兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

岡崎体育「感情のピクセル」に怒っている人は、何がそんなにカチンときたのか

  ご存知だろうが、岡崎体育の新曲、というか新曲「感情のピクセル」とそのMVが炎上している。

  5月11日にYoutubeの公式チャンネルにアップされ、5月17日17時の時点で再生回数は1,884,000回を超えている。僕はファースト・アルバムのリリース・タイミングで、週刊SPA!で彼にインタビューする機会に恵まれたのだが、その時は「MUSIC VIDEO」の次にセカンドインパクトを引き起こせる自信があるからこそあれをやった、一発屋で終わるつもりは毛頭ない、あれを撮る以前から2発目3発目の構想は完全に頭の中にある、と言っていた。それを現実に証明してみせた、ということなのだが。

  これが、曲もMVもいわゆる今人気のラウド・ロック・バンドの王道フォーマットを模していて、すべてお手本どおりに高性能に作った上で、歌詞だけばかばかしくおもしろくしたものだったことで、「ラウド・ロック・シーンをディスっている」「特定のバンドを笑いものにしている」という非難の声が殺到しているようなのだ。

  P.T.P等で活躍してきたギタリストでありプロデューサーであるPABLOの参加により、クオリティがいっそう本物になっていることが、さらに火に油を注いだ、という見方もできる。

 

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   ご本人は当初、ツイッター

「なんか、ラウドロックシーンをディスってるやんけみたいな書き込みとかつぶやきめっちゃあるけど ディスってたら半年かけて曲書いたりMV撮影したりしようとは僕は思わないです」

   と、冷静に正論で返していたが、

 「今作に批判や風刺はないと弁明したけど、僕の思いや考えとは違った解釈をしている人たちがまだたくさんいる。最初はこれ以上は触れずにいようと思っていたけど、ついにその人たちが特定のアーティストやバンドに迷惑をかけにいってる事をさっき知って、流石に僕も黙っていられなくなった。」

 「僕のやっていることが不愉快だったら僕にだけその気持ちを向けてほしい。他のアーティストに迷惑がかかるのなら、僕は製作の自由度について今後考える必要がある。迷惑をかけてしまったアーティストの方、本当にごめんなさい。」

   と、なんというか、大変に気の毒なことになっている。

  僕は岡崎体育が好きなので、やっぱり胸が痛む。「気にしすぎ!」「相手にするな!」と、肩を持ちたい。持ちたいが、ただ持たれたって却って迷惑、というような可能性もあるので、勝手ながら、ちょっと踏み込んで考えてみたい。

  というか、考えてみることが、彼の「ディスじゃない」という気持ちが真実であることを示す結果になればいいなあと思う。

 

  少し前に、この「感情のピクセル」のMVの共同制作者である映像作家、寿司くんことこやまたくやのバンド、ヤバイTシャツ屋さんROCKIN’ON JAPANでインタビューした時に、今回のこれと近い話になった。

  曰く、ヤバTの「メロコアバンドのアルバムの3曲目ぐらいによく収録されてる感じの曲」に代表されるような曲は、よく「メロコアをバカにしてる」とか言われるけど、そんなつもりはない、と。自分が観て聴いてきたかっこいいものを自分もやってみたい、という思いでそういう曲を書いているんだけど、恥ずかしがり屋なので歌詞まではマネできなかった、そこに自分の人間性が加わったらこんな歌詞になってしまった、と。

  かっこいいのが好きだけど、自分がそのかっこいいのをやったら気持ち悪い、という思いで、その代わりに自分が歌えるものを探したらこうなった、という。

  でもそれをやったら、歌詞も含めてかっこいいことをやっているほかのバンドへの批評として成立してしまう結果になりますよね。たとえば「歌詞が英語であること」をネタにした「ヤバみ」も、「じゃあ、普通に英語で歌ってる他の日本のバンドってなんなわけ?」っていうふうに機能しちゃいますよね。

  と言ったら、「そうなんですよ!」と答えられた。やはり、そこが悩みのタネらしい。ただ、「でも僕らのそれは、下からの目線、かっこいいことができない負け惜しみの目線だからいいんじゃないかと思ってるんです」とも言っていた。それ、素直な気持ちなのだろうと思う。

 

  にしても、さすが同志というか、岡崎体育のこのたびの葛藤と一緒だと思う。

  では。岡崎体育に、あるいはヤバイTシャツ屋さんに怒っている人たちは、彼らのやっていることの、何がそんなにカチンとくるのか。

 

  まず、岡崎体育にとってのラウド・ロック、こやまたくやにとってのパンクは、純粋に好きな音楽のひとつだからやっているわけだが、ただ、「好きじゃなかったらここまでクオリティの高いものを作れないでしょ」という反論は、あんまり芯を食ってないと思う。

  好きでなくても、作れる人は作れる。2011年にマキシマム ザ ホルモンが曲とMVを作ってリリースしなかった「小さな君の手」を思い出せばよくわかる。

  あれ、当時人気を博していた、前向きな清い心で愛や幸せを高らかに歌う健全なJ-POP、そのお手本みたいな曲を作って、最後にそのMVが映っているテレビにマキシマムザ亮君がゲーッてゲロかけて新曲「maximum the hormone」が始まる、というものだった。

  「そういう曲」として本当によくできていたし、MVも然りで、ホルモンを知らない人なら素直に信じるだろうな、というレベルだった。

  あれは明確に悪意だと受け取っていいだろうし、ご本人たちも望むところだろうと思う。で、岡崎体育やヤバTはそれと同じか? という話だ。違いますよね、どう見ても。

 

  じゃあ何と一緒なのでしょうか。たとえば清水ミチコの一連のネタ、「スピッツ作曲法」「ドリカム作曲法」「松任谷由実作曲法」「ミスチル作曲法」と同じなのではないか、という考え方はどうだろう。

  スピッツ風のアレンジで、スピッツ風のコード進行で、マサムネ風のメロディにのせて「後半はいつも伸ばしがち ゆっくりとテンポ下げる」とか歌うあれ。先日『ARABAKI ROCK FEST.17』で新ネタ「サカナクション作曲法」を観て、血を吐くほど笑いました。「丁寧」とかサビにばんばん出てきて。

  つまり。音楽は「型」である。その音楽を好きであるということは、その型を好きだということである。で、「型」なんだから、その「型」をなぞれば、つまりマニュアルに従えば、能力のあるミュージシャンなら、それなりのクオリティのものが作れてしまう。

  という事実を突きつけてくるから、カチンとくるのではないか。どちらかというと、自分の好きなバンドとかジャンルとかをバカにされたからカチンとくるというよりも、その「型」を好きな自分をバカにされたような気分になる、だから頭にくるのではないかと思う。

  現に岡崎体育、ネタにされた(と言われている)バンドたちは誰も怒っていない、むしろおもしろがったり彼を擁護したりしているあたりも、それを示しているのではないかと思う。

 

  思うに、「型」が好き、というのを、音楽好きとしてあまりうれしいことだと捉えていない人がいる、ということなのではないだろうか。

  そのアーティストのキャラクターが好き、考えていることが好き、伝えてくることが好き、曲が好き、というのはいいけど、「型」はなんかイヤ、自分がカテゴライズされやすいその他大勢人間みたいな好みだってことになるので。という抵抗感が、無意識にあるのではないか、と。

  しかも清水ミチコ的に、個別のアーティストそれぞれの「型」をネタにされている分にはまだいいけど、ジャンルでくくって「型」にされてしまうと、自分はアーティストのファンじゃなくてその「型」のファン、みたいなことになってしまうし。

  もちろん、みんながそうだ、というわけではない。俺メタル好き、私テクノ好き、みたいに、ジャンルが好き、「型」が好きであることを自分で普通に認めている人が大多数なんだけど、自分はそうじゃないと思っているから、そこをつつかれると怒り出す少数派がいるんじゃないか、と。

  もしくは、自分の中にある「型」好き要素自体に無自覚だからこそカチンとくる、というのもあるかもしれない。

 

  なんにせよ。「型」を提示されることで、その分自分の好きな音楽のマジックが下がってしまった、魔法のカラクリを見せられてしまった、そんな気持ちになるから腹が立つのではないか、という推測です。

  あ、「怒ってる人たちはみんなこれが理由なのでは」ということではありません。「こういう理由の人もいるのでは」という、ひとつの可能性の推測です。

 

  と、他人事みたいに書いているが、最近自分がそういう思いをしたから、このことに思い当たったのだった。腹が立ったわけではないけど。

  ダンス・ミュージックが好き、テクノよりもハウスが好き、ハウスなら歌もので生音も入ったものが好き……みたいな、自覚しているものとはまた別に、好きな音楽の「型」が自分にあったことに、気づかされたのだ。

  僕はCaravanがとても好きだ。仕事での接点がなくなっていたここ数年はチケットを買ってライブに通っていた、ワンマンはもちろん弾き語りでちょっと出るみたいなイベントまで足を運んでいたくらいのファンだ。最近また仕事での接点ができたので、招待で入れてもらったりしているのだが、Caravan本人は、僕の音楽ライターとしての得意ジャンルをうっすらご存知だったようで、Theピーズとかフラワーカンパニーズとか、ウルフルズとかフラワーカンパニーズとか、ユニコーンとかフラワーカンパニーズとか、電気グルーヴとかフラワーカンパニーズとかを日々追っかけているこの人が、なんで俺の音楽にそんなに熱心なんだ? と、素朴に不思議だったようだ。

  これまでに二度、面と向かって訊かれたことがある。「なんで好きなんですか? どこが好きなんですか?」と。

  で、一度目に言われた時は「自由で孤独なところじゃないかなあ」とか、「日本語のメロディへの載せ方が自然だからじゃないかなあ」とか、それらしいことを言っていたのだが、二度目に言われた時に、ハタと思い当たった。

 

  もう20年近く前だが、僕はDAY ONEというブリストルの二人組にめちゃめちゃハマったことがある。MASSIVE ATACKの3Dのレーベルから出てきた人たちで、確かアルバム2枚くらいしか出してないんだけど、めったやたらと好きになってしまって、仕事でイギリスに行った時にソーホーのレコード屋を回って彼らの12インチを探したりしていた。

  で、そのDAY ONE、今思うと「型」がCaravanに近いのだ。打ち込み、ただし四つ打ちじゃなくてブレイクビーツ寄り。アコースティック・ギター多用。ラップっぽい抑揚が小さめなメロディ。あんまり声を張らない、会話に近い歌唱法。というあたりが。

  なんで。と言われると、説明しようがない。ただその「型」が好きなのだ、生理的に。ブレイクビーツにアコギでラップっぽい、っていうのを発明したの、ベックじゃん。はい。ベックも好きです。ただ、DAY ONE・Caravanとは入る箱が違うのです、自分の中で。

 

  もう一例。Charisma.com、最初の作品からとても好きなのだが、あれも歌詞の巧みさとかいう以前に、自分の中でRIP SLYMEと同じ箱に入っている、だから好きなのだということに、気がついてしまった。

  ラップもの、好きだけど、ハウス好きとしては普通のヒップホップはBPMが遅すぎる、BMP120~130くらいの幅のハウス寄りの音色のトラックでラップしてくれるとバッチリ、という「型」の好みが自分にはあって、RIP SLYME以来、久々にそこにハマったのがCharisma.comだった、という話です。

  そうか、だから一時期のm-floも好きだったのか、俺は。

 

  しかし、僕の好きな「型」の話になると、「カテゴライズされやすいその他大勢人間みたい」とは言えない。むしろ、「『あーあ、やる気ない、なんであんたなんか相手しなきゃいけないんだろう』みたいな気持ちがにじんだネガティブトークをしながら、おざなりに、それでいて突然あらぬところをいじるなどのオプションを加えたプレイでお願いします」というややこしいオーダーを風俗店でして嬢を困らせる客みたいで、それはそれで恥ずかしい。

  というか、その方がはるかに恥ずかしい。

 

  以上です。長くてすみません。

  いかがでしょう、岡崎体育にお怒りの方。ご自分がなぜそんなに頭にきているかを解析することで、少しクールダウンしていただけたでしょうか。

  そういう人はそもそも俺のブログなんか読まねえよ。という、それ以前の問題が、まだなんにも解決されていないのだった。