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兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

クリープハイプ/5月16日(土)日比谷野外大音楽堂、を観て考えたこと

 ニューアルバム『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』のリリース・ツアーのファイナル、タイトルは『「一つじゃつまらないから、せめて二つくらいやろう」総集編~東京の中心で◯◯◯を叫ぶ~』。追加公演であり特別編である、みたいな意味合いだったのだと思います(ツアー本編とはセットリスト変えてたようだし)。

天気予報は雨だったが、奇跡的に降らずにすんだ。尾崎世界観、MCのたびに「雨、降ってる?」と気にしていたが、途中で一時期、肌にかすかに感じる程度雨が落ちただけで、それもすぐやんだ。

 

以前に日本武道館2デイズ、つまりここより大きな会場でここよりメモリアルなライヴをやっているし、フェスではそれよりもっと大きいステージに立つことが普通になっているし、このツアーだって東京はNHKホール2デイズやったあとだし、日比谷野音でワンマンをやるのは初というのはあったが、それ以外は、クリープハイプにとってそんな特別なことではなかったと思う、ここでツアーを締めるのは。

なのに、なんだかやたら感動的なライヴだった。観ていて、聴いていて、何度も涙腺にきた。

 

悲しみ。怒り。孤独。あせり。後悔。疎外感。喪失感。無力感。などの、認められていようがいなかろうが、売れていようがいなかろうが、モテていようがいなかろうが己の中に巣食い続ける、いわばあらゆる「正じゃない感情」を、ギターとベースとドラムとかん高い声でロックの形にして、「尾崎のこと」じゃなく「自分のこと」として聴き手にぶっ刺す。

というロックやポップ・ミュージックの作り方は、今の主流ではないと思う。そういう「正じゃない感情」を扱っている場合でも、最終的にはそれの前向きな出口が曲の中に用意されていることが多いし、他の人たちは。それに、今はそういうめんどくさい感情をめんどくさい状態のまま表現することよりも、もっと機能性と即効性の高さを追い求める、アガれるし踊れる高性能なロックの時代だし。ただ、本来そういう主流のバンドじゃないのに、最初の頃ちょっと勘違いされて主流と同じように受け取られたフシもあったのがクリープハイプのラッキーなところだったとも思うが。

まあとにかく、こういうロックのやりかたはオールドスタイルだ。彼らより上の世代のバンドにはいくつかいたが(尾崎がファンであることを公言しているあたりのバンドたちがそうです)、今、シーンの最前線を担う世代でそういうことをやっているのは、クリープハイプだけだ。という意味で、僕のようなおっさんロックファンにとってとても得難い存在だし、しかも上の世代のバンドたちが到底なしえなかった規模の支持を獲得しているという事実もすばらしい。

 

あと、そういうバンドだからこそ、この日のアンコールにやった3曲が、ものすごいリアルさと説得力を持って響いたとも言える。

1回目のアンコールは“ボーイズENDガールズ”“さっきはごめんね、ありがとう”の2曲、2回目のアンコールは“二十九、三十”。

“二十九、三十”の歌詞の中では「嘘をつけば嫌われる 本音を言えば笑われる ちょうど良いところは埋まってて 今更帰る場所もない」という箇所が僕は特に好きだが、曲の最後の「前に進め 前に進め」の連呼のところは、実はもっと好きだ。

安易に用意されたポジティヴィティではなく、疑いまくりながら、弁解したり言い訳したりしながら、前提を確認したり保険かけたりしながら──つまり大変にまだるっこしい手続きを踏んだ末に、でもどうしても言わずにはいられなかった、つい口をついて出てしまったポジティヴィティ。

「ずっとうまくいかなかったのによくやめなかったですね」と言われることが多いけど、やめられなかっただけだ──というようなことを、よく尾崎はインタヴュー等で言うし、ライヴのMCでも口にする。本音だと思うが、そういう、バンドをやるしかなかった、音楽をやるしかなかった奴の音楽にしか持ち得ないものが明確にあることを、クリープハイプは示し続けている。

 

なお、以上を読み直して、ライヴレポじゃないなこれ、単にライヴを観て自分が考えたことだな、と思ったので、上のようなタイトルにしました。

いつもそうじゃねえか、という気もしますが。