兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

丸山晴茂のドラムについて

 サニーデイ・サービスの通算4枚目のアルバムであり、ほぼアマチュア状態で始まったこのバンドが完成した作品である(と僕は思っている)『サニーデイ・サービス』。1997年10月21日リリース。

  演奏が素人だったり稚拙だったりしても、それが武器になったり魅力になったりすることがある、それがロック・バンドというものである、ということは、まずオリジナル・パンクで知ったし、90年代になってからは、初期ペイヴメントなんかのローファイなバンドたちからも学んだ。

  しかし、そういうガシャーンとした音ではない、アコースティック寄りで静かな歌もののバンド・サウンドでも、そういうことが起こり得る、それによって他の誰にもとっかえが効かないバンド・グルーヴが生まれるケースもある、ということを、最初に思い知らせてくれたのが、僕にとってはこのアルバムだった。

  僕は、デビューから解散までの間のサニーデイ・サービスのアルバムでは、最高傑作はこれだと思っているし、いちばん好きなアルバムもこれだ。

  中でも、1曲目の「baby blue」を最初に聴いた時のショックは忘れられない。曽我部恵一の弾くたどたどしいピアノ。田中貴の、「これセリフだったら棒読みレベルだな」ってくらい淡々としたベース。そして、丸山晴茂の、今にも止まりそうなドラム。「タメ」とか「後ノリ」という言葉では片付けられない、あの感じ。

  この曲に限ったことじゃないが、技術はないし、器用でもないし、「ドラムうまくなりたい」みたいな向上心もそんなになかったんじゃないかと思う。ただ、彼のドラムは、そのような、まさに「とっかえの効かなさ」を持っていた。

  この曲は、というか、このアルバムは、あらゆる意味で完璧だと思う。その完璧さは、狙っても誰も真似できない、というかおそらく本人も狙っていない、このノリのドラムがなければ生まれなかったものだ。と、当時思ったし、今でもそう思っている。この時期のサニーデイ・サービスの3人の、独特にもほどがあるグルーヴの中心になっていたのは、まぎれもなくこのドラムだった。

 

 「baby blue」の、1サビが終わって2コーラス目に入るところのドラムのフィル、「♪タッタッタ タッタッタドタドタ」ってやつ。譜面上は、ドラムかじったことのある人なら誰でも叩けるフレーズだ。僕もかじっていたので、個人練でスタジオに入った時に(なぜか20年ぶりにドラムが叩きたくなって、ひとりで叩いていた時期があったのでした、8年くらい前に)、何度も真似してみたんだけど、全然できない。あの感じが出せない。2サビから間奏~アウトロのドラムのバタバタ感も同じく。ああはならないのだ、どうやったって。

  だからこそ、曽我部と田中は、たとえいろいろ大変であっても彼とバンドを続けることを選んだんだろうし、再結成の時もあたりまえに声をかけたんだろうし、2015年の夏を最後に一緒に活動をできなくなっても「脱退」ではなく「お休み」ということで、帰りを待っていたんだろう。言うまでもないか。

 

  7月15日のお昼前、ローズ・レコーズのツイートで、丸山晴茂が5月に亡くなっていたことを知った。

  驚いたし、悲しかったし、とても残念だったが、それについて何か書くのは、最初、躊躇があった。

  曽我部恵一は、デビューの頃から『DANCE TO YOU』くらいの時期まで、何度もインタビューして来た。そういえば最近ご無沙汰だ、インタビューは。

  田中貴は、仕事はほぼしてないけど、けっこう長きにわたり、時々一緒にDJをやっている。要は遊び仲間ですね。亡くなったことが発表になった2日前の夜も、グレートマエカワや奥野真哉と一緒に、田中と僕とでイベントをやったばかりだった。

  でも、晴茂くんとは、僕はそこまでの関係ではなかった。もちろん面識はあったし、言葉を交わしたこともあるが、曽我部や田中ほどつっこんだ話をしたことはない。

  そんな奴がなんか書くのもなあ、3人とも面識ないくらいなら、むしろリスナーとして書けるけど、この関係性で何か知ったふうなことを言うの、微妙だなあと。

  でも、ツイートで簡単にお悔やみ言っておしまいにするのも、なんかなあ……という思いがあったのと、「すばらしい人でした」とか「すばらしいドラマーでした」とかいうような、「亡くなった人には賛辞を贈るのがマナー」みたいなことではない、もうちょっとリアルな彼の評価を、メンバー以外の誰かが書いてくれるならいいけど、もし誰も書かなかったらちょっとイヤだなあ、という気持ちが、どうしても拭えなかったので、1日遅れですが、書きました。

 

  あと、亡くなったけど、脱退はしていない。だから、いないけどメンバーなんだと思う、これからもずっと。

  曽我部が、晴茂くんがいないことを考えていて(彼が療養に入って離脱したばかりの頃だった)思いついたという「桜 super love」の意味が、曲が書かれた時よりも深くなってしまったなあ、とは思う。

 「きみがいないことは きみがいることだなぁ」という歌い出しのリリック、当然僕も、過去に同じようなことを考えたことがあったもんで、いい歌詞だなあ、すごくリアルだなあ、と感じたんだけど、それがまた、よりいっそうリアルに感じられるものになってしまったなあ、とも思う。

  そういう気持ちになることが、うれしいわけはないけど、でも、忘れたくないとも思う。

 

  ご冥福をお祈りします。安らかに。すばらしい音楽をありがとうございました。