京都音博で観たNUMBER GIRL
2019年9月22日、くるりプレゼンツ、今年で13回目になる『京都音楽博覧会』に行った。今年初めてROCK IN JAPAN FES.に行けなかった自分にとって、唯一の、一回目から全回参加できているフェスである。
その全体のレポートはリアルサウンドに書いた。書いて送ってOKもらってから、けっこう経っているのに、まだアップされていないけど(10月7日現在)、そろそろ上がるのではないかと思います。
今年の『京都音博』の大きなトピックは、復活から3本目となる(はずがライジングの1日目中止で2本目になった)NUNBER GIRLの出演だった。もちろん僕も楽しみにしていた。観た。すばらしかった。あと、前のnever young beachの最後の曲で降り始めた雨が本降りとなり、NUMBER GIRLが始まる頃には大雨、それが中盤を超えたあたりで小雨になって、ライブが終わる頃にはきれいに止んでいたのには、「演出か?」と言いたくなった。
そのリアルサウンドの『京都音博』のレポでは触れなかった、自分の感想をひとつ、こちらに書いておくことにします。
まず、この日のNUMBER GIRLのセットリスト。
1 鉄風 鋭くなって
2 タッチ
3 ZEGEN VS UNDERCOVER
5 YOUNG GIRL SEVENTEEN SEXUALLY KNOWING
6 透明少女
7 日常に生きる少女
8 Tattoあり
9 I don’t know
で。僕が特におもしろいと思ったのは、4人の演奏そのもの、向井秀徳の歌そのものだった。ご存知のように、4人とも解散後も活躍していて、長きにわたって経験を積みまくっているわけで、当時と比べると、ミュージシャンとしてのスキルや経験値、相当アップしているはずだ。
という状態で4人が17年ぶりに集まったら、同じアレンジで演奏しても、昔とはかなり違った感じになるんじゃないか。「超合金NUMBER GIRL」みたいな鉄壁な感じになっているかもしれないし、落ち着いて飄々とした「超熟NUMBER GIRL」みたいな感じになっているかもしれない。
というふうに変わっていた場合、俺はうれしいのかな、がっかりするのかな、どう感じるのかも含めて楽しみだな、と思っていたのだが。
見事に昔のまんまのNUMBER GIRLだったのだ。僕がそう感じただけ、という可能性もあるが、でも、デビュー前後から解散まで何度もライブ観ているし、最後のツアーも札幌は観てないけどZepp Tokyoは観た、その僕の耳は「あの頃のまんまだ!」と感じた。
めちゃめちゃヒリヒリしているし、荒々しいし、必死だし、尖っている。ZAZEN BOYSではもはや合気道の達人みたいな風格を漂わせる向井秀徳は、ここでは少年のようだったし、いつでもどのバンドでもどっしりと曲を支える中尾憲太郎のベースも、ここではやたらと攻撃的に耳に刺さった。
技術とか経験とか以前に、この4人が集まるってこういうことなんだなあ、というのがわかった気がした。というか、この4人が集まらないとこうならない、ということか。だから中尾憲太郎が脱退すると言った時に解散した、誰かを入れて続けるという選択肢はなかった、ということなんだなあ、と。
メンバー4人とも、NUMBER GIRLに来るとこうなるんだなあ、これがNUMBER GIRLなんだなあ、バンドっておもしろいなあ、本当に「人間と人間の組み合わせ」なんだなあ、などと、いろんなことを思いました、観ながら。
そして、しみじみしました。解散の時にロッキング・オン・ジャパン誌でラスト・ツアーの特集記事の編集を担当して、自分もレポとか書いた者としては。