仕事は、とうにキャンセルになっており、夜に行こうと思っていた代官山UNITでの角田光代×鴻上尚史の出版記念イベント(フラカン圭介も出演)も、延期になった。

  昨日の都知事の会見で、ジムに行くのはまずいかも、と思い始める。なお、28日に飲むことになった友人から「やめとこう」と連絡があり、同意。

 

3月27日(金)

  近所に買い物に行ったほかは、ずっと家。締切がはるか先の、ロングスパンのインタビュー仕事の起こし、こういう時にこそ進めようとするも、あんまりはかどらず。夕方、近所の銭湯。ジムは、がまんする。

 

3月28日(土)

  ヤバイTシャツ屋さんの伊勢志摩スペイン村パルケエスパーニャ2デイズの1日目を観に行きたいな、と思っていたが、まずそれが中止。ならばcinema staff人見記念講堂に行こうと思ったが、これも延期。

  という時に、『聴志動感』のライブレポの依頼あり。これは、大阪のライブ制作者たちが立ち上げた無観客生配信投げ銭制ライブイベントで、この日と翌日の29日(日)に開催。喜んで引き受けた。で、この日は、Anly、Rin音、坂口有望、MOROHA、Hump Back の5アクトを観た。

 

3月29日(日)

  当初は、この日は、Saucy Dogの人見記念講堂に行く予定でした。というわけで、前日に続き『聴志動感』。SCANDAL、ヒグチアイ、クレナズム、ズーカラデル、Rei、ハルカミライの6アクトを観る。あ、これ、「観る」と言っても、あのスタジオの中で、直で観たわけではありません。現場には行きましたが、スタジオの外で、画面で観ました。

 

3月30日(月)

  散髪とか病院とか買い物とか。夕方、ジムをがまんしているのが臨界点に達し、とりあえずランニングだけでも、と、近所を走る。

  なお、4月2日(木)に、「大人数の座談会の司会をしてテキストにまとめる。最初は会議室で始め、そのあと飲み屋で続きをやる」という仕事が入っていたのだが、先週の段階で「飲み屋はカットして会議室だけにします」と連絡があった。そしてこの日、「座談会自体を延期にします」というメールが。これで、今後のインタビュー・取材等の仕事の予定、ゼロになった。

  あと、この日、志村けんの訃報あり。ショックを受ける。という件も引き金になったのか、さまざまな真偽が確かじゃない新型コロナウィルスに関する情報が目に入ってくる頻度が、ぐっと増える。友人知人からLineで届いたり、ネットで見つけたり。3・11の後と同じ感じがする、と誰かが言っていたが、それを身をもって味わう。

  あと、#SaveOurSpace(新型コロナウィルス感染拡大防止のための文化施設閉鎖に向けた助成金交付案)のことを知り、署名する。その発起人のひとりであるスガナミユウ、存在は以前から知っていたけど、THE BACK HORN菅波栄純の弟だということは知らなかった。山田将司のツイートで知って、「え、そうなのか! 言われてみれば、確かに似てる!」と、びっくりしました。あ、面識はありません。

 

3月31日(火)

  夕方から吉祥寺で友人と飲む予定だったが、「やめておこう」ということになる。朝から仕事部屋の片付けをしていたら、「今のこの状況、記録しといた方がいいんじゃないか」という思いがどんどん強くなって、この日記をここまで書く。あとで「あの時書いて記録を残しておけばよかった」と後悔したことが、3・11の時だけじゃなく、これまでの人生で何度かあったことを、思い出したので。

  夕方、「政府・自民党が、イベントを中止した事業者の資金繰り対策として、チケットの払い戻しを求めなかった人に税制上の優遇措置を講じ、事業者が手元に資金を残せるよう支援する方向で調整に入った」というニュースを知る。心底アタマにくる。意地でも補償はしたくない、でも「なんかやってあげた」感は出したい、ということだろうけど、よく考えついたなこんな「客に責任をかぶせる」方法。最悪。

  22時過ぎ、宮藤官九郎の新型コロナウィルス感染を知って、びっくりする。自分が面識のある人では初めて、ということも含めて。昨日のTBSラジオ『ACTION』を、腎盂炎で休んでいて、代打で来た伊勢志摩のしゃべりがあまりに見事だったので、聴いてわははと笑っていたんだけど、そんな場合じゃなかった。『ウーマンリブ』の初日が4月2日から14日に延期された後の発覚。うー。本人のコメントによると、症状は大したことなさそうなのだけが救い。

 

 

  また何日か経ったら、続きを書くと思います。

サニーデイ・サービスのニュー・アルバム『いいね!』をずっと聴いている

  2020年3月18日に、突然「今夜配信スタート!」というツイートで、サニーデイ・サービスのニュー・アルバム『いいね!』のリリースが告知された。で、3月18日から19日に日付が変わったあたりで、配信が始まった。

  ドラマー大工原幹雄が正式加入して以降では初めてのフル・アルバムで、彼の加入を知らせた時のバンドのオフィシャル・ツイートには「4月にはニュー・アルバム、5月からは4年ぶりの全国ツアーが始まります」と書かれていた。なので、それを覆して前倒して発表した、ということになる。

  これ、関係者とかには、事前にお知らせあったのかな。少なくとも私は完全に寝耳に水でした。教えといてよ、前もって言ってくれたら自分で作品を選べる雑誌のレビューとかで紹介したのに、と、思わなくもないが、こんなふうに不意打ちで出すというのが、今のサニーデイらしいなあというか、素敵だなあとも思う。

 

  全部で9曲。1月1日にMVと共に公開された新曲「雨が降りそう」は入っていない。

  音楽ナタリーのニュース記事には「エレキギター、ベース、ドラムという最小限のバンドアンサンブルに立ち返って制作された『いいね!』は、1995年発表のデビューアルバム『若者たち』を彷彿させる作品に仕上がっている」と書いてあった。ナタリーって基本的に「書き手の主観入れちゃダメ」ってメディアだけど、誰がそう思ったのかな。プレス・リリースとかに書いてあったのかな。

  まあいずれにしろ、確かに『若者たち』に近いかも、と思うところもあったけど(6曲目「日傘をさして」のイントロの感じとか)、それよりも、2016年8月に出た『DANCE TO YOU』に続くアルバム、というふうに僕は感じた。

  あのあとに『Popcorn Ballads』と『the CITY』の2作のアルバムが出ているけど、それをすっとばして直結しているのがこの『いいね!』、というか。どちらも9曲入りだし、どちらもイラストがジャケットだし、音や言葉が出している気分とか思想が近い気もする。

 

   1曲目「心に雲を持つ少年」のイントロの、まるで曲の途中から再生したみたいな唐突な始まり方。2曲目「OH! ブルーベリー」と5曲目「エントロピー・ラブ」の、「今のサニーデイの必殺名曲パターン」とか形容したくなる素敵な鳴り(「苺畑でつかまえて」とかに通じるような)。4曲目「春の風」の混沌とした青春感。「コンビニのコーヒーはうまいようでなんとなくさみしい」という歌い出しから、詞がとても気になって耳をそばだててしまう7曲目「コンビニのコーヒー」。9曲目の「時間が止まって音楽が始まる」というタイトルの、「これぞ曽我部!」と言いたくなる見事さ──。

  などなど、耳をつかんで離さないポイントだらけ、心の奥深くまで入ってくるポイントだらけで、昨日からもうずーっと聴いている。何度も何度も聴いている。

  要はめちゃくちゃいい、すんごくすばらしいってことなんだけど、まだそのよさ、すばらしさを自分の中で整理整頓できていない。できていないけど、たとえできていなくても、何かすぐ書いておくべきではないか、こんなふうに突然発表された作品なんだから。

  という気持ちになってしまったので、とにかく今書けることを書きました。

  このあとも何度も聴きます、しばらくの間。いや、当分の間、になるだろうな。

 

  あ、曽我部もツイートで指摘してたけど、Spotifyだけ当初はアルバム名も曲名も、なぜか全部カタカナになっていた。「え、もしかしてバンドの意図?」と、ちょっと混乱しました。1日かからずに直りましたが。