日本の俳優、男前
この間、リアルサウンド映画部の依頼で、NHK連続テレビ小説『まんぷく』に岡崎体育が出演したことについて、コラムのようなものを書いた。その中で、岡崎体育が演じたチャーリー・タナカ、あの役をほかの俳優がやるとしたら誰が近いか、という話を入れようとして、駒木根隆介と加藤諒のふたりはパッと浮かんだが、それ以上思いつかなかったので、「俳優 男 20代 30代」で検索をかけたり、いろんな事務所の所属俳優一覧を見たりして、あれこれ探した。で、思い知った。
日本の俳優って男前ばっかりなのな。
今さら気づくことか。と自分でも思うが、でも改めてそう実感したのだった。
売れている役者はもちろん、全然知らない人まで含めてそう、おしなべて男前。なのでなかなか行き当たらない、チャーリー・タナカを演じてもおかしくないフォルムを持った俳優に。
たとえば他のジャンル、お笑い芸人やミュージシャンと比べると、はっきりと差がある。いや、アイドルなら「男前であることが職業だから」とも言えるが、俳優ってアイドルよりも芸人やミュージシャン寄りの、「特殊技術を持って、それで食っている人たち」に近い職種では? と、僕は思っていたので。
延々と「チャーリー・タナカ、あり」な俳優を探しながら、だから逆に俳優ではない岡崎体育にオファーが来たりするのかもな、もっと言うと、ピエール瀧や浜野謙太が、当初は本人そんな気なかったのに、あまりにもオファーが続くから、だんだん本職の俳優みたいになっていったのも、同じ理由だったりするのかな、と、思ったりもした。
役者仕事の多い芸人さんもそうかもしれない。塚地武雅とか。今野浩喜とか。コントや漫才でちゃんと世に出ることができているレベルの芸人なら、だいたいの人は芝居も普通にできるものだ(と、以前マキタスポーツにインタビューした時おっしゃっていた)という理由以外に、本業の俳優の深刻な「男前以外不足」があるから、あんなに仕事が取れるのではないか。小劇場出身の役者(大人計画のみなさんとか)だけでは足りない、他ジャンルからひっぱってこないといけない、という。
もちろんそれだけではなくて、芸人にしろミュージシャンにしろ、「本業の俳優じゃなくてもいい、この人がいい」という、強い存在感なりキャラクターなりがあるからこその、オファーだとは思うが。
そういえば以前、白石和彌監督にインタビューした時、「イケメンが好きじゃないんですよ」という話になったことがある。
「韓国の映画、マ・ドンソクとかが主演で撮ったりしてるでしょ? あれ日本で誰?って言ったら、ピエール瀧ぐらいしかいないですよね。だからやっぱ、顔力がある人たちが好きなんだろうな」とおっしゃっていた。確かに白石映画のピエール瀧出演率、とても高い。一位が音尾琢真、二位がピエール瀧、ぐらいだろうか。
で、「顔力がある人たち」が好き、イケメンが好きじゃない、というだけじゃなくて、そんなにイケメンだらけだったらリアルじゃないでしょ、現実の世の中はそんなことないから、という話でもあるのではないかと思う。
それはわかる。実際、邦画を観ていてそう感じることもある。たとえば11月に公開になった、入江悠監督の『ギャングース』。六本木で試写を観て、そのまま家まで走って帰りたくなったくらい興奮した、それはもう大好きな映画なのだが、唯一気になったのは、主人公の3人のうち、高杉真宙が美形すぎることだった。加藤諒はバッチリ、渡辺大知もセーフだけど(髪や表情で本来のツラのかわいさをうまくごまかせていた)、彼だけは「いや、さんざんな生い立ちで年少帰りで今も地獄の最底辺生活なのに、そんなきれいな顔じゃあリアリティが!」という気持ちは、正直、よぎりました。芝居はとてもよかったんだけど。
まあそれを言いだしたら女優もそうなんだけど。同じ『ギャングース』だったら、こんな田舎のキャバクラに、山本舞香みたいな超ハイレベルなキャバ嬢いねえよ、という話になるし。
にもかかわらず、なぜ日本の俳優は、そんなに男前だらけになってしまうのか。と考えると、「男前じゃないと客を呼べる俳優に育たない」「だから各事務所が男前を集める」という、あたりまえな結論に行き着いてしまうのだった。
でも、常日頃からいろんな芸能プロダクションが、必死に俳優を売りこんで回ったり、オーディションを受けさせたりしている中で、そんなこと一切しなかったピエール瀧やハマケンが売れっ子になる、というのが、以前からちょっと不思議だったので、その答えのひとつがこれなのかもしれないな、と、思ったりもしました。
あと、以上を書くにあたり、峯田和伸の例まで入れると、話が広がりすぎてまとまらなくなるので、あえてオミットしました。