兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

穏やかに。。。

  満員電車がホームに着いて人が乗り降りしているのに、ドア前に立ったままでいったんホームに降りて待とうとしない奴に出くわすたびに、体当りして車内に押し出したくなる。ライブハウスのバーカウンターで右に並んで順番を待っていたら、それに気づかず左から割り込んできてドリンクバッジを出す奴には「こらあ!」と叫びそうになるし、そいつにドリンクを出す店員には「出すなあ! 注意せい!!」とダブルでわめきたくなる。

  いや、「わめきたくなる」を超えて「わめいてしまった」こともあります。2018年のフジロック、混み合っているレッドマーキーでイスを畳まずに観ている人たちにプチンときて、曲間になったところで「混んでるよ! イスじゃま! たたんで!」とわめきちらしてしまった。みんな立ったけど、「マナー悪い奴に言うたった!」みたいな爽快感はゼロ。「うわあ、絵に描いたような『キレる中年』じゃん、SPA! で特集されるやつじゃん、俺」というどんよりした気持ちを、その日いっぱいひきずることになりました。

 

  かように、あきらかに、そういうことにいちいちカチンとくるようになってきている、ここ数年で。そのことによって「正しく生きる俺」みたいな満足感を得ることができているかというと、もちろんそんなわけはない。全然逆、心が荒れる一方です。

 「穏やかに。。。」

  有吉弘行ツイッターのプロフィールには、そう書かれている。

  “Keep calm and music on”

  Caravanのアコースティック・ギターには、こんな言葉が貼られている(前にこのコピーでポスターも作っていた)。

  もんのすごいわかる。ああ、穏やかでいたい。落ち着いていたい。そんな些細な不愉快は、気にならないメンタルになりたい。だからゆってぃも「ちっちゃいことは気にするな、それワカチコワカチコ」を編み出したのだろう。違うか。あれは「頭にくることを気にするな」ではなくて、「傷つけられることを気にするな」というネタだから。

 

  なので、なんでこんなに自分がこんなことになっているのか、改めて考えてみた。

 

①加齢。

  シンプルだが絶対ある。しかもふたつの意味で。

  ひとつめは、怒りに限らず、歳をとると感情を抑えられなくなるということ。NHKの『チコちゃんに叱られる』で、「なんでおじさんはオヤジギャグを言うの?」という問いと、別の週の「なんで歳をとると涙もろくなるの?」という問いの、どちらもが「がまんが利かなくなる」という答えだった時は、「やっぱり」と思いました。

  で、もうひとつ。加齢によって、キレたいけど相手が怖いからキレられない、というビビリが薄まった、というのもたぶんある。僕は身長182cmで体重76キロ。でかくて不機嫌な50のおっさん。怖いでしょ、だいたいの人にとっては。さらに、自分の年齢だと、普段接する相手が、年上よりも年下の方が圧倒的に多い。ということが意識の中に織り込まれていて、「怖いからがまん」「目上だからがまん」というブレーキが、利きにくくなっているのではないか。

 

②ネット社会、SNS社会になったから。

  以前ならムカッときてもその気持ちを発する手段がなかったけど、今はいくらでもある、だから黙ってがまんする必要がなくなっている、ということです。

   僕の書いたコラムの内容について「俺は違う」という言葉を飛ばしてきた人に関して、「これがネット普及前で、僕のテキストが雑誌に載っていたとしたら、この人はハガキを買ってきて『俺は違う』って書いて編集部に送ったか? しないでしょ、面倒だから」というような話を、以前このブログに書いたのだが、そういうことです。簡単に世に発表できることに慣れたから、昔だったらほっとけばそのまま消えた程度のむかつきをスルーできないマインドになった、という。

 

③世の中全体が厳しい方向へ進んでいるのにつられて、自分もそうなっている。

  というのが、いちばん大きいんじゃないかと思う。小泉政権になる前後くらいから、というのが僕のなんとなくの体感なのだが、飲酒運転、駐車違反、違法駐輪、未成年者の飲酒・喫煙、などが厳しく摘発されるようになっていった。喫煙者にとって暮らしづらい世の中になり始めたのもこの頃だ。

  時期を同じくして、有名人が薬物で逮捕された、とか、不倫とか二股とかに対しても、いっそう厳しく叩かれるようになった。このへんは、誰かを叩くのに最適なインターネットというものが普及して、それにメディアがのっかっているのも大きいか。

  とにかく、というような「よくないとされること」のすべてに対して、昔はもっとゆるかったけど、今の世の中はとても厳しい、だから自分も「よくないことはスルーしない!」というマインドになっている、よっていちいちイライラする、ということです。

 

  で。もっとも憂鬱なのは、ここまでわかっていて、なんでそれでも治らないかなあ、という問題です。なので、それを治していくことを、2019年の目標のひとつにします。とにかく、このままでは暮らしづらいので。

  フィリピンのセブあたりでよく使われる、「ヒーナイヒーナイ」という言葉があります。ビサヤ語。「ゆっくり、のんびり」みたいな意味です。最近カチンとくるたびに、心の中で「ワカチコワカチコ」と唱えていたのですが、2019年は「ヒーナイヒーナイ」に変えようと思います。