兵庫慎司のブログ

音楽などのライター、兵庫慎司のブログです。

ヤバイTシャツ屋さんの「sweet memories」を聴くと思い出すこと  

 

 ヤバイTシャツ屋さんに「sweet memories」という曲がある。

 

 これ。

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 小学5年の秋頃に、同級生の女の子が、下駄箱で、自分の上履きを食べていた。という、こやまたくやの実体験を歌った曲である。

 

 この曲、1コーラス目でその衝撃の事実を歌い、間奏(ギターソロ→ベースソロ)をはさんで、

「授業中、鉛筆、消しゴム かじったりするタイプの子やし 別に上履き食べるのもわりかしなんか受け入れられた」

 と、続く。

 

 いやいやいや、受け入れられないでしょ。引くでしょ普通。と、インタビューで言ったのだが、「いやあ、でもその時は、なんか、そやったんですよねえ。鉛筆とか消しゴムとか、かじる子やったし」と、この歌詞のとおりに答える、こやまたくやさんなのだった。

 ちなみに、この歌詞、ちょっと脚色があって、彼女が上履きを食べているところを、実際に目撃したのは、こやまさんではなかったそうです。彼の級友たちがそのさまを見ていて、翌日、数人から「あの子、おまえの上履き、食べてたで」と、報告されたという。

 

 ただし。数日後、そのインタビューのテキストをまとめている時に、「あ!」と、唐突に思い出した。

 で、「確かにそういうもんかも、子供って」と、考えを改めた。

 

 自分が、こやまたくやが上履きを食べられたのと同じくらいの年齡だった頃のこと。

 小学校への行き帰りに通る通学路は、安全のため「この道を通りなさい」というルールが決められていたが、それを無視して、川沿いの竹藪の中なんかを通って帰る、まさに道草という言葉どおり、みたいなことを、近所の男の子たち数人で、よくやっていた。

 で、そうして帰路についたある日、先頭を歩いていたひとりが「あっ!」と、竹藪の奥を指差した。

 犬の首が転がっていたのだ。

 首輪の下あたりで切断されたやつが。

 と、書いて思い出した。そうだ、首輪が付いたままだった。愛玩犬サイズではなく、柴犬くらいの大きさの、黒っぽい雑種だった、ということも、今、思い出した。

 

 竹藪に 切断された 犬の首

 

 どうでしょう。怖いでしょう、五七五にしたところでごまかせないくらい。かなり猟奇的だ、横溝正史感すら漂うほどに。その犬が自然に死んだのか、殺められたのかはわからないが、少なくとも、首を切り落としてそこに放置した誰かが、この近辺に存在しているわけだから。

 

 にもかかわらず。我々小学生男子数名、みんな、「うわ、犬の首だ! 以上」くらいのリアクションだったのだ。

 神社でかくれんぼしていて、境内の下に潜ったら猫が死んでた、よくあるよねそういうこと、というのと同じような感じの。

 「うわ、犬の首だ! さあ帰ろう」。いやいやいや、「さあ帰ろう」じゃないよ。もっとこう、「おかあさああん!」って泣きわめくとか、走って逃げるとか、この日以降トラウマとして記憶に刻まれてしまったとか、そういうレベルのことでしょ、これ。

 なんでそのあと、40年以上忘れっぱなしだったのよ。そして、なんでヤバTきっかけで思い出してるのよ。という。

 

 でも、このような、子供の……いや、子供だけじゃないのかもしれないが、「そういうこともあるよね、と受け入れる」心の働きって、ある種の能力かもしれない、という気がしてきた。「社会通念に囚われない」とか、「偏見を持たない」とか、そういうふうに捉えれば。

 まあ、逆に、すごく危険なことである、とも思うが。たとえば、政府があきらかにおかしいことをしている等の、看過してはならない場合でも、「まあでも、そういうもんかも」と受け入てしまう、とか。

 

 とにかく、この日以来、「sweet memories」を聴くたびに、竹藪の犬の首のことを思い出すようになってしまったのだった。

 この日も思い出しました。

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